石岡さん、大いに語る:崇高と技術とベンヤミンとカントとアレント
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ハッシュタグ #waseda_akane がうまく追えなかったけど(半角スペースの使い方だろうか?私も覚えあり)、 @esehara さんによる @kaichoo さんトークイベントの概要を知った。批評=危機という表現はよく用いられるが、そこに「ゲーム」を加えることで見える風景。
2010-02-23 21:39:52Review House 03 http://bit.ly/bqXTUs ゲーム座談会の、スペース上外した箇所で、私はベンヤミンが『複製技術』で提示した「仮象Scheinから遊戯Spielへ」の検討を示唆していた。もちろん演劇や映画が一義的な対象だが、ゲームを加えるとどうなるか。
2010-02-23 21:52:03ベンヤミンの映画論では、「経験と貧困」にも言えることだが、チャップリンと並んでミッキーマウスが考察対象であることが目をひく。ディズニーが「生命を吹き込む魔法Illusion of Life」の美学を確立する以前の、きわめて猥雑な時期のミッキー。
2010-02-23 21:55:09映画は実は国際商品だったからね。テレビはまだ当然無いし、衛星中継なんてもっとずっと後。フィルムが海を渡ってきた。ソクーロフ『太陽』でパーソナルに映画を楽しむ天皇。 @yishioka
2010-02-23 21:58:21ベンヤミンの「遊動空間Spielraum」については以下の文献から示唆を得た。Miriam Bratu Hansen, “Room-for-Play: Benjamin's Gamble with Cinema.” October 109 : 3-45.
2010-02-23 21:59:10ベンヤミンが考えたのは「そもそも経験が成り立たない」状況。WW1の外傷的経験によって「身体」すら頼りにならなくなる。フロイトの『快感原則の彼岸』と共通の関心。経験すら奢侈品であろう。そんなとき、チャップリンとミッキーがヒーローだった。20c末期ならばMJがそれにあたる。
2010-02-23 22:04:34このように、ベンヤミンの遊戯Spielから「ゲーム」を考えることは、現在における「経験」や「身体」の批評的吟味を示唆している。"Hollywood Flatlands" http://bit.ly/b2kzpa をオートマティックに買ってしまうような経験。
2010-02-23 22:51:49.@nonomurax この問題について考えていたところ、アマゾンがすすめるがままに Esther Leslie, "Hollywood Flatlands" を買ったところ、野々村さんの書評が目に止まった記憶があります。批評理論とアニメーションについての好著だと思います。
2010-02-23 22:09:03ホルワードのドゥルーズ論でも買おうかな。RT @VersoBooksUK Peter Hallward talks about Haiti on Democracy Now! http://tinyurl.com/ydw7abb
2010-02-23 22:55:36Bot的に"Hollywood Flatlands" http://bit.ly/b2kzpa をカートに入れた。すでに"Art of Projection"も入ってたw
2010-02-23 23:04:43あるあるw RT @ep_zero: Bot的に"Hollywood Flatlands" http://bit.ly/b2kzpa をカートに入れた。すでに"Art of Projection"も入ってたw
2010-02-23 23:08:09前から気になっているのだが、ベンヤミンはやはりカントの『判断力』やシラーを前提としてこう言っているのだろうか? もしそうなら、そこから引き出せる帰結は何? RT @yishioka: ベンヤミンの「遊動空間Spielraum」
2010-02-23 23:07:46ベンヤミンにカントがいる説はたまに聞くんだけど、何か面白い先行研究ってあるのかな。RT @waschmaschine //ベンヤミンはやはりカントの『判断力』やシラーを前提としてこう言っているのだろうか?//RT @yishioka: ベンヤミンの「遊動空間Spielraum」
2010-02-23 23:17:43手許にあるちくま学術文庫(第二稿)の原註10では、ヘーゲルにふれつつミメーシスを「仮象」と「遊戯」に分け、仮象の衰退について語っています RT @waschmaschine: 前から気になっているのだが、ベンヤミンはやはりカントの『判断力』やシラーを前提として
2010-02-23 23:19:10ベンヤミンは「原始時代(第一)の技術」と「現代(第二)の技術」をわけ、「第二の技術の根源は、人間がはじめて、そして無意識の狡智をもって、自然から距離をとりはじめたところに求められる。別の言葉で言えば、この根源は遊戯にある。」と述べる。ただゲームでは別の自然が戻っていると考えられる
2010-02-23 23:32:38ありがとうございます! カントについて博論を用意してたのだから、何かあるはず… RT @yishioka: …ヘーゲルにふれつつミメーシスを「仮象」と「遊戯」に分け、仮象の衰退について… RT @waschmaschine: ベンヤミンは…カントの『判断力』やシラーを前提…
2010-02-23 23:24:40.@yishioka 「遊戯」に肯定的な意味合いが込められているのはわかるのですが、それがカント、シラーとどこまでつながってくるのか。単なる「遊び場」の気もしますしw。仮象の先、ってことはイメージ化、概念化が不能ってことでしょうか。
2010-02-23 23:36:37うーむ、やはりカント的な「悟性と構想力の自由な一致」か。RT @yishioka: ベンヤミンは…「第二の技術の根源は、人間がはじめて、そして無意識の狡智をもって、自然から距離をとりはじめたところに求められる。別の言葉で言えば、この根源は遊戯にある。」と述べる…
2010-02-23 23:40:24.@waschmaschine 哲学的美学よりは、当時の新学問であった「芸術学Kunstwissenschaft」の可能性を念頭に置いていたと思います。ミッキーマウスを「集団的な夢の形象」と高く評価しており、そこにゲーテ的なBildungとは異なる創造をみていたはずです。
2010-02-23 23:43:33「集団的」というのがミソですね。以前聴いた発表でも共産主義とのつながりが指摘されてました。RT @yishioka: .@waschmaschine …「芸術学…」の可能性を念頭…。ミッキーマウスを「集団的な夢の形象」と高く評価…、ゲーテ的なBildungとは異なる創造…
2010-02-23 23:48:01.@waschmaschine もちろん思考の構えとしてカントの「諸能力の自由な遊動的一致」が念頭にあるとは思いますが、それを調和に導くというよりは、ダダなどの「異化」に基づいた「ショック」に強調があるでしょう。なぜなら「経験」が自明ではないのですから。
2010-02-23 23:52:30なるほど、「一致」ではなく「遊動的」に力点があるわけですね。必ずしも「経験」を構成する必要はない。RT @yishioka: .@waschmaschine カントの「諸能力の自由な遊動的一致」…ダダなどの「異化」に基づいた「ショック」に強調…。なぜなら「経験」が自明ではない…。
2010-02-23 23:58:57ふとベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』のⅢ節、Ⅳ節のみを読み返していた。『複製技術時代の芸術作品』Ⅲ節では、アウラに二つの説明が施されている。
2010-02-24 00:11:06a.オリジナルのもつ〈いま-ここ〉的性質。それによって形成されるオリジナルの真正さ。手製の複製では失われないが技術的複製では失われる。(p.588) 事物の真正さは、事物において根源から伝承されるものすべてを総括する概念。
2010-02-24 00:11:21b. 同時にこの概念は、事物の物質的存続性、それにもとづく歴史的証言力を含む。物質的存続性はたとえば、大聖堂を大聖堂で受容すること、音楽をその場で聴くこと。 後者はいじれる。物質的存続性って何なんだろう? と。
2010-02-24 00:11:35