茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1276回「船長と、乗客」
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せじ(1)ぼくがツイッターなどを見ていて、ふしぎだな、と思うのは、何かが流行ると、そのことをああだこうだという動きである。たとえば、AKB48が流行ると、ああいうのはどうだとか、こうだとか、批判する人が必ず出てくる。こういうのを、ぼくはふしぎだと思う。
2014-07-04 07:09:13せじ(2)なぜふしぎと思うかというと、AKB48が好きな人は見ればいいし、そうでない人は見なければいい、と思うからである。今年のグラミー賞で賞を受けたDaft PunkとPharrell WilliamsのGet Luckyの方がいい、と思えば勝手にそっちを聞けばいい。
2014-07-04 07:11:35せじ(3)ここで大事なのは、AKB48がいい、という人と、Daft Punkがいい、という人は、世の中で共存できるということだ。しかも、趣味が違う人がいっしょにお酒を飲むと、話が弾んでじつに面白い、ということがある。どっちの方がいい、と勝負する意味は、全くないのだ。
2014-07-04 07:12:37せじ(4)早稲田と慶応もそうで、早稲田の方がいい、という人は早稲田に行けばいいし、慶応がいい、という人は慶応に行けばいい。文学もそうで、漱石がいい、という人は漱石読めばいいし、ラノベのAll You Need Is Killみたいな方が好き、という人は、そっちを読めばいい。
2014-07-04 07:14:01せじ(5)つまり、「民間」における事象は、たいてい共存できるので、自分がすきではないものがあったとしても、それはほっておけばいい。それが分からずに批判したり、罵倒したりしている人がいるが、それは「居着いて」いるのだ。居着かずに、他の場所にいけばいいだけの話なのだ。
2014-07-04 07:15:37せじ(6)一方、「政治」はそうはいかない。Aさんもいれば、Bさんもいる、Cさんもいる、という風に共存できる民間と違って、ある時期に内閣総理大臣をできるのはひとりしかいないし、各省庁の大臣もひとりしかいない。誰かがその役を担うと、他の人がその役を担う機会がうばわれる。
2014-07-04 07:16:58せじ(7)民間の事象における批判は、やってもいいけど余り意味がない。AKB48を批判したい人は、やってもいいけど、本当は他のことに眼を向けた方が生産的だし、共存的だ。しかし、政治家は批判されて当然である。なぜならば、その地位にいることで、他の人の機会をうばっているからだ。
2014-07-04 07:18:04せじ(8)以上の話を、船にたとえよう。大きな船の上で、船客がなにをしているかは、さまざまでいい。プールサイドで寝ている人も、カジノをする人も、ビールを飲む人もいていい。しかし、船長は、ひとりしかいない。その船長が、とんでもない方向に行ってたら、「おい、代われよ!」となる。
2014-07-04 07:19:17せじ(9)英国の憲政では、党首をその党の議員たち自身が交代させようと試みるleadership challengeの慣習がある。(e.g. independent.co.uk/news/uk/politi…)。首相にせよ、党首にせよ、機会の限られた地位にふさわしくない人がいる場合、交代するべきだろう。
2014-07-04 07:24:23