桂木桂馬は何を選んだのか ~『神のみぞ知るセカイ』最終話を迎えて
さて、今から自分なりの神のみ最終回を読んでの感想を。書きながら考えをまとめていくことになるんで、多少長くなるかもしれません。多分後で自分でとぅぎゃります。
2014-06-22 23:22:28ちなみに今回の感想の前提に、以下の話があったりして。 神のみ、このカノ、バクマンに見る「理想」と「現実」の物語 togetter.com/li/155735 『この彼女はフィクションです。』最終回を迎えて~ユーリが選んだ理想 togetter.com/li/215178
2014-06-22 23:25:19まず、神のみの最終回については色々と賛否両論の声が上がっていますが、例えるならこれは、凹凸の無いパズルのピースを渡された状態に近いと思っています。実際、若木先生もtwitterなどで「ピースは揃ってる」的な発言をされています。
2014-06-22 23:28:40でもそこに凹凸が無いものだから、各々が自分なりにパズルを完成させてしまっている。読者に判断をゆだねるって言うと聞こえはいいけれど、流石に凹凸くらいはあっても良かったと思うんですよ。まあ、凹凸をつける前に最終回を迎えたっていうのが正しいところなんでしょうけれど。
2014-06-22 23:30:40話は逸れますが、読者に解釈をゆだねるところが大きいラストって『うみねこのなく頃に』や『Remember11』といったギャルゲーを彷彿とさせるんですが、そういった意味では神のみはギャルゲー的エンディングを迎えたのかなと(自分の見る限り、同様の指摘はないのでこの解釈は異端かも)。
2014-06-22 23:34:09と、そういった前置きをしたうえで、自分が最終回をどう見たかと言えば――非常に納得のいく最終回でした。少なくとも自分が特に注視していた『理想』と『現実』を巡る桂馬の物語として見れば、綺麗に完結していると思います。
2014-06-22 23:36:07神のみを一躍有名にした、「現実なんてクソゲーだ!」というセリフから始まった桂馬の物語が、「こんなにやりがいのあるゲームはなかった。ボクは満足だ。」と言うまでになり、1人の女の子に告白する形で終着点を迎える。
2014-06-22 23:40:55さらに忘れてはいけないのは、桂馬が決してゲームという理想を捨ててはいないということ。最終回でも描写されているが、桂馬はゲームをすることを、「酸素」=なくてはならないものとまで言っている。
2014-06-22 23:42:42結論から言うと、桂馬は決して「理想」を捨ててはいない。「現実」の中にも「理想」を見出すことができるようになった。それがこの物語の結末だったと思っています。
2014-06-22 23:47:30桂馬がゲームを語る上で、賞賛しているのは「理論的」で「合理的」な美であり、現実を語る上で唾棄しているのは「不合理」であり、「不条理」だった。
2014-06-22 23:52:50でもこれって、実は「現実」とは矛盾しない。だからこそ、桂馬の「ゲーム理論による攻略」は成功した。そもそも「ゲーム理論による攻略」っていうから荒唐無稽に思えるけれど、桂馬の攻略手法は「合理的」で、ある意味では「現実的」ですらある。
2014-06-22 23:57:29桂馬のように自覚的に、ある意味では偽悪的にやる人はまずいないでしょうが、好きな人の趣味嗜好にあわせて振る舞いを変えるのは、現実では非常によくあること。自分の好きな人が好きって言っていた本を読んでみるとか、音楽を聴いてみるとか、多分、誰でも覚えがあることだと思う。
2014-06-22 23:59:27攻略時も、ちひろを手伝うという名目だったはずなのに、気づけばちひろの恋愛対象は桂馬になっていた。女神篇の再攻略時も、「好きになるのに…理由なんてないよ!」と言われ、それは有り得ないと焦っている。
2014-06-23 00:07:21でも現実は時として不条理で不合理で――だからこそ面白い。二階堂が言うところの「だから、好きになったんだろう?」はきっとそういうことで、桂馬が現実に向き合うことの一種の桂馬の意思表明が、ちひろへの告白だったんだと思います。
2014-06-23 00:16:16以上でまあ、桂馬の「理想」と「現実」についての話は終わりなんですが、これらを踏まえた上でもう一歩踏み込みたいと思います。桂馬のちひろ以外のヒロインに対する扱いが、雑ではないかと言う批判について。
2014-06-23 00:19:21まず桂馬は攻略ヒロインたちのことをどう思っていたのか。天理は「桂馬くんは……誰も好きじゃないもん」と言っているが、本当にそうだろうか。
2014-06-23 00:24:22