知識人宗教とグノーシス-問題としてのR・シュタイナー-より
- Abraxas_Aeon
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グノーシス:ギリシャ語で「認識」の意。おのれの内にある至高神に由来する霊的な本質(本来的自己)を認識するかどうかで、個々人の救済が果たされるか否かがかかっている、とするグノーシス主義の根幹をなすキータームであり、グノーシス主義がまさに「グノーシス主義」と呼ばれる所以である。
2010-11-01 21:58:58教示者が心魂的な人間に霊的な本質を告げ知らせるという形で、その認識を促すパターンが多い。エイレナイオス『異端反駁』の報告によるヴァレンティノス派グノーシス主義においては、過失を犯したソフィアが「存在において」形作られることが「認識に基づいて」形作られることに対照されている。
2010-11-01 22:01:02同書では、後者が終末論的完成の意味で語られる。『この世の起源について』においては、「自分の認識」が「自分の本性」を明らかにする。特に『フィリポによる福音書』と『真理の福音』、および『アダムの黙示録』がかなり高頻度の割合で「認識」について言及する。
2010-11-01 22:01:58このグノーシスの意味は、認識欲に駆られ、その分を超えた欲望を満たそうとすることとは次元を異にし、むしろ、それに対しては戒めの意味をも持たせていることに注意。ソフィアの至高神に対する認識欲に駆られた結果である過失は、まさにその認識についての注意点としても語られているといえる。
2010-11-01 22:03:53ヒッポリュトス『全異端反駁』にあるバシレイデス派グノーシス主義についての報告では、その終末において、「存在しない神」の超越的世界から「蒼穹」によって分け隔てられている「この世」に、「存在しない神」が「大いなる無知(agnoia)」を投げかけるとされる。
2010-11-01 22:13:20これは、「この世」にある超越的世界に帰属しないすべてのものが、分を超えた認識欲に二度と苦しむことがないようにするという点に、「認識」の両価性が表現されているといえる。
2010-11-01 22:14:10極端なグノーシス主義と違って、ヘルメス主義は物質を創造の必要部分と考えているようである。霊が物質を超えて上昇するためには、物質を理解し征服しなくてはならない。従ってヘルメス主義的神秘主義と物質の作用と操作に関する教義とは共存する。(クリストファー・マッキントッシュ)
2010-11-03 12:23:58@iwri 『啓蒙と霊性』がきたので、「知識人宗教とグノーシス-問題としてのR・シュタイナー-」の項目から読んでます(笑)。とても面白いです。
2010-11-12 20:48:35@iwri 奮発して買っちゃいましたよw。江川先生たちに是非にと勧められちゃったのでw。たしかに高かった・・・w。
2010-11-12 20:52:25@Abraxas_Aeon @iwri なんちう値段。あぶらさんに面白いと言われると食指が動くのだが、それ以前の手が動けなくゥワァ───ヽ(゚`Д´゚)ノ───ァァン!!
2010-11-12 20:52:48いうまでもなくグノーシス主義及びグノーシス一般にとって最も核心をなす言葉は「認識」、即ち「本来の自己の認識」である。そしてこの「認識」が、グノーシス(主義)にとっての「救済」を意味している。
2010-11-12 21:46:04一方シュタイナーにおいても「認識」や「自己認識」は、その思想の初期から晩年に到るまで恐らく最も使用頻度の高いキーワードである。「真の自己の霊的本性の認識を通じて、人間は救済を得る」というフレーズをシュタイナー思想の巨視的特徴づけとしたとしても、恐らく的外れではない。(深澤英隆)
2010-11-12 21:48:06しかし、シュタイナーが実際に語る認識の方法や内容は、古代のグノーシス主義と遠く響き合いつつも、決定的に異なってもいる。(深澤英隆)
2010-11-12 21:49:19ついにお買いになったのですね、さすがです。日本人による宗教学、たいしたものでしょ♪ww 私たちに求められているのは、これを出発点にすることなのです。 RT @Abraxas_Aeon: 江川先生、『啓蒙と霊性』きました。この本凄すぎ・・・w。
2010-11-12 21:49:59シュタイナーの語る「認識」の概念は、19世紀後半の「認識論」の意味での「認識」の含意を、まずは基礎としている。そしてシュタイナーの何よりの関心事は、宗教的な意味での救済というよりも、カント以来哲学と実証科学が人間に課してきたいわゆる「認識の限界」の踏破であった。(深澤英隆)
2010-11-12 22:00:04彼が倦まずたゆまず主張し続けたのは、人間の自然的な認識の限界は、特定の修練によって克服できること、心性と思惟への組織的働きかけによって、人間は外的感覚世界の根底をなす諸世界の認識を、しかも自然科学と類比的な厳密性をもった「霊性科学」による認識という形で獲得できるということだった。
2010-11-12 22:04:17