愛宕さんが解説する青函連絡船の戦中・戦後

1945年7月14、15日にあった国鉄青函連絡船空襲を中心に戦時中~終戦後の連絡船を解説したツイート。
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スクラップヤード @CA_atago

青函連絡船乗組員、最後の法要 函館山で遺族会節目の七十回忌 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/life/news/1407…

2014-07-15 22:07:19
スクラップヤード @CA_atago

ふむ、そういえば昨日今日は青函連絡船への空襲が有って連絡船全滅…となった日でもあったわね。

2014-07-15 22:08:08
スクラップヤード @CA_atago

ふむ。せっかくなのだから需要の無いことはガン無視して戦時下の青函連絡船…というよりも7月14・15日の空襲を主に少々(どころではなさそう)お話をば… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:16:23
スクラップヤード @CA_atago

さて、そも『青函連絡船』というのは明治41年(1908年)3月7日より帝国鉄道庁(後の国鉄)が運行を開始した青森~函館間を結ぶ鉄道連絡船の名称。 就航時の連絡船「比羅夫丸」は当時最新鋭の蒸気タービン船で青森~函館間を4時間で結んでいたわ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:17:42
スクラップヤード @CA_atago

青函連絡船では鉄道車両の輸送も行っていたけど、車両運搬を始めたのは1914年(大正3年)になってからなのよ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:19:20
スクラップヤード @CA_atago

その青函航路の主役である連絡船にも昭和に入ると戦争の影が忍び寄り始めるわ。 特に北海道の炭鉱で算出する石炭を本州の工業地帯に運び込むための手段としてその存在は無くてはならないものだったから。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:20:34
スクラップヤード @CA_atago

開戦後の1942年になると海軍は貨物船の大量増備を計画。連絡船もその計画に組み込まれるものの、鉄道ダイヤと一体となった連絡船の機能を通常の貨物船に持たせることは出来ないと鉄道省は猛反対。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:21:54
スクラップヤード @CA_atago

これにより戦時標準船計画にW型と呼ばれる車両渡船が加えられ、これが戦時下の青函連絡船の標準となっていくのよ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:23:03
スクラップヤード @CA_atago

W型標準船の第一号は「第五青函丸」。 この設計に海軍が色々と横槍をいれてきたためすったもんだ有ったものの昭和18年から浦賀船渠で建造がスタートしたのだけど… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:24:40
スクラップヤード @CA_atago

なんと建造の工程会議の中で浦賀船渠の設計部長が設計見直しで25%の鋼材削減成功を発表。 ところがこの結果として第5青函丸は安定を欠いた船となり使えないことが判明。 当然、鉄道省は受け取りを拒否。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:26:03
スクラップヤード @CA_atago

またしてもすったもんだの果て、鉄道省の改善案を海軍及び浦賀船渠側が受け入れてそれに基づく改造が実施されることになったわ。 ちなみにこの削減は浦賀船渠側の独断によるものであり、勝手に設計を弄られた鉄道省は激おこプンプン丸状態だったとか。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:27:29
スクラップヤード @CA_atago

こうして紆余曲折の末に第五青函丸は就航。簡素な船体設計に加え機関部も戦時標準型ながらも速力は16ノットで、なんとか4時間半という連絡船として必要とされる能力を保っていたわ。 浦賀船渠は続いて第六、第七と続々と建造を続けて就航させていく。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:29:00
スクラップヤード @CA_atago

ところがそんな中の昭和19年2月。就航した第九青函丸は横須賀から函館回航の途中に陸岸に近いところをジグザグ航行したため千葉県勝浦沖で暗礁に乗り上げてしまい、結果沈没。 これは青函連絡船初の全損事故かつ唯一の航路外での事故として記録されてるわ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:30:21
スクラップヤード @CA_atago

当時はもはや本土近海でさえ敵潜水艦の跳梁跋扈する海となっていたから用心したのでしょうけどね…ちょっと寄り過ぎちゃったようね? #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:31:10
スクラップヤード @CA_atago

さらに第十、第十一と建造・就航は続くけど、後になればなるほど品質は悪化の一途。 ことにボイラーは「ザル」などと呼ばれる程に蒸気漏れが多発する始末。 もう「粗製濫造」というヤツね。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:32:49
スクラップヤード @CA_atago

先の第五青函丸だけど、昭和20年3月6日の夜。吹雪の青森桟橋に接岸しようとして着岸に失敗。 再度の着岸のために沖へ出ようとした際、突風に煽られて防波堤を擦過。この時、戦時設計の薄い外板が災いし擦過部分は破孔となり浸水。船員たちの避難の間もなく沈没。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:35:19
スクラップヤード @CA_atago

この時桟橋側はというと、第五青函丸は沖で仮泊していると思っていたのね。ところが翌朝になって船員が漂着して初めて遭難事故に気づく有り様。 船と桟橋側の通信状態が悪くて連絡が取れなかったが故の悲劇ね。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:37:14
スクラップヤード @CA_atago

そしてこれが青函航路内初の全損事故になることに。 この事故で乗組員と武装を取り扱う海軍警戒隊員86名中82名が犠牲に。 そんな中でも船員たちは粗悪な船を駆って海峡の輸送を担い続けたわ。 そして、運命の7月14日… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:38:35
スクラップヤード @CA_atago

昭和20年7月14日。穏やかな夏の一日が海峡に訪れるかに見えたその日は函館と青森の両市に早朝から空襲警報のサイレンが鳴り響く。 東の空からやってくる編隊。恐るべき米海軍第38任務部隊の空母艦載機の群れ。その攻撃目標は…言うまでもなく青函連絡船。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:40:12
スクラップヤード @CA_atago

第二青函丸は前日夜の出港後、青森へ航行中に空襲に遭遇。船長以下数名が負傷するも海軍警戒隊の基準の奮戦もあり撃退に成功。 翔鳳丸は青森岸壁に着岸していたため、出発待ちで乗っていた旅客をおろして沖へ退避。米軍機が飛び去るのを確認してから青森港外に仮泊。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:42:36
スクラップヤード @CA_atago

第六青函丸は第二青函丸の後続便として航行中に空襲に遭遇するも幸いに被害はなく、青森港外に仮泊。 津軽丸とは下り便として青森を出港後海峡に差し掛かった頃に空襲警報を受けて反転。三厩湾に投錨。同じく第一青函丸も三厩湾に投錨。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:44:33
スクラップヤード @CA_atago

第四青函丸は函館を出港し海峡に差し掛かったところで遭遇。機銃で応戦するも被弾により舵故障。さらに集中攻撃を受けて6時25分に沈没。 第十青函丸は函館に空襲警報を受けて避難のため出港。港口を出たところで攻撃を受け6時30分に沈没。乗組員は全員救助。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:46:17
スクラップヤード @CA_atago

松前丸…函館港口で第四青函丸への空襲に遭遇。このうちの何機かが松前丸を発見して攻撃。損傷受けたため船長は七重浜に座礁を決意。 6時30分には座礁するも攻撃は続き、大火災となった松前丸はその場で燃え尽きる。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:47:15
スクラップヤード @CA_atago

第三青函丸は海峡中央部で空襲にあい、回避・応戦に務めるも50機以上の敵機の攻撃を受け7時30分に沈没。 この後、午前中の空襲は天候が曇ってきたため中断。一旦空襲警報も解除されるが午後になると天候が回復。米艦載機は午前にも数を増して再び来襲。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:50:35
スクラップヤード @CA_atago

第六青函丸は退避中に空襲を受け被弾。沈没を避けるべく座礁するも攻撃は続きその場で炎上。 津軽丸は警報解除後に函館に向けて第一青函丸とともに航行を再開。午後になってからの警報に第一青函丸は引き返すも津軽丸は航行を継続。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:51:50