個人的雑想メモ 「コミケと言うアンガージュマン(社会参加)」
(RT)コミケの創始者米澤氏はそこを「場」と呼んだ。スタッフも入場者も「参加者」。スタッフは目の前で対立する人を「これから味方になる人」と考えて説得する。コミケとは「民主主義=自己統治の実験場」。そう設計されている。半世紀続いている。日本の歴史に残る「実験」かも知れない。
2014-07-17 13:55:00続)コミケのスタッフは自発ボランティア。「参加者」=スタッフが、対立する入場者=「同じ参加者」を味方にしようと説得するのは、「スタッフの予備軍=仲間」を増やすためでもある。コミケの理念を自己の姿で布教している。参加者の増大に「自覚」は追いつくか。日本社会の何歩も先を行く実験。
2014-07-17 14:13:47コミケには米澤さんに代表される「学生運動に少し遅れた」世代の精神が注ぎ込まれている。多分。参加案内書は「コミケットアピール」。アジビラみたいだ。主催者として案内しているのではなく、代表=「参加者」から入場する同じ「参加者」に同志として「アピール」している。「コミケとは何か」を。
2014-07-19 00:04:46続)”学生運動”世代によく読まれたのはサルトル実存哲学だ。サルトル主義者(?)が行うべき事は「アンガージュマン(社会参加)」。恐らく、だからコミケに来る者はみな「参加者」と呼ばれる。そしてコミケそのものが、米澤さんらが考えた「アンガ-ジュマン」の形だったのかも知れない。
2014-07-19 00:11:56続)参加サークル100に満たない初期のコミケは、理念を形にした「実証模型」の様なものだったのかも知れない。だが80年代後半の「キャプテン翼」などを契機に参加者が桁違いに増え、コミケは本物の「社会実験」となった。その実験は、今なお途切れず続いている。(続
2014-07-19 00:29:33続)近年の「コミケットマニュアル」に書かれた「コミケの理念」は平易で読みやすくなっているが、要旨は昔と同じだ。営利イベントとは全く違う「理念」を持った、いわば”自己統治の実験場”である事が伝わる。comiket.co.jp/info-c/C86/C86… … … 既読なりや、参加者同志諸君。
2014-07-19 00:51:35↓リンクに文字抜けが合ったのでツイートし直しました、参加者同士諸君、ここに謝罪のアピールを送る(こう使う)。
2014-07-19 00:53:21続)「コミケットアピール」について書いた事の用語訂正。それを書いた主体は「代表」でなく「コミケット準備会」でした。今でもこの名前。「実行委員会」でなく「準備」している。コミケットを「実行」=「実現」する主体は「参加者全て」。毎回そのために「場」を「準備」している。(続
2014-07-19 14:42:38続)毎回のコミケットは開催日に「実行」されたか。確認は困難、と言うか「理念の完全な実行には至っていない」。必ずどこか不完全だ。だから一度”自己否定”(再チェック)して一から「準備」し直す。「理念」を捨てないために。だからこそ「継続する事自体」が目的となる。一種の”永続革命”だ。
2014-07-19 14:55:45続)「準備会」の名の「継続」は、次のコミケは常に「一から準備され直す」必要があると言う意思表明では。「失敗」した部分だけでなく「成功」した部分も一度「否定」して見直す。成功体験へのチェック不在は次には失敗の原因になる。「営利」を目的にすると、この「自己否定」が非常に難しくなる。
2014-07-19 15:18:58続)コミケはあらゆる「表現者」の自由を最大限に守るため「にこそ」、当日の朝と言う極限の短時間で表現物が法令に反しないかを「自己検閲」出来る様に、大量の人と物(データ確認用PCなど)のリソースを投入している。”プロ”漫画家も「表現者」の一人として頒布側参加者の資格を有する。(続
2014-07-19 15:39:32続)ただし商業漫画家がサークル(頒布側)参加する場合には、禁止事項がある。「自分の商業出版物を売る」事だ。これは内容のチェック(自己検閲)など待たず、無条件に禁止される。コミケが自らの「成功実績」を自己否定し続けられる(初心に戻る)ために、「営利でない」事を最優先している。(続
2014-07-19 15:44:53まとめ補足)註:コミケは基本的に「義務教育を終了」していれば”誰でも”サークル(出展・頒布側)参加可能。スペース(長机の半分)が常に足りないので抽選有り。また誰でも”商業流通に乗っている品” は頒布できません。いずれも職業漫画家を指したルールが特に有るわけではありません。
2014-07-21 17:02:30補足)自分の場合は「雑誌に連載したが単行本にならなかった自分の漫画」を同人誌にしたりしていますが、これが「商業出版物」でないのは、作者記名のある漫画は出版社との契約が特に無ければ純粋に作者の創作物となり、自分で本にしたのなら商業流通にも載っていないから、となります。
2014-07-21 17:53:06続)しかし近年はこのまとめの「おすすめ品」の様に自分の同人誌をAmazon等のネット通販で売る事も可能(代行業者経由)。ここで「商業品になった」ものをまた会場で頒布できるのか、と言うグレーゾーンが発生した訳ですが、版元が「出版社」でない等の理由で現状では不問。【ステマ】
2014-07-21 18:08:34続)しかし近年のコミケには「企業ブース」の枠がある。これは「営利」ではないのか。議論はあったと聞く。「コミケ準備会」にはそれを経済的に支えるための「有限会社コミックマーケット」が”分けた形”で存在している。それに似ている。企業の参加料を、巨大コミケを「物理的に」支える資源に使う。
2014-07-19 15:53:07続)つまり「理念」を支え続けるためには「理念」と異なる/反する、”外部”と繋がる・利用する必要がある。突き詰めれば自己矛盾だ。だがこれはあらゆる人間が持つ「心と体の葛藤」、あらゆる民主国家が抱える「自己矛盾」と同じものだ。偽悪的に規定すれば、企業ブースはコミケの「植民地」だ。
2014-07-19 16:00:22続)古代ギリシャの民主国家は”奴隷”が支えた。近代ヨーロッパも植民地のエネルギーを利用して民主制を構築。日本には”沖縄”。コミケ企業ブースは”政体が抱える自己矛盾”の可視化された表出であり、コミケの持つ「社会実験」としての成果、実証度の証明では。「規模」が「実証度」をもたらす。
2014-07-19 16:12:51続)コミケが”参加者を一人でも多く”を理念とするのは、「表現の自由」を支える「表現の享受」「表現の多様性」のため。一般入場者(非頒布側)を「お客」とは見ないので入場料を徴収しない。人数が減っても「利益」には関係ない。むしろ入場者が増えるほど物理コスト「だけ」が上がるイベントだ。
2014-07-19 16:26:41続)もし今、企業ブースを廃止すると、「企業の参加料を施設(東京ビッグサイト)使用料に充てる」歳入が大きく欠損する。「参加者を一人でも多く受け入れる」事はコミケの理念だから、これに矛盾する現象を起こす恐れがある。ソフトランディングは可能か。コミケは”国家予算の配分”の実験でもある。
2014-07-19 16:20:05