子日botまとめ「キスカ島撤退作戦」

1943年、「奇跡」と呼ばれた、キスカ島撤退作戦の子日的なまとめだよ。
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メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

#艦これ、子日botだよ~! 6月6日、#艦これ的に今日は何の日? 1942年、日本時間の今日はミッドウェー海戦の二日目… 大勢は昨日の時点で決していたけど、まだ行動中の部隊もいて、小競り合いは続いていたんだよ。 そして昨日紹介した通り、赤城さんと飛龍さんの命日だよ…。

2014-06-06 07:00:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

それと同年同日、MI作戦ことミッドウェー攻略の陽動として同時実施されたアリューシャン列島攻略作戦… 作戦名「AL作戦」によって、日本海軍がアッツ島を占領した日でもあるよ。 そしてこのときアッツ島攻略を担当した部隊は阿武隈さんと、子日たち第二十一駆逐隊だったんだよ。

2014-06-06 07:05:07
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

さらにこの翌日には、木曽さんや第六駆逐隊の皆が隣のキスカ島を攻略。 AL作戦はひとまずの成功を収めるんだけど… 肝心のMI作戦、ミッドウェー攻略が失敗してしまったために、アリューシャン列島は日本の勢力圏から半ば孤立状態の地域になっちゃうんだよ。

2014-06-06 07:10:03
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

そして、そのためにアリューシャン列島の日本軍はこの直後から米軍の攻撃にさらされるようになって… 翌年7月、キスカ島の撤退作戦をもって完全に引き上げるまで、苦しい戦いを続けていくことになるんだよ。 でも、それはまた別の日の話だよ。

2014-06-06 07:15:05
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

#艦これ、子日botだよ~! 5月13日、#艦これ的に今日は何の日? ええと… 1943年。イク(伊19)の妹、伊31(未実装)の命日だよ。 キスカ島への輸送作戦の帰り…  この前日から隣のアッツ島を包囲して総攻撃をかけてた米艦隊と交戦、撃沈されたんだよ。

2014-05-13 07:00:10
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

昨日紹介したけど、このころ、アリューシャン列島の周辺は完全に米軍の制圧下で… 島に取り残された守備隊に対して、日本は潜水艦を使って細々と物資を輸送したりしてたんだけど、アッツ島はこの前日からついに総攻撃を受け始めて補給不能。残るキスカ島も、どんどん追いつめられていくんだよ。

2014-05-13 07:05:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

あ、そうだ。アッツ島がこの時点で攻撃を受けたのに、隣のキスカ島は7月まで無事だったのは何で? って思う人もいるよね、たぶん。 色んな事情はあるけど、凄く単純にいえば米軍だって自分の犠牲は最小で抑えたいから、だって。 急ぐ必要がないなら相手が弱るまで待った方が楽ってことみたいだよ

2014-05-13 07:10:04
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

そんなわけでこの二週間くらい後にアッツ島守備隊が全滅した後も、キスカ島はほぼ空爆を受ける程度で済んでて… 1943年7月末、「奇跡」と呼ばれた撤退作戦で見事、守備隊の引き上げに成功するんだよ。 でも、それはまたその時のお話だよ。

2014-05-13 07:15:03
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

子日botだよ~。 6月14日は…えーと。 …1943年、伊9(同型艦含め未実装)の命日だよ。 キスカ島への輸送任務の途中、警戒していた米駆逐艦に撃沈されたんだよ。

2014-06-14 07:00:13
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

約一年前に日本軍が占領したアリューシャン列島だけど、ミッドウェー海戦の敗北によって、直後から米軍の圧力を受けてきたんだよ。 そしてこれに先立つ1943年5月には、隣のアッツ島の守備隊が全滅。 残るキスカ島も水上の輸送路は絶たれて、潜水艦による輸送・撤退作戦が実施されるんだけど…

2014-06-14 07:05:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

米側の対潜警戒網の厚さに、作戦は思うようには進まなくて。 三度目の実施となるこの時の作戦も、参加した二隻のうち、伊9がこの日撃沈。どうにか島にたどり着いたもう一隻の伊7も攻撃を受けて大破、擱座して放棄。 司令部は、効率が悪すぎるとしてついに潜水艦による撤退作戦を諦めるんだよ。

2014-06-14 07:10:02
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

水上もだめ、水中もだめ…の八方ふさがりにみえるこの状況で、司令部が唯一活路を見出したのは、アリューシャン列島に時おり発生する「濃霧」の存在だったんだよ。 つまり、少数の艦でピストン輸送を行う従来の方式じゃなく、霧に紛れて水雷戦隊を送り込んで、一気に全員を救出する作戦…

2014-06-14 07:15:07
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

のちに「奇跡」と呼ばれる大成功を収めた、キスカ島撤退作戦はこうして計画されたんだよ。 気象条件に頼る都合、運の要素が大きくて。そのうえ霧が発生しても今度は目隠し状態でその中を進まなきゃいけない、という困難な作戦が実行に移されたのは、7月初め…。 また、その日に話すんだよ。

2014-06-14 07:20:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

それと、1943年6月29日は「ケ号作戦」こと、通称「キスカ島撤退作戦」が開始された日だよ。 前に説明したとおり作戦の成否を握るのは現地の天候だったから、それを偵察するための潜水艦隊がこの日、先発隊として幌筵基地から出撃したんだよ。

2014-06-29 07:15:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

それと1943年7月7日は、キスカ島守備隊を救出するために水雷戦隊が出動した日だよ。 阿武隈さんを旗艦とする一水戦から、響や夕雲、長波、秋雲、五月雨。あと初霜と若葉。ほか数隻。あと多摩さんと木曾さんが参加したんだよ。 そして…

2014-07-07 07:05:04
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

霧に紛れての進撃となるこの作戦では、電探と逆探がどうしても必要だったけど、日本海軍の軽巡、駆逐は基本的にはこれらを持ってなくて… そこでその両方を装備した艦、この二ヶ月前に就役したばかりの最新鋭駆逐艦、島風が投入される事になったんだよ。 これが島風の初陣だよ。

2014-07-07 07:10:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

こうして、救出部隊は一路キスカ島を目指すんだけど… この最初の出撃は、キスカ島を目前にして霧が晴れてきてしまったために、7月15日に至って撤退することになってしまうんだよ…。

2014-07-07 07:15:07
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

あと1943年7月12日は、キスカ島撤退作戦の決行日だったんだけど… 運悪く、霧が晴れてきてしまったんだよ。 このために救出は翌13日に延期。それも駄目で14、15と更に延期された末に、ついに一度、中止となるんだよ。 続きは、また7月15日だよ!

2014-07-12 07:05:07
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

それと1943年7月15日は、キスカ島撤退作戦が一時中止になった日だよ。 7月12日からたびたびの接近を試みた救出部隊だけど、作戦の成否を握る「濃霧」が晴れてしまって、幾度も断念。 この日ついに部隊を指揮する木村提督は、中止と撤退の決断を下すんだよ。

2014-07-15 07:05:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

そしてこのときに木村提督が言ったとされるのが「帰ろう。帰ればまた来られるからな」というあの言葉だよ。 島をあと一歩の距離にして、部下たちは強行突入を支持する中での撤退決断だったといわれているよ。 ちなみに…

2014-07-15 07:10:04
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

木村提督が撤退を決断したのは、制空権も制海権も抑えられてる状態では、いくら島が目の前だろうと強行突入したら絶対に全滅する、という確信があったから、と言われてるんだよ。 そしてこれは、当時の米軍の展開戦力を考えるとほぼ間違いではなかったんだよ。

2014-07-15 07:15:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

この行動に、もちろん司令部は大激怒。 霧が出る季節は終わりに近づいてたし、基地の残燃料も乏しいし、遅れれば作戦実行自体が完全に不可能になる。ただちに再出撃を!と木村提督に迫るんだけど… 木村提督は、そういう批判の声を全て聞き流してじっと時期を待ったんだよ。

2014-07-15 07:20:05
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

そして約一週間後の7月22日、気象台より「キスカ周辺、濃霧発生の兆候有」との連絡を受けた木村提督は、ついに二度目の救出作戦へと出撃するんだけど… それはまた、その日の話だよ。

2014-07-15 07:25:06
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

#艦これ、子日botだよ~! 7月22日、#艦これ的に今日は何の日? 1943年、木村提督率いるキスカ島救出部隊が、二度目の出撃を開始した日だよ。

2014-07-22 07:01:02
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

7月はじめ、作戦の成否を握る「濃霧」が晴れてしまったことで、島を目前にして作戦を中断した木村提督は、その後の猛批判をすべて受け流しながらじっくり待って… 再びの濃霧発生の報に、ついにこの日、再出撃したんだよ。

2014-07-22 07:05:05