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中原芽衣 @nakaharamei
悲劇作品に対して「共感して泣く」のとは別に「客観視して自分はああでなくてなくて良かった」と思うという観方がある。 前者は同化効果、後者は異化効果の産物。
中原芽衣 @nakaharamei
そういう意味では「富野ファンなのに富野的な生き方をしてない」みたいな人格攻撃はまったくナンセンス。 仮に本当に富野的な生き方をしていないとしても、それは異化効果的な観方としては全く普通のこと。
中原芽衣 @nakaharamei
特に富野さんはアニメにおける異化効果の権化である高畑さんの影響を受けているからね。 異化効果という面では宮崎さんよりも富野さんの方が高畑さんの弟子と言っていいんじゃないかな。
中原芽衣 @nakaharamei
高畑勲『日本のアニメは主人公に感情移入をしてしまう「思い入れ型」。観客が何かを「考える」という余地がない。』
中原芽衣 @nakaharamei
高畑勲『 最近は理想像ばかり提供されている。理想ばかりでは現実に対処しきれない。観念的ばかりになる。  理想という箍(たが)をはずして、皆それほど立派じゃなくていい加減なもんなんだ、とそこから出発した方が前に進めるんじゃないかと思った。』
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
異化効果 moeb.tumblr.com/post/1209399430 【高畑「僕は,最近の映画は特にブレヒトの言ったことを意識してやってます.ブレヒト的とは言いたくないですけど.結果的にはだいぶ違うものになって るけど,基本はブレヒトに教えられたところから出発してると思うんですね.】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
高畑勲、「巻き込み」型アニメを憂う d.hatena.ne.jp/kingfish/20140… 【しかし今にして思う、[高度に発達した「巻き込み」型アニメの弊害を考えると]氏は正しかったのかもしれないと。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【日本のアニメがなぜ、絵は大して動きもしないのに観客を巻き込むことに成功したのかは、まず第一にその演出手法による。ディズニーがやらなかった主観的な縦のショットをどんどん積み重ね、観客の目を登場人物のすぐそばに置く。 →
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
→ トラックアップなどのカメラワークで幻惑する。動きがなくて止め絵が多かろうが、性格描写がいい加減だろうがかまわない。特に主人公は、観客代表みたいなものにしてあるから、その性格はあいまいな中立的なものでいいのだ。だからキャラクターも類型的でかまわない。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【映像の中のヒーローがいかにも英雄然としていれば、観客は自分との距離をはっきり保つことができる。 →
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
→ ところが現在の巧みな作劇術では、一見観客と同程度の凡人に、非凡な力を発揮させ、大活躍して問題を見事に解決したり何かを達成させる。主人公を身近に感じ、自分と重ね合わせ、作品世界に没入させるためである。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【こういう映像を見ていくら「勇気をもらっ」たつもりになっても、現実を生きていくためのイメージトレーニングにはならないことは当然である。それどころか、[成功している素晴らしい自分という]きわめて有害なイメージを身につける危険性がある。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
ホーホケキョとなりの山田くん/高畑勲監督シネマ&トーク kyo-eisa9.sakura.ne.jp/space/modules/… 【日本のアニメは主人公に感情移入をしてしまう「思い入れ型」。観客が何かを「考える」という余地がない。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【世界のアニメでは、背景が必ずしもリアルな必要はないが、日本の作品は、やたらリアル。何故かというと主人公の空間に入り込んだような気持ちにならなくてはいけないから。入り込みやすいためにはリアルな背景が必要になってくる。また一方で、主人公について人間的な充実度は要求されない。 →
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
→ 人間としての面白さはなくても構わない。主人公と一緒にいれば主人公は見えないし、主人公と共に世界と対時している。観客の我々も現実にそんなに面白い人じゃない。例えば鶴瓶って人は面白いって言っても、自分が鶴瓶と同化するわけじゃなく対象として面白い。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【「思い入れ型」に対して最近別のものが出てきたなと思ったのは、アメリカのアニメでジョン・ラセターの『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』。ジョン・ラスターは宮崎駿をはじめ目本のアニメをよく学んでいる。感情移入の没入型の映画に対し、これらの作品は主人公の設定の仕方が全然違】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
渡辺護の映画論「主観カット/客観カット」(1) d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20… 【トリュフォーって監督は、少女の主観に入らずに、突き放すように客観的に撮る人だね。】 【トリュフォーはこのシーンを全部フルサイズで客観的に撮っているね。 →
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
→でも、おれだったら、まずはアデルの主観に入りこんで撮ると思う。惚れた男を必死になって探してまわるアデルの印象的なアップをいくつも撮って積み重ねていくと思うんだ。】 【おれは、映画ってのは主観カットと客観カットの組み合わせだと考えているからね、どうしてもそういう撮り方に…】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
パゾリーニの「ポエジーとしての映画」について p-renaissa.jp/borujiaya/?p=3… 【パゾリーニは、自由間接話法を階級意識の表出だと言う。映画を撮るにあたって、撮る側の自分と撮られる側の人物たちとの階級差にこだわったパゾリーニ特有の観点だ。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【映画の自由間接話法的表現は、伝統的な主観と客観の境界を不明確にする。たとえばアントニオーニの「赤い砂漠」では、心を病んだヒロインの視点から眺められた世界を、アントニオーニ自身が再体験しているとパゾリーニは言う。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【ゴダールとは「世界を自分の尺度に見合うようなかたちで再構築していゆく力、おのれ自身に対してさえ牙をむくようなシニックな力」であり、彼の詩学は「存在論的」である。とはいえそのゴダールでさえ、自分の技法上の自由のよりどころとして、主人公の心的基調低音を、 →
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
→ 「現実世界との関係においてスキャンダラスであり神経症的であるようなあの心的基調低音」を必要とする。つまり、「彼の映画の主人公たちもまた、心を病む者たちなのである」。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
第9節 主観・客観図式の間違いの原因 swansong3478.web.fc2.com/2/005090ver2.h… 【一般に主観、客観図式では、主観が客観を規定するような構図になってしまいます。それと反対にカントは、コペルニクス的転回として、客観こそが主観の認識内容を規定するのだとしました。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
【世界の内に存在している私というだけではありません。世界の中のどのような場に存在しているのかをこそ追及されねばなりません。そのためには、世界の中で私が見出されてくる過程を論理として見いださねばならないのです。】
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5
ゴダール「女と男のいる舗道」映画への自己言及 beaubeau.jp/yuki/vivre_sa_… 【アンナカリーナがキャメラをじっと見上げる箇所が幾つかあるが、観客を見つめているようで、私は今こうして演じているのだと表明している.ブレヒトの異化効果である.】
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コメント

うさぎはマシマロ @sononamousagi 2015年8月23日
観客が劇の世界や劇の人物を突き放して捉えられるように・・・ブレヒトは「異化効果」という言葉で呼ぶ。悲劇の場合には観客が劇中人物と同化し一体になることがどうしても必要だが、ブレヒトはその逆を求めているのである(喜劇の手法 笑いのしくみを探る) 観客が贔屓を持たないよう注意し、より冷静・公平な目で物語から滲むテーマに対してスタンスを選ばせたり揺さ振りに対する反応を見るのが目的ではないかと。
ma08s@フォロー外からごめんなさい @bygzam_ma08s 2016年9月9日
「高畑」がらみで検索かけたら、たまたま見つかった古いまとめw けど、この理屈(同化作用と異化作用)、もしかすると『シン・ゴジラ』の賛否にも当てはまるかも知れない。ちなみにおいらは『シン・ゴジ』未見だけど(おい)
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