「放射能汚染地図」の今 木村 真三 amazon.co.jp/dp/4062188023/…
2014-06-16 13:13:00【放射能汚染地図の今】の中で著者の木村真三さんは瓦礫の広域焼却について, こう述べている。 引用: 2012年秋、私は静岡市の市民団体に招かれ、「福島県の放射能汚染の実情」というテーマで講演を行った。→ @kanna07409
2014-06-16 13:20:26→その会場で市民運動家の人たちは、次のように訴えた。「県外の震災がれきを受け入れ、それによって自分たちが汚染されることに耐えられない」 こういった主張も被災地の分断や、賛成派と反対派が対峙する地域の分断、さらには差別につながりかねないため危険と感じた。→@kanna07409
2014-06-16 13:24:04→そこで、私は彼らに「科学的な視点・態度」と「被災者を支援する気持ち」の両方をもってもらいたいと考えた。科学的な視点・態度は、放射線量に対する考え方に如実に表れる。静岡市内では市民の出すゴミの焼却灰だけで放射線量が200Bq/Kgを超えていた。→@kanna07409
2014-06-16 13:28:09→市民運動家たちはそのことについてはなんら問題にせず、しかし基準値内であることを計測した震災がれきには過剰に反応し、反対運動を展開していた。「自分たちの地元で出た放射性物質はクリーンだから問題ない」とでも思っているのだろうか。→@kanna07409
2014-06-16 13:31:43→科学的な視点をもっていればわかることだ。(中略)しかし、自分さえよければという考えで、「うちの子を守るためだ」と正論のように主張する人もみられた。そのような考えは、MIMBY と呼ばれる。→kanna07409
2014-06-16 13:39:26MIMBY → NIMBY
→例えば原発事故前でも、ごみ処理場が必要であることは分かっていても、自宅の近くには来てほしくない、という人は少なくなかっただろう。高濃度汚染のある震災がれきであれば、もちろん拡散させてはならない。徹底管理するのが当然だ。→@kanna07409
2014-06-16 13:41:19→しかし、「自分たちのものではない震災がれきで自分たちの家がほんの少しの線量でも汚されるのはイヤ!」という反対派の主張は、被災地の住民をさらにつらい状況へと追い込むような気がしてならなかった。→@kanna07409
2014-06-16 13:44:40→実際のところ、被災地の人々のなかには、地震も津波もその人たちのせいではないのに「自分の県からゴミを出して申し訳ない」と思っている人が少なからずいた。本来は被災者なのに自身を加害者のように感じ、罪悪感を覚えている人もいたのだ。→@kanna07409
2014-06-16 13:48:22→さらに私はもう一つ別の危惧を覚えた。福島からの避難者を受け入れている地域では、「放射能が移るからあっちへ行け!福島に帰れ!」と言って、福島からの転校生をいじめる大人や子どもが登場している。→@kanna07409
2014-06-16 13:51:14→震災がれきを嫌悪し、拒否する市民の態度に、これとよく似た「差別の構造」がうっすらと見えたのだ。岩手県と宮城県の震災がれきを「転校生」に見立てると、分かりやすくなる。→@kanna07409
2014-06-16 13:53:41→全国の首長のなかには、自分の市に引っ越してきた転校生を、「君がここにいるだけで市民が怖がっている」という理由で、岩手県や宮城県に送り返そうとしている人物もいたという。震災がれきは確かに静岡の人たちのものではないが→@kanna07409
2014-06-16 13:57:16→それでも、東北が震災を乗り切り、復興を果たすためには、日本人みんなが協力しあう方法を科学的に考えなければならなかったんではないだろうか。(引用ここまで)@kanna07409
2014-06-16 13:59:13(んー、木村先生はある時期から、市民団体と距離を置くようになったんだけど、瓦礫の広域処理問題も無関係ではないような感じがする。)
2014-06-16 14:01:31(んー、瓦礫の広域処理にも反対してたサイコム君こそ、差別はダメと言いながら差別してるんだよなぁ…)
2014-06-16 14:09:34(木村真三先生の講演で、ごみを焼却した灰を他県に押し付けてる県の話もあったと記憶している。)
2014-06-16 14:14:18「差別問題」
【水俣市からの緊急メッセージ】 「放射線は確かに怖いものです。しかし、事実に基づかない偏見差別、非難中傷は、人としてもっと怖く悲しい行動です。特に懸念しておりますのが、風評被害からの偏見や差別の問題です。言いようのない辛さであります」 bit.ly/1fJfRZv
2014-06-15 19:50:19林とかは自分らは水俣病に例えてみれば被害者救済の立場で行動しているとか信じているらしいが、彼らが瓦礫処理に向けた言葉(「ほーしゃのーもってくるな」「どうせりけんだろ」「ぜーきんがー」などなど)って、まさにここにある言葉と重なる。→ twitter.com/scicom_hayashi…
2014-06-16 14:24:06つまり彼ら自身の自己イメージとはまったく裏腹に、彼らがあの時代に生きていれば、彼らは苦しむ被害者たちにこういう言葉を投げつけたんだろうなと私なんかは思うよ。(マジ)
2014-06-16 14:27:49必読★☆原発とは結局なんだったのかより☆★ 間違った反原発論は 過去最大級の「差別の社会問題」→ tl.gd/mmhunr ぜひ読んでみてください。 著者:清水修二福島大学副学長(現県民健康管理調査会議委員) #原発 #反原発 #脱原発 #被曝 #脱被曝
2014-06-14 21:00:34原発とは結局なんだったのかより
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4808309653
放射能被害に敏感なことと、原発を批判することとが、感覚的に表裏一体になる事情はよく理解できる。放射能など危険でも何でもないという見方からは「反原発」は論理的に出てこない。
しかし現実に生じてしまった放射能災害をどう評価しどう対処するかは、理論の問題ではなく、生活の問題である。
汚染地域から住民を移住させ、土地も家屋も仕事もまるごと面倒をみた旧ソ連とは事情が違う。
福島から出ろと主張する人が、福島から出た人の面倒をみてくれるかといえばそうではあるまい。
100万人の移住費用をすべて税金や電気料金に転換することに、そういった人達は賛成なのだろうか。
たとえ福島の「汚染地域」から住民が逃れたとしても、被曝の問題はそれで解決するわけではない。
すでに浴びてしまった放射線の問題がある。
事故の放射能で数十万人がガンになるとか、先天異常の子どもが生まれるとかいった物言いは、現に被災した住民の耳には脅迫的響きを持って聞こえる。
あえてどぎつい表現をすれば「呪いをかけられたような」気持ちになる。
あなたの体には時限爆弾が仕掛けられたのだよ、と言われれば誰だって動揺する。それは十分に吟味されなければならないことだ。
私が問題にしたいのは、そうした危険性を口にする人々の
「想像力」がどの方向に向いているかだ
「みえないばくだん」という絵本が出版されている。
原発事故で被曝した子どもが大きくなって結婚して「おててのかたちがかわっているあかちゃん」が生まれる話しだ。
平仮名ばかりの絵本だから、作者は子どもにも読ませるつもりで書いたのだろう。
そして、原発がどんなに危険なものかということを、社会に向かって叫びたいのだろう。
しかし「福島の子ども」がこの本を読んでどういう気持ちになるか、それは作者の想像力の外にあるのではないかと思わざるを得ない。
仮に本当に爆弾が仕掛けられてしまったとして、決して取り除くことのできないその爆弾を抱えた子どもに向かって、作者は何と言っているつもりなのだろう。
「爆弾を仕掛けられた人」というステグマ(烙印)を背負って、差別と闘いながら頑張って生きて行きなさいと激励しているつもりなのだろうか。
思うに結局、この絵本は「外の目」でしか作られていないのだ。
作者の善意は疑いもないが、善意が人を苦しめることだっていくらもあるのである。
福島の子どもや母親に向かって「そんなに心配することはない、大丈夫だ」という学者は、反原発サイドからは御用学者だと指弾される。
そう批判するのが正義だと観念されている。
しかし、そこで生活している住民にとってみれば、専門家のそうした言葉は日常のやりきれないストレスを多少とも減じてくれる。
福島に住んでいるものが、そこに住むという自分の選択が間違っていないことを裏づけてくれる専門家の意見を信用したいと思うのは自然なことだ。
これは確かに情報受容のバイアス(偏り)には違いないが、この被災者心理を知らずに無神経に外から「善意」を押し付ける者(どぎつい見出しで売り上げを伸ばそうとする一部週刊誌は論外)への反発があることを知って欲しいと思う。
放射線との確たる因果関係が実証されてないにもかかわらず、先天異常の写真を講演会場でスクリーンに映し出すようなことをやってのける無神経さは許されるものではない。
放射能災害の被害者である福島県民がそのことを一生隠し続けて生きなければならないような社会状況を作ることが、脱原発を実現するための必要条件であるかのように反原発論者が考えているとすれば、それは明らかに間違っている。
少なくとも被害者の心情からはかけ離れている。
広島や長崎の被曝者の中には、被曝したことを隠しながら生きた人も少なくない。
水俣病も同じようなことがあっただろう。
私たちは、今度の原発災害に遭遇することによって過去最大級の「差別の社会問題」を抱えこむことになったと言っていい。
今度の災害が地域社会に何をもたらしたかをリアルに見れば、この狭い国土で原子力発電を継続するリスクがいかに巨大であるかは一目瞭然である。脱原発が必須の課題であることは十分すぎるほど証明された。
そのことを国民が認識するために、福島の子どもが一人たりとも犠牲になる必要はない。見えない爆弾を隠しながら生きねばならなぬいわれも毛頭ない。