藤村龍至さんの建築学会・学会作品賞受賞者記念講演会。 受賞作品 SHERE yaraicho(篠原聡子+内村綾乃)、明治安田生命新東陽町ビル(菅順二)、NBF大崎ビル(山梨知彦+羽鳥達也+石原嘉人+川島範久)についてのつぶやき
昨晩は建築学会で学会作品賞受賞者記念講演会。文化事業委員会の担当者としてシンポジウムの司会に登壇させて頂く。今年度の受賞作品はSHERE yaraicho(篠原聡子+内村綾乃)、明治安田生命新東陽町ビル(菅順二)、NBF大崎ビル(山梨知彦+羽鳥達也+石原嘉人+川島範久)。
2014-07-10 09:32:55SHERE yaraichoと旧ソニーシティは拝見していたのだが明治安田生命東陽町ビルは初めてプレゼンテーションを拝聴。9万㎡の事務センター。中央のボイド、スキップして上昇していくオフィスフロア、人工地盤とそのうえの研修施設。吊られた吹き抜け。
2014-07-10 09:39:00100m角、高さ約60mの全体ボリュームを奈良の東大寺を例に説明されたので面白かった。確かに手前のスペースの取り方は伽藍配置っぽい。「せんだい」が50m角、高さ約30mだったので平面、断面とも約2倍。床を短冊上にしてスキップさせていく考えは「せんだい」2等の古谷案を思い出す。
2014-07-10 09:42:08篠原さんは敷地の歴史や江戸の長屋の生活を紹介するなどしきりに江戸時代の文脈を強調していた。なるほどこれが与那覇さんのいう「再江戸化」かあ、とのんきに構えていたら「東陽町」が奈良時代ということで学会賞が江戸時代vs奈良時代の対決にw
2014-07-10 09:49:33でも奈良時代は中国から仏教が大量流入してきて巨大建築がドカドカと建設された時代でもあるので建築の世界も「中国化」と「再江戸化」ってことでわかりやすく説明されるのかも知れないw
2014-07-10 09:52:19140m角の巨大高層板状建築であるソニービルは、2000年代の電通ビル、六本木ヒルズ、ミッドタウン、丸ビルと続いてきたアトリエデザインアーキテクト+組織設計という表層派と深層派の対立がひとつに統合された記念すべき建築ということになるかなと思った。
2014-07-10 09:55:45アトリエ派建築家にとっては巨大建築にかかわる唯一のチャンスである「表層」という砦を日建設計山梨チームに奪われてしまったことで役割が問われることになりそうですね。
2014-07-10 09:58:031910年代の佐野利器以降、工学派はその社会性を主張することによって意匠派を駆逐する構図があって、関東大震災1923が決定機になって堀口らが分離派を作って東大を出て創設期の藝大1932に関わったり明治大創設に関わったり1947していき、構造派と芸術派が対比されていくわけだが。
2014-07-10 10:01:45佐野は東工大と日大の創設に関わり、東大退官後に清水組の副社長を務めたりして連続多層ラーメンの耐震耐火建築を広め、今日のゼネコンの基礎を作っていく。耐震耐火、大量生産、都市計画をテーマに意匠派の前衛芸術運動を追い込む、と。
2014-07-10 10:06:11佐野利器は1914年に構造設計で関わった東京駅が竣工した後の1915年くらいから学会で耐震・耐火・大量生産・都市計画などのディスカッションを仕掛けていく。1923年関東大震災。耐震耐火建築としての鉄筋コンクリート造が注目されるきっかけ。
2014-07-10 23:44:19「デザイナーはデザインのことばかり考えて社会性がない」という批判の先祖は佐野なのだろう。デザイナーが上手く反論できればよかったのだろうけど、関東大震災が構造派の立場を極端に強めた。社会と繋がっているのはエンジニア、デザイナーは非社会的というレッテルが貼られる。
2014-07-10 23:46:27戦後、丹下健三は意匠・工学・社会が3拍子奇跡的に揃う。でもそれも1960年代前半まで。丹下の軸線による集中投資論も池田内閣の全国総合開発計画1962まではよかったが、インフラをばらまくことになった新全総合開発計画1969以降分が悪くなる。
2014-07-10 23:49:59そして都市計画法改正1961による特定街区制度導入による日本初の超高層をめぐる競争。電通吉田+丹下 vs 三井不動産+山下設計がしのぎを削っていたが、電通吉田社長の死去により計画が縮小、三井不動産+山下設計が霞ヶ関ビル1968を日本初の超高層として実現し、山下設計の勝利。
2014-07-10 23:57:08霞ヶ関ビルはテナントビルだから施主の三井不動産は外観に関心なし。ここで超高層=技術力=組織というイメージが確立。巨大建築論争1974を経てアトリエ派は文化施設、組織派は生産施設、という棲み分けが起こる(各ビールメーカー)。ここでも社会と繋がっているのは組織派というイメージ。
2014-07-11 00:01:27バブルまでは文化商業施設、生産業務施設で使い分け、棲み分けられていたアトリエ派と組織派は2000年代に入ると電通本社2003、六本木ヒルズ2003、東京ミッドタウン2007、新丸の内ビル2007などひとつのプロジェクトの表層担当と深層担当として統合。
2014-07-11 00:51:11今年度のソニーシティ2011の建築学会作品賞受賞は以上のような日本近現代建築史の流れで見ると1920年代佐野vs堀口の構造派vs芸術派、1970年代組織派 vs アトリエ派、2000年代深層派 vs 表層派の構図のひとつの帰結で深層派による表層の統合。これはひとつの事件ですね。
2014-07-11 00:57:21アメリカではSHoPのバークリーズセンターのように表層派による深層の統合も起こっている。日建山梨チームと逆パターン。背景にはグローバル経済を背景にした都市間競争とブルームバーグ市長の強力な文化政策とリーマンショックによる建設業界の再編。日本でも起こりうる流れだと思う。
2014-07-11 01:01:342014年にプロフェッサーアーキテクトの篠原さんらが住宅系作品で、竹中工務店菅さんと日建山梨チームが巨大業務系施設で建築学会作品賞を受賞したことの意味はあとからじわりじわりと意味を持って来るのだろう。
2014-07-11 01:04:562014年は巨大建築論争40周年の東海道新幹線開通50周年。巨大建築論争で村松貞次郎が神代雄一郎の事実誤認を攻撃して以来、日本では技術力を高めた組織設計事務所のことも、巨大建築のことも批評することはなかったわけなのだが、これだけ蓄積が出て来ると作家性とか批評が出て来るのは当然。
2014-07-11 01:11:04だから昨晩ももっと時間を取って菅さんと山梨さんの外周コア相互批評とかできればよかったし、避難安全検証法が生む高層板状の薄型避難バルコニー建築とセンターコアのダブルスキンカーテンウォールが生む日建亀井型タワーとの対比を語っても面白かった。批評するだけの材料が揃ってきたのだから。
2014-07-11 01:16:18アトリエ建築家も最近は他人の作品を論じて自作を語ることは少ないけれど、菅さんも山梨さんも自社のプロジェクトどうしは比べるけど、他社作品と比べて論じることは少ないような。それが出て来ると巨大建築にも批評とか議論が生まれる。本当はそういう場をつくる批評家とか雑誌があればいいのだけど。
2014-07-11 01:19:32巨大建築に関わる人は多いけれど、コストとか環境性能以上に自分たちが達成したことを比較したり論じたりする場がないのはストレスじゃないのかな。普通は何か作ったら同業者にいろいろ言ってもらいたいものなのでは。でもこの40年はそういう場がなかったわけで。
2014-07-11 01:22:10というわけで建築の「作品」の棲み分けイメージや概念が大きく塗り替わりつつある時期。しっかり見極めていきたい。
2014-07-11 01:41:29