文学について

水嶋ヒロの受賞を受けて、「文学」について考えたことと、それに対してのリプをまとめてみた。
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  @taroot

文学について、皆思い思いのことを書いていて、一部に賛同したり、一部に首をかしげたりしながらmixiの日記を読んで思ったことを書いてみる。 出遅れたせいで、mixiに書くのは気恥ずかしいし。あと最近頭使ってないから、リハビリがてらつらつらと。

2010-11-17 00:57:47
  @taroot

水嶋ヒロが文学賞を受賞したことから、文学って何よ? ってのがきっかけだったから、商業的側面から文学を取り上げてる人もいたけれど、文学作品を取り巻く環境と、文学作品それ自体を混同しちゃいけないよね。文学について考えるんなら、大前提としては文学作品自体について考えるべきだと思う。

2010-11-17 01:04:06
  @taroot

当然、派生的に商業主義や、文壇など文学作品を取り巻く環境に触れざるを得ないけども。だからまず、僕の考える文学について書いておく。 他の人も既に発言しているので二番煎じじみてしまうが、「作者の信条、思想を同時代の読者に伝えるために書かれたもの」だと思う。

2010-11-17 01:08:53
  @taroot

ゃあ、その思想信条の伝え方として「小説」である必要はあるのか? 映画や劇は芸術として一ジャンルとして存在するし、活字以上の情報量がある。 果ては物語の体を為していなくてもブログやSNSでも日記といった形で個人的信条を発信は出来る。

2010-11-17 01:16:46
  @taroot

個人的にはやっぱり、先ほど挙げたいずれよりも小説といった形が一番「思想、信条を伝えやすい」形だと思う。人間の心情といった内面を描くのに、一人称といった形式は適しているし、主人公が体験した出来事は信条の具体例としても、物語の面白さを増すものとしても機能する。

2010-11-17 01:22:39
  @taroot

映画はレンズを通して世界を表すので、ある人の心情自体を描くことは出来ず、行動を通じて視聴者に訴えることしかできない。絵画もまた同じく。 けどこれらの媒体は視覚的、聴覚的に訴えかける力が強いので、エンターテイメント作品としてよく扱われる群像劇等とすごい相性がいい。 

2010-11-17 01:27:42
  @taroot

じゃあブログやSNSはどうなるか? 先ほど挙げた心情を微細に描けるメリットと、出来事を具体例として補強できるというメリット両方を兼ね備えてるようにも思える。 しかし、現在のブログとSNSというものはその人の趣味やメモ、交流といったものにまとめられているように思う。

2010-11-17 01:34:10
  @taroot

ブログやSNSはそのメリットを活かせる土壌はあるが、活かしている人がいない印象を受ける。用途が広い分、目的に特化できないと思う。

2010-11-17 01:35:32
あるーく @OFF_ton1907

@taroot それはお前、文学と「紙媒体」を混同してないか?

2010-11-17 01:37:35
  @taroot

@OFF_ton1907  今は「文章」で考えてたんですが、後で思想を伝えるなら日本語、ひいては言葉であることの部分も触れようかなぁと思ってたんで、そこでまた触れようと思ってました

2010-11-17 01:44:30
あるーく @OFF_ton1907

@taroot ブログで小説書くやつもいると言いたかったんだが、まぁ待つよ。あと「書かれた」ものは「口承」とは言えないぞ。

2010-11-17 01:42:22
  @taroot

文学作品は作者の思想、信条を同時代の読者に伝えるために書かれたものとしたけれども、伝える方法として文章を使った場合で考えていたけれども、それが文章である必要がある必要はない。文章よりも優れた手段があるならそれを使えば良いと思う。

2010-11-17 01:54:47
  @taroot

あり得るとは思わないけれども、ある人の思考をデータ化できて、誰もが一般にそれを追体験できるようになったら思想を伝えるという意味では文学は機能しなくなると僕は思う。

2010-11-17 01:56:29
  @taroot

あと作者が伝えたかった思想、心情を読者は正確に読み取るとは限らない。 作品は作品自体独立して扱われる。 読者は作者が予想もしなかったことを読み取ったり、曲解して読み取ることは多々あるし、それについては読者の自由。 読者は自分が読み取りたい事柄を意図的に読み取ることができる。

2010-11-17 02:03:04
  @taroot

「文学」には文章以外のものも含まれる、らしい。 先輩にそう聞いてwikiで見ると、「文学は、言葉(口頭または文字)によるコミュニケーションのうち、言語のあらゆる力を活用して受け手への効果を増大させようとするものとして定義される。」by wiki

2010-11-17 02:05:48
  @taroot

こうやって見ると、言葉に伝えられたものにも、思想、信条は見て取れると思う。 民俗学とかだとよくある事例だろうと思う。民俗学に疎いからあまり触れないけれども。

2010-11-17 02:15:05
  @taroot

口承されたものもまた文学っていうのは個人的にはしっくり来ない。何でだろうか。

2010-11-17 02:17:04
  @taroot

えーととりあえずここで一端終了。

2010-11-17 02:17:15
滝雅大(タキマサヒロ)@学徒 @Bon0627

@taroot 「文学論」一つ一つ拾っていくよん。まずここには概ね同意。私的にも「文学」は定義の一定しない、曖昧な言葉と認識している。そして作品を見ずしてその周辺をあれこれ言うことは良くない。

2010-11-17 01:52:53
滝雅大(タキマサヒロ)@学徒 @Bon0627

@taroot 「文学観」太郎の文学定義について、まず「同時代の」が余計かと、その定義に従うと所謂明治の文豪の手による仕事は文学の範疇外になる。あと思想や信条を伝える、と言うことがすべての文学の主眼であると言う根拠は何か?

2010-11-17 01:55:03
  @taroot

@Bon0627 「文学観」について 初っ端の定義から躓いていました。 「(作者が)作者(自身)の信条、思想を同時代の読者に伝えるために書かれたもの」って風に書くべきでした。 それなら現在の僕たちが過去の作品について研究することは矛盾しないはず。

2010-11-17 02:29:29
@hakomochi

@taroot 文学が真実同時代の読者に向けられるものであれば最新の時間を生きる私達のテンションが上がるんだけど、現実あらゆる古い文学が古い文学として残り、未だ現代文学よりも盛んに研究され、一般にも読まれているし、思想信条って結局古今東西似通っちゃう部分が多いから難しいよネー。

2010-11-17 02:24:16
  @taroot

@hakomochi  現代の文学をあまり数読んでないから主観だけれども、全体的に虚無感にとらわれた作品が多い気がする。 物事に意味なんかないんだよ、と作中の人物に語らせたりするし。ある程度普段から考えてることを上手く説明してくれた! っていうような感動もないしなぁ。

2010-11-17 03:34:21
滝雅大(タキマサヒロ)@学徒 @Bon0627

@taroot 「表現形」映像メディアは情報量が多いのではなく、情報のタイプ・類型が違う。文字情報は文字情報なりに大量の情報を含意可能である。それも読む手の数だけ。

2010-11-17 01:56:20
滝雅大(タキマサヒロ)@学徒 @Bon0627

@taroot 「文学の表現的優位性」内面を描くのに言葉を用いた文学(≒小説)が良いというなら、映画でも語りやナレーションを挿入できるし、人の動きの方が効果的に心情を伝えてしまう例などいくらでもあるはず。あと心情表現に一人称が特に適している理由は何か?

2010-11-17 01:58:09