映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 フランソワ・オゾン監督映画『ぼくを葬る』 (倉沢繭樹)

@mayuqix(倉沢繭樹)のツイッター評論。 フランソワ・オゾン監督映画『ぼくを葬(おく)る』に、再帰的な選択によってダルイ「現実」を濃密にする作法の「反面教師」を見出す。
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倉沢 繭樹 @mayuqix

index6:映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 「フランソワ・オゾン監督映画『ぼくを葬(おく)る』に、再帰的な選択によってダルイ『現実』を濃密にする作法の『反面教師』を見出す」 ( #bfuneral#twnovel

2010-10-27 23:16:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 「フランソワ・オゾン監督映画『ぼくを葬(おく)る』に、再帰的な選択によってダルイ『現実』を濃密にする作法の『反面教師』を見出す」(2006年) 末期癌で余命いくばくもないと宣告された、気鋭の写真家、ロマン。迫りくる死を #bfuneral

2010-10-27 22:43:22
倉沢 繭樹 @mayuqix

前にして混乱状態に陥るも、やがて「現実」を受容し、いくつかの願望を果たす。「もうすぐ死ぬ」という共通点がある、ただひとり彼を理解してくれる祖母にだけ事実を打ち明けること。不仲だった近親者と和解すること。同性愛者であるので自分の子は持てないが、 #bfuneral

2010-10-27 22:45:31
倉沢 繭樹 @mayuqix

不妊症の夫に代わり妻である女友達と関係を持ち、生まれてくる子どもに遺産を相続させること。そして、海を見ながら死ぬこと。ここには、突如生の終わりを突きつけられることで、色褪せた「現実」が輝きを取り戻し、濃密な時間が訪れる、といった認識がある。 #bfuneral

2010-10-27 22:47:06
倉沢 繭樹 @mayuqix

しかし、本当にそうか。なるほどありそうなことだとは思えなくもないが、凡庸な図式だとも言える。社会学者、宮台真司は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督『欲望』('66)と本作を比較する。『欲望』では、私たちは在りもしないものをさも在るかのようにして #bfuneral

2010-10-27 22:48:34
倉沢 繭樹 @mayuqix

振舞っているのだと描かれ、そういう作法にあえて没入することが、いわば肯定される。つまり、それまで自明だと思われたことが、何らかの出来事・現象によって自明だとは思えなくなり、意識的に選択する対象として浮上する。そこでなされる選択は、あえてする選択、 #bfuneral

2010-10-27 22:50:20
倉沢 繭樹 @mayuqix

よって「再帰的」な選択となる。簡単に言えば、「虚構」によって「現実」を濃くしているということだ。だがここで重大な疑問が生じる。輝くばかりの豊かな「現実」など、いったいどこにあるというのか? 「現実」とは「虚構」の別名ではないのか? #bfuneral

2010-10-27 22:52:10
倉沢 繭樹 @mayuqix

 某評論家が、ヨーロッパの男にはみんな分かるだろうけど、日本の男には分からないだろう、と評したのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督『シェルタリング・スカイ』('90)である。近づけば近づくほど、身体を重ねれば重ねるほど、お互いが判らなくなり、 #bfuneral

2010-10-27 22:55:34
倉沢 繭樹 @mayuqix

離れていってしまう男と女。「愛の不毛」はアントニオーニ映画のキャッチコピーでもあった。「愛」など幻想だし、不可能なことなのだが、それが在り得ると思えば荒漠たる「現実」も濃密になりもする。「愛」な ど「虚構」だと深く納得し、それでもあたかも #bfuneral

2010-10-27 22:57:36
倉沢 繭樹 @mayuqix

「現実」に在るかのように振舞う=再帰的に選択することでダルさをブレークスルーしようという「成熟」した構え。確かに日本の男たちが到達するには遠い境地だ。 オゾン監督『まぼろし』('01)では、夫が不在(事故死・自殺)になることで、以前よりももっと近くに彼の存在を #bfuneral

2010-10-27 23:00:13
倉沢 繭樹 @mayuqix

感じるようになる妻が登場していた。夫の不在=「現実」が、彼は常に自分と共にいる=「幻想・虚構」によって充足される。それに比べると、本作はあまりにベタすぎる。空虚な「現実」が、死を前にして、濃密な「現実」に変貌する? 「現実」をまともに信じすぎであろう。 #bfuneral

2010-10-27 23:01:40
倉沢 繭樹 @mayuqix

 さて、同じく死を前にしても、男と女では対処の仕方が異なるようだ。ペドロ・アルモドバル監督製作総指揮/イザベル・コヘット監督『死ぬまでにしたい10のこと』('02)には、余命2ヶ月と宣告された女性、アンが登場する。その事実を近親者に隠すのはロマンと同じだが、 #bfuneral

2010-10-27 23:03:05
倉沢 繭樹 @mayuqix

彼女が作った「死ぬまでにしたいことリスト」の中には、「家族でビーチへ行く」や「娘たちに毎日『愛してる』と言う」といった項目のほかに、「夫以外の男の人とつきあってみる」というものがあった。恋人に、もう愛はない、と嘘をついて遠ざけるなど、 #bfuneral

2010-10-27 23:04:43
倉沢 繭樹 @mayuqix

ロマンが他者との「関係」に距離を置こうとするのに対して、アンは新たな「関係」を求めに行くのだ。 #bfuneral

2010-10-27 23:06:18
倉沢 繭樹 @mayuqix

 社会「システム」が複雑化し、自明であったはずの選択前提がオーバーグラウンド化して、入替え不能な「システム」のために入替え可能な私たちがいる、という感受性が広がってきた後期近代という時代。それとパラレルに、崇高な「現実」などもはやなく、 #bfuneral

2010-10-27 23:08:08
倉沢 繭樹 @mayuqix

「虚構」のみが平坦に世界を覆っている、という感性もまた一般化してきた。ならば「虚構」を「現実」とあえて取り違えることで、色褪せた「現実」=般化した「虚構」が、濃密な「現実」=「現実化」された「虚構」へと変貌する。誤解を恐れずにあえて言うが、 #bfuneral

2010-10-27 23:10:03
倉沢 繭樹 @mayuqix

いくら死に直面している状況があるとはいえ、ダルイ「現実」がいきなりスゴイ「現実」に変わるなどあり得ない。「虚構」を再帰的に選択することで、ある「濃密さ」が生じることを思えば、「現実」をベタに受け取る本作は「反面教師」となる。 (END) #bfuneral

2010-10-27 23:11:45