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harunotokage
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昨日のtwitterで美大受験に代表されるアカデミックなデッサンは、自由で大胆な表現の妨げになるのではないかというやりとりが少しあった。 僕自身も大学で教えながら悩む点ではあったのだけど、今日、ひとつの答えに行き着いた。そんなことはない。(続く)
2014-05-30 01:11:32
(承前)まず、現在の美大受験で行われているデッサンは、真にアカデミックなものだろうか?実際には疑問である。(続く)
2014-05-30 01:12:19
(承前)石膏やヌードモデルなどモチーフは伝統的なものが多く使われるが、そのトレーニングの内容自体は、手早く短時間で仕上げることに注力しており、本質的な正確さ、絵画を描く上で必要なスキルの習得はあまりなされていないように思う。(続く)
2014-05-30 01:12:35
(承前)僕は高校でアカデミックなトレーニングに出会ったのだが、最初の頃は一枚の石膏デッサンを仕上げるのに何ヶ月もかかるのは当たり前だった。直しても直しても、自分の納得がいくまで、先生のOKが出るまで、来る日も来る日も毎日何時間も一枚の画面に向かっていた。(続く)
2014-05-30 01:12:58
(承前)枚数を稼ぐことはできなかったが、多くのことを学ぶことができた。 イタリアの美術学校で学んだ知人に聞いたことがあるのだが、モデルの形がとれるまで徹底的に直され、そのプロセスを経てからでないと陰影をつけることも許されないということだった。(続く)
2014-05-30 01:13:16
(承前)これらは少し極端な例かもしれないが、本質的で徹底したアカデミズムは強固で長く普遍性を保っているものである。それは現在でも通用し、未来においてもそうであろう。(続く)
2014-05-30 01:13:35
(承前)結局のところ、マンガ絵、アニメ絵が描けるようになることは、トレーニングの賜物である。彼らはそれらの絵を日常的に見続けて、審美眼も備わっている。僕はマンガやアニメが大好きだけど、そこまでのトレーニングをした経験も審美眼も持ち合わせていない。(続く)
2014-05-30 01:15:23
(承前)アカデミックなトレーニングをしたから、大胆な表現やマンガ絵が描けなくなるというのは全くの間違いだと思う。つまるところ、経験値での差でしかないのだ。(終わり)
2014-05-30 01:15:45