昭和8年三陸大津波と防潮林造成計画

緑の防潮堤計画が話題になっていますが、そもそも政策としての防潮林造成はいつ頃から本格化したのか。ひとまず、とっかかりとして昭和8年時点から追跡してみました。
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「防潮林」は何時から注目され始めたか

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

津波対策として大々的に「防潮林」がクローズアップされたのは、昭和8年の三陸津波直後からであるように思われる。政府は昭和8年度内に津波災害予防調査費として2万円を計上、その内、1万円を防潮林造成調査費に充てている。調査関係者には本多静六(林学)・今村明恒(理学)らがいた。

2014-06-10 23:28:16
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和10年刊行の宮城県『宮城県昭和海嘯誌』には、防潮林の効用として次のように述べられている。 「防潮林は、其の材木実に弾力性に富み、幹枝円形なるを以て、甚だ有利なる条件の下に海嘯の来襲に対抗し、或は其の水平速度を減殺し、。。。」→

2014-06-10 23:30:30
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「或は、其の幅員にして充分大ならんか、後方部は単に浸水の形となりて、被害は言ふにも足らざる程度に止まり、又は、林中にて全波力を失して後方に浸入せず退去するに至らんのみ。」つまり、防潮林で津波の威力は軽減し、林の後方にまで波を寄せ付けないと評価している。さらに加えて、→

2014-06-10 23:33:35
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「之が造成経費の如きは、他の施設に比較せば著しく低廉なるのみならず、又、平常に於ては。。。農作物及家屋を保護し、或は、風致林ともなり、或は、魚族を招致して、魚付林の用も弁じ、或は又、木材薪炭其の他の林産物に依り地方住民の生活に裨益する等、其の効果、利用甚大なるものあり」と述べる

2014-06-10 23:34:52
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

防潮林は造成費が安いこと、防風林ともなって農地を保護すること、沿岸漁業への効能(有機物の流入を想定?)、林産資源活用もうたっている。農林省では宮城県内に新規に72個所、合計169.3haの防潮林造成を見積もって予算計上したが、政府は調査不足として昭和9年度の予算化を見送っている。

2014-06-10 23:40:58

チリ地震津波以後の防潮林計画

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和8年の津波と、昭和35年のチリ地震津波の間の時期については、まだ正確な記録・情報を把握していないが、防潮林構想は再び、チリ地震津波以後に脚光を浴びている。この時は35個所を防潮林造成候補地として挙げる旨、県知事の諮問研究会(宮城県チリ地震津波恒久対策研究会)が答申している。

2014-06-10 23:49:11
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

このように見ていくと、昭和8年の津波被害の観察から結論づけた防潮林の津波耐性力の評価が、そのまま昭和35年まで踏襲され、護岸工事個所を補完する位置付けで導入推進されたことが伺える。

2014-06-10 23:56:51
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今まで述べてきた宮城県の防潮林造成の歴史的な評価は、何をどのように語っても無念極まりなく、詮無いことであるが、2011年3月の津波被害を目の当たりにしてしまった後知恵が言わせるものである。黒松の大木が根こそぎ押し流され、それが凶器となって内陸に押し寄せる姿を見た後の評価である。

2014-06-11 00:12:40

近代以前に防潮林はあったのか?

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

ここであらためて宮城県沿岸の防潮林の由来を振り返ると、しばしば「伊達政宗が貞山堀開削と共に黒松類を植栽した」と語られることが多いが、実際のところはどうであったのか。昭和8年以来の防潮林造成事業を追跡しないことには、正確な植栽の履歴は不明と言わざるを得ないのではないかと思う。

2014-06-11 00:00:57
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

過去の防潮林に当たる植栽、植生を探るには、県の工事記録や昔の風景写真を丹念に探すしかないだろうなあ、と考えている。

2014-06-11 00:05:36
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

江戸時代の絵図と、村による書き上げなども調べないといけないなあ。防潮林の存在。

2014-06-11 00:29:00
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

仙台藩の領内絵図(宮城県図書館蔵、寛文・延宝年間)を見ると、野蒜矢本付近の海岸には松林が描かれているが、仙台以南には全く松の木が描かれていないなあ。。。 eichi.library.pref.miyagi.jp/eichi/detail.p…

2014-06-11 00:40:06
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

ただ、この領内地図をより詳細に見ていくと、村数が多くて景色を描くスペースのない仙台以南と、丘とも山とも見分けが付かない矢本付近の描き方を同じように扱うのは無理があるかもしれない。

2014-06-11 00:43:48
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

江戸幕府に献上した国絵図の写し(元禄年間)だと、仙台以南の沿岸にも松林が描かれている。 eichi.library.pref.miyagi.jp/eichi/detail.p…

2014-06-11 00:49:52
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

仙台藩に限らず、これまで何枚かの国絵図の風景画的描写を見てきたが、かなりデフォルメされているという印象を持っている。少なくとも、松林が描かれている沿岸の村の地誌を引き合わせて裏を取る必要はある。

2014-06-11 00:53:17