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メルマガ 週刊「日本語教育」批評 @NKhihyo
カルチュラル・タイフーン2014 cultural-typhoon.com/2014/ 公開講座「カルチュラルスタディーズとメディア」田仲康博
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なんか演劇みたいのが始まった。すげえ!
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「ケータイ空間の誘惑」 今のパフォーマンスと緩やかにつながるのではないかと期待している。
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メディアとカルチュラル・スタディーズ 「ここではみなさんがイメージするようなメディア論、ジャーナリズムや媒体に関しては話さない」
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メディアを動詞で考える。 中間に立って何かをする。 メディエーション つまり、物と物、人と人の関係のあり方を決める
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パフォーマンスが始まって、居心地の悪い思いをしたかもしれない。 どうやったら、人の声をきちんと聴けるか。
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新しいメディアの登場 写本→印刷術の登場→書物の大量複製、注釈者(評論家、読み方を教えてくれる人)の時代、読み方の変化(黙読、みんなで読み必要がない、声を上げる必要がない→黙読と音読では体の動きが異なる、耳から入っていた知識が目から入っていくる)
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記憶の構造の変化(人から人にゆっくり伝わっていたものが多くの人に早く正確に伝わるようになる)、伝承、社会的記憶(ある記憶を共有する人たちがある社会を創る、初めから社会があるわけではない)、国民の登場(新聞により同じ情報を共有できるようになる、同じところにいるとう感覚が生まれる)
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(記憶を共有するところに国民が生まれる、国民国家の誕生にはメディアが関わっている)
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今日のテーマ:ケータイ&スマホを通してみる現代社会 ・ケータイの歴史:固定電話からケータイへ、テクノロジーと社会の変容
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ケータイ前史 ショルダーホン(1989年5月に登場) 重さ3Kg 無線免許(1989年)が必要だった。
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初期の携帯端末、重く大きい。 MINIMO誕生(1990年) Camesse by NTT(1999年):キャメッセは撮影した写真を送ることができた。
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スマホの登場、ケータイのガラケー化 意外にいまだにケータイを使っている人も多い。
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・日本のインターネット普及率:30位ぐらい ・携帯電話普及率(2005年):20位ぐらい、今もあまり変わらない。 ・スマホ普及率(2013年):日本25~40%
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携帯電話は増え続けている。 固定電話は減り続けている。
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・固定電話(玄関に置かれている)の時代 〈内〉⇔〈外〉 家/家族(親密空間)⇔公共空間(他者の世界) ・親子電話・コードレス 個人の空間⇔公共空間のプライベート化 ・ケータイ空間の誕生 境界の消失? 「漂流する私的空間」(P.フリッシー)
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日本では公共空間でのケータイ使用が疎まれる傾向がある←この人は同じ電車に乗っているのにここにいない感じがする。〈内〉〈外〉の境界が消失する過渡期の現象?
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「漂流する私的空間」:私的空間そのものが移動する。繭みたいなもの?ある種の全能感?知らない人の中にいる不安感を打ち消すため?田仲:ある程度知っている人がいる空間が苦手。そういう人にとってケータイは便利。
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都市空間の変容(社会レベルでの変化) ・古典的な意味での都市 明確な輪郭・境界をもつ物理的な都市 鉄、ガラス、コンクリート、物、人・・・ ↓
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・無数の私的空間がつながるネットワーク型社会 変化(消失?)する境界 グローバリゼーション(無数のローカル)
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・「ヴァーチャルVS.リアル」は、もう古い?! Facebookの中(上、どこ?)で暮らす私・・・。あまりヴァーチャルにいるという感覚がない。
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ケータイ空間の未来 ・リアリティの感覚の変容:空間、身体、他者 メディアを通して構築される風景(関係)が変わりつつある アゴラ(広場、市民が集まって意見を交換する場)の消失←まずい 「市民」(奴隷制社会ではエリート階層)→消費者(資本に直結する身体、個々人が広告塔になる、思考停止
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例:Amazonのレコメンド、facebookの広告←無意識に広告塔となって宣伝している 発信はしやすくなったが、意見ではなく、日常生活の細かいアクティビティが発信されている→思考停止 ・「安全・安心」の陰で・・・ いわゆる「共生社会」←他者の排除
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