- helmsman2196
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我々は無数に散らばった点であり、その中からできる限り多くの線を抽出する方法を見出だしていくとする、それを多く知れば知るほどに、ひとつの外れ値である点とそうでない点をむしろ平等に扱う勇気が得られるだろうか。
2010-11-14 08:57:06私は凡才なので、過去の蓄積からしか何かをなすことはできない、およそ人であればそうなのだが、それがまるで錬金術のように唐突に他人から見える人間が天才と呼ばれるのかもしれない。天才とは他者の謎解きの欲求を駆り立てる人間なのかもしれない。
2010-11-14 09:02:12@MissaWS はじめまして。この比喩に言う「点」や「線」というのは数学的表象として用いられた言葉なのでしょうか。つまり、大きさをもたない「点」、太さをもたない「線」という意味でしょうか。
2010-11-14 10:00:26@MissaWS 返信ありがとうございます。だとすると、矛盾がある気がします。「外れ値」という表現からは、そこに唯一性や固有性を読み込もうとする意図を感じるのですが、数学的記号としての「点」にはどこまでいっても唯一性や固有性を見出だせないと思うのです。独善的解釈なのですが…。
2010-11-14 10:23:49面白い指摘!! RT @rotary26b787b 返信ありがとうございます。だとすると、矛盾がある気がします。「外れ値」という表現からは、そこに唯一性や固有性を読み込もうとする意図を感じるのですが、数学的記号としての「点」にはどこまでいっても唯一性や固有性を見出だせないと思う…
2010-11-14 13:16:59なるほどー、数学的表象で描かれる三角形と、僕等が鉛筆で描く三角形は違うわけだ. QT @rotary26b787b 「点」や「線」というのは数学的表象として用いられた言葉なのでしょうか。つまり、大きさをもたない「点」、太さをもたない「線」という意味でしょうか
2010-11-14 13:28:58@rotary26b787b こちらこそ。比喩に突っ込んでくれる方はそういないので、嬉しい意味で興奮します(危)該当ツイートは、統計上はその死さえも単なるひとつのグラフ上の点に過ぎない人間の矛盾への感慨で、「数学的記号としての「点」…見出だせない」はあなたと認識を同じくしています
2010-11-14 13:59:05@rotary26b787b 「ひとつの外れ値である点」という表現は、「ひとつの抽出法においては外れ値となりうる点」(この場合比喩的に点=人間)としたほうがわかり易かったかもしれません。つまり、統計抽出の方法、理論抽出の方法は数々あるわけで、それをできる限り多く知っていくことは、
2010-11-14 14:05:45@rotary26b787b あるものの見方(往々にして常識と呼ばれる理論抽出)によっては外れ値として扱われ得る人間を、同じ見方によっては外れ値でない人間を受け入れるのと同等のフラットな心持(あるいは勇気)をもって眺めるようになれることを意味するだろうか、と今朝思ったのです。笑
2010-11-14 14:09:56@rotary26b787b あるひとつの重々しい個別性を持ったはずの人間の生が往々にして数字としてしか扱われない(存在が捨象される)ことの悲劇は、古今東西の文学が訴えてきたものと思いますが、個人的にそれを恐ろしく感じたのは、幼いころ風呂場に虫がいて殺せなかった時、そんなものは
2010-11-14 14:13:58@MissaWS 私にも「統計上はその死さえも単なるひとつのグラフ上の点に過ぎない人間の矛盾への感慨」がつねにあります。鉄道における人身事故(おそらくほとんどが自殺による)に伴う人の死が、電光掲示板上の輝点と利用客のため息にしか還元されえないことに憤りを感じています。
2010-11-14 14:14:25@rotary26b787b ただの点なのだから殺しなさい、と母が言ったことでしたね・・・。笑 点である生とは何ものなのかという恐れが先んじてしまいしばらく考え込んだ思い出があります。笑 長々と失礼。
2010-11-14 14:15:38@MissaWS なかなかラディカルなお母様ですね(笑)デカルトが道を歩いていて、近くにいた犬をいきなり蹴り飛ばし、友人に「犬は精神を持たず、単なる物体に過ぎないのだから蹴飛ばしても構わない」と話したという逸話を思い出しました。
2010-11-14 14:23:02死者の表象とは常に生きる人間のためにあるものなのでね。生きる人間の時間を止めることはできず、死者が時間の中に再解釈され盛り込まれることを思えば、ラッシュアワーのあわただしい時間なりの扱い方なのでしょう。RT @rotary26b787b 鉄道における人身事故…電光掲示板上の輝点…
2010-11-14 14:28:08デカルトの思想が端的に現れている気がwRT @rotary26b787b なかなかラディカルなお母様ですね(笑)デカルトが道を歩いていて、近くにいた犬をいきなり蹴り飛ばし、友人に「犬は精神を持たず、単なる物体に過ぎないのだから蹴飛ばしても構わない」と話したという逸話を思い出し…
2010-11-14 14:30:25@MissaWS 話が相前後してごめんなさい。「あるひとつの重々しい個別性を持ったはずの人間の生」を「比喩的に」であったとしても、「点」という言葉で表現することには違和感を抱いてしまいます。実はこれが最も言いたかったことなのです。私の美学に反するというか…(笑)
2010-11-14 14:38:23そうか…厳密ですね。いいと思います。私は、表象において究極的には人間が点に過ぎない事を受け入れようかと思います。描き方によっては点に過ぎない、でもそれだけではない、というかね。RT @rotary26b787b 「比喩的に」であったとしても、「点」という言葉で表現…違和感…
2010-11-14 14:45:07@MissaWS 「(人身事故による)死者が時間の中に再解釈され盛り込まれ」ているようには到底思えないところが悲しいのです。ゆっくりと物事を考えられる時間が与えられたとして、いったいどれほどの人がその死者に想いを馳せるだろうか、と。
2010-11-14 14:48:37@MissaWS @rotary26b787b 間から失礼します。もしも話が終わってたらごめんなさい。私は人間を点と捉えることに違和感がありません。何故なら、人間の持つ個性や独自性というものは、相対化によって初めて定義付けられるからです。人間そのものに個性なんてないと思っています
2010-11-14 14:55:08@MissaWS @rotary26b787b 点には位置情報がありますが、それも相対的なものにすぎません。点と点が連なって初めて線となり、更には多次元となり、新たな解釈を持たせることができるように、人間もそのようなものではないかと感じます。あくまでも私の捉え方、ですけどね。
2010-11-14 14:56:40どうも話がずれてる気がするのは、きっと考えている空間に時間を含むか含まないかの前提が違うからだろう、とわたしは思う。t=kの空間で考える点と、tを0~kにして空間を辿る軌跡を同じテーブルに乗せて話すのは、なんか違うイメージ。もやもや
2010-11-14 15:10:23@s7_Hachi 文脈がわからず口出ししますが、後者のは時間積分のイメージですね。その時点の影響と、その時点までの影響の蓄積と考えたら、まあ違うでしょうね。
2010-11-14 15:22:03@banchief ですね。ある空間内の状態点を人だとしたら、世界は刻々とベクトル場が変わるような空間にあって、それによって状態点もいろんな軌跡を描きながら空間を漂ってるんだろうな~なんてことを考えてた、変な話です。説明へたで申し訳ない
2010-11-14 15:24:55@s7_Hachi なるほどイメージ出来ました。なんというか、色んな外因をひっくるめた巨視的なモデルですね。どうりで、話を絞りづらい話題ではあるなあと思いましたw
2010-11-14 16:01:16