桂木桂馬は何を選んだのか ~『神のみぞ知るセカイ』最終話を迎えて

先日、最終巻となる26巻が発売された『神のみぞ知るセカイ』が迎えた結末について、「現実」と「理想」を軸に考えをまとめたものです。 前日譚となる2つのまとめについても、あわせて参照いただけると幸いです。
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相応恣意 @aioushii

さて、今から自分なりの神のみ最終回を読んでの感想を。書きながら考えをまとめていくことになるんで、多少長くなるかもしれません。多分後で自分でとぅぎゃります。

2014-06-22 23:22:28
相応恣意 @aioushii

ちなみに今回の感想の前提に、以下の話があったりして。 神のみ、このカノ、バクマンに見る「理想」と「現実」の物語 togetter.com/li/155735 『この彼女はフィクションです。』最終回を迎えて~ユーリが選んだ理想 togetter.com/li/215178

2014-06-22 23:25:19
まとめ 神のみ、このカノ、バクマンに見る「理想」と「現実」の物語 ※7/2 創造(創作)を軸にした考えを追加しました。 今、少年漫画誌で「理想」と「現実」をテーマの軸に据えたマンガが、『神のみぞ知るセカイ』、『この彼女はフィクションです。』、『バクマン。』と三者三様に連載されていることに気がついたので、まとめてみました。 他の方のご意見がぜひ聞いてみたいところです。 7699 pv 37 7 users
まとめ 『この彼女はフィクションです。』最終回を迎えて~ユーリが選んだ理想 『この彼女はフィクションです。』最終巻発売を記念して、『この彼女はフィクションです。』を読んで思うところをまとめてみました。 ユーリはいかに理想と向き合ったのか? まだ言葉にしきれない部分もあるように思いますが、皆さんの感想もお聞かせいただければ幸いです。 8814 pv 20 2 users
相応恣意 @aioushii

まず、神のみの最終回については色々と賛否両論の声が上がっていますが、例えるならこれは、凹凸の無いパズルのピースを渡された状態に近いと思っています。実際、若木先生もtwitterなどで「ピースは揃ってる」的な発言をされています。

2014-06-22 23:28:40
相応恣意 @aioushii

でもそこに凹凸が無いものだから、各々が自分なりにパズルを完成させてしまっている。読者に判断をゆだねるって言うと聞こえはいいけれど、流石に凹凸くらいはあっても良かったと思うんですよ。まあ、凹凸をつける前に最終回を迎えたっていうのが正しいところなんでしょうけれど。

2014-06-22 23:30:40
相応恣意 @aioushii

話は逸れますが、読者に解釈をゆだねるところが大きいラストって『うみねこのなく頃に』『Remember11』といったギャルゲーを彷彿とさせるんですが、そういった意味では神のみはギャルゲー的エンディングを迎えたのかなと(自分の見る限り、同様の指摘はないのでこの解釈は異端かも)。

2014-06-22 23:34:09
相応恣意 @aioushii

と、そういった前置きをしたうえで、自分が最終回をどう見たかと言えば――非常に納得のいく最終回でした。少なくとも自分が特に注視していた『理想』『現実』を巡る桂馬の物語として見れば、綺麗に完結していると思います。

2014-06-22 23:36:07
相応恣意 @aioushii

神のみを一躍有名にした、「現実なんてクソゲーだ!」というセリフから始まった桂馬の物語が、「こんなにやりがいのあるゲームはなかった。ボクは満足だ。」と言うまでになり、1人の女の子に告白する形で終着点を迎える。

2014-06-22 23:40:55
相応恣意 @aioushii

さらに忘れてはいけないのは、桂馬が決してゲームという理想を捨ててはいないということ。最終回でも描写されているが、桂馬はゲームをすることを、「酸素」=なくてはならないものとまで言っている。

2014-06-22 23:42:42
相応恣意 @aioushii

結論から言うと、桂馬は決して「理想」を捨ててはいない。「現実」の中にも「理想」を見出すことができるようになった。それがこの物語の結末だったと思っています。

2014-06-22 23:47:30
相応恣意 @aioushii

それを「成長」と呼べるかと言えば、そうではないかもしれない。ただ少なくとも、明確な「変化」ではあると思う。

2014-06-22 23:49:12
相応恣意 @aioushii

そもそも、桂馬は何に理想を見出し、現実のどこに絶望していたか。

2014-06-22 23:51:18
相応恣意 @aioushii

桂馬がゲームを語る上で、賞賛しているのは「理論的」で「合理的」な美であり、現実を語る上で唾棄しているのは「不合理」であり、「不条理」だった。

2014-06-22 23:52:50
相応恣意 @aioushii

つまり桂馬は、(本来の意味での)ゲーム理論における最適解の行動にこそ美を見出し、それこそが「理想」だと思っていた。

2014-06-22 23:54:31
相応恣意 @aioushii

でもこれって、実は「現実」とは矛盾しない。だからこそ、桂馬の「ゲーム理論による攻略」は成功した。そもそも「ゲーム理論による攻略」っていうから荒唐無稽に思えるけれど、桂馬の攻略手法は「合理的」で、ある意味では「現実的」ですらある。

2014-06-22 23:57:29
相応恣意 @aioushii

桂馬のように自覚的に、ある意味では偽悪的にやる人はまずいないでしょうが、好きな人の趣味嗜好にあわせて振る舞いを変えるのは、現実では非常によくあること。自分の好きな人が好きって言っていた本を読んでみるとか、音楽を聴いてみるとか、多分、誰でも覚えがあることだと思う。

2014-06-22 23:59:27
相応恣意 @aioushii

同時に桂馬が忌み嫌う「現実」ならではの不合理や不条理もまた、攻略には付き纏ってくる。それを最も象徴したのは、ちひろだった。

2014-06-23 00:03:41
相応恣意 @aioushii

攻略時も、ちひろを手伝うという名目だったはずなのに、気づけばちひろの恋愛対象は桂馬になっていた。女神篇の再攻略時も、「好きになるのに…理由なんてないよ!」と言われ、それは有り得ないと焦っている。

2014-06-23 00:07:21
相応恣意 @aioushii

そういう意味では、不条理で不合理の象徴たるちひろ桂馬が好きになったのは、きっと物語的には必然だった。

2014-06-23 00:09:04
相応恣意 @aioushii

桂馬はいつ、なぜ、ちひろを好きになったのか。そんなこと言うまでもない。 「気がついたらもう、好きになってたのさ!!」

2014-06-23 00:11:07
相応恣意 @aioushii

確かに理想的で合理的な世界は美しいかもしれない。けれどそれは時として予定調和な、面白みのない世界へと至る危険をはらんでいる。

2014-06-23 00:14:03
相応恣意 @aioushii

でも現実は時として不条理で不合理で――だからこそ面白い。二階堂が言うところの「だから、好きになったんだろう?」はきっとそういうことで、桂馬が現実に向き合うことの一種の桂馬の意思表明が、ちひろへの告白だったんだと思います。

2014-06-23 00:16:16
相応恣意 @aioushii

以上でまあ、桂馬「理想」「現実」についての話は終わりなんですが、これらを踏まえた上でもう一歩踏み込みたいと思います。桂馬ちひろ以外のヒロインに対する扱いが、雑ではないかと言う批判について。

2014-06-23 00:19:21
相応恣意 @aioushii

まず桂馬は攻略ヒロインたちのことをどう思っていたのか。天理は「桂馬くんは……誰も好きじゃないもん」と言っているが、本当にそうだろうか。

2014-06-23 00:24:22