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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
英語よりポストモダン語の方が習得は断然難しい、しかも費用対効果が低い。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
@miwa_chan いわゆるロールズの主張のように、基本剤だけ平等に分配しても生きるためのコストが違う分その自由を行使するときの可能性が健常者より減るというわけですよね。私は最低限、平均までその生きるコストを引いても残るくらいの所得が得られるよう保証するのが正義だと思います。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
@miwa_chan はい、全く荒唐無稽な話ですよね。健常者並の働く機会条件が与えられなければ納税などできるはずはありませんよね。そもそもそういう無慈悲な主張をなさる方は自分が同じ立場に立ったとして、この状況を許容できるのか?という視点から考える想像力が欠如していますよね。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
@miwa_chan 潜在能力を同等とせずに納税を迫るという人は是非自分が同じ立場になったとしてそれが許容できるのか考えてほしいです、仮にそれができないのならそれは普遍の格率とは言えませんから正義ではないというのは自明なんですけどね、想像力のない人が多すぎる気がします。
遺体 @Minority20
安易に言えば、不道徳とは思いません。ちなみに私は正義と道徳を区別しませんが、一般的には区別する方が普通かもしれません。道徳は法律にしなくていい、法律でない道徳がある、という話です。ただ私はこれには与していない。@millionsage
遺体 @Minority20
これは道徳の最小限が法律であるという通説に反発して道徳の最小化自体が自由主義の要請であるべきだと私が提唱している事に関連します。正しい事があるなら、それは法に反映されるべきですし、それに値しないものなら不道徳も何もない。@millionsage
遺体 @Minority20
ちょうど誰かを嫌うだとか、避けるだとか、口をきかない、友人にならない、という選択や行為によっていちいち罰を受けてしまう、それと同じ程度に不合理に思えるからです。ただ立場によってはこの点突っ込みうるかもしれませんね。そうか?と食い下がる事は可能だと思います@millionsage
遺体 @Minority20
@millionsage ただ私は自由主義者としても、この程度の自由(付き合う人間を選択する自由)は認めたいと思う。もし、あらゆる人間はベッタリと仲良くなければいけないとか、仲良くなくてもどんな嫌な人間とでも密着する忍耐力を持たなければいけない、という考えを持ち、
遺体 @Minority20
@millionsage それを義務に値する正義と見なすような人がいるなら、その人にとっては 上の話は有効とは思えないでしょう。ただ私はそういう考えにどういう正当性があるのだろうと逆に疑問に思います。勿論疑問だから終了ではなく有効な論拠もともすれば、ありえるでしょうが。
遺体 @Minority20
この内、後者を私は自身の正義論の中で第二の原理が志向する価値と置きました。前者はそれに劣る第三原理の価値と置かれます。何故こんな優劣がつけられるのか。言ってしまえば、どちらがより容易に平和に結びつくか、という観点故です。@millionsage
遺体 @Minority20
私の自由主義(これは必ずしも一般的な自由主義ではありません)からすれば排除は基本的には不道徳なものです。基本的には、と言うのは排除の定義が問題になる事と排除の不可避性の故です。@millionsage
遺体 @Minority20
排除が不可避である以上、排除が絶対的に不道徳であるなら、不道徳でない正義はなくなってしまう。全ての正義は同時に不正である。そういう事を言っていると単なるニヒリズムになりかねない。だから排除は基本的にだけ不道徳なのですね。@millionsage
遺体 @Minority20
@millionsage 功利主義的な響きがしかねませんが、結局のところ、排除は最小化する事で道徳的排除に転化する以外にはない。ただこれは功利主義の問題点を克服するような仕方で目指されるべきでしょう。方法の詳論は省きます。
遺体 @Minority20
補足すると、私は正義と道徳、あるいは倫理を「あえて」全く分けませんが(古今東西、大抵のちゃんとした論者は分けます)仮に分けてみるなら、別の事を言う事も可能ではあります。@millionsage
遺体 @Minority20
もっと言えば、法化すべき正義とか大袈裟なのはいいから、マナーとかモラル、心の純真さや人としての美しさとしてどうなの、と問われるならさらに別な事が言えるでしょう。@millionsage
遺体 @Minority20
これを言ってもいいけども、私はそういう正義より低次の話にはあまり関心がないのです。あるいは、これは低次ではないので、むしろ正義の位置に置くべきだという論者が出てくるなら、いやそれは正義として荷が重過ぎると反発する。私がやるのは大体その程度の事です。(終)@millionsage
遺体 @Minority20
私は自由の強調のために、強制された場合には別に苦痛でなくても、質問を無視したくなる時があります(笑)。頼まれなくても親切する事はあるが、親切を強要された場合にはそれだけの理由で断固親切を拒否する事もある。私はその程度に捻くれたロクでもない自由主義者です。@millionsage
遺体 @Minority20
正義をセットで語らない自由は単なる放縦ですからね。無論、自由としての正義や自由主義をそれ自体放縦と非難する保守的な連中は数多いですが。 RT @millionsage あなたが、正義について語っているからです。自由について語っていれば、たぶん聞かなかったと思います。
遺体 @Minority20
私のような熱狂的自由主義者がリベラルなのかリバタリアンなのか、という事が問題になっているが、これは他の方が代わりに答えてくれているように、安易にその二項で考えるべきでないというのが正しい。
遺体 @Minority20
ただ設計主義的な点でも、再分配をなんら否定しない点でも、消極的自由では全く不十分と考える点でも、ロールズに最も影響を受けている点でも、宮台真司や井上達夫が大好きな点でも、完全にリベラルの側ではある。
遺体 @Minority20
しかし一般的なリベラルより正義の軽視されがちな「ある側面」と、自由をより強調する所に違いがある。精神的自由をリバタリアンなみに愛し、経済的自由についてはリベラルであると説明してもいい。
遺体 @Minority20
本来精神的自由についてリバタリアンとリベラルは同等であるべきだが、実際のリベラルは生ぬるい事が多い。(良く言えば穏健で、自由に至上価値を置かず、バランスが良く、過激でない。)そこを考慮すると精神的自由においては私はどちらかというとリバタリアン的な印象を与える事が多くなる。
遺体 @Minority20
リベラル(自由主義者)が実は自由に至上価値を置かないというのは重要だ。これはロールズも井上達夫も明言している事であり、井上達夫などは「リベラリズムは自由主義ではない」とまで盛んに強調している。実際、私見では多くのリベラルが実際は尊重はしても自由に至上の価値を置くわけではない。
遺体 @Minority20
多分(これは多分だが)キムリッカもリバタリアンを批判する際に自由をやたら持ち上げる事には難色を示していた。この点、有力なリベラルや一般的なリベラル、穏健なリベラル達と私は全然違う。自由に過剰なまでの価値を置く点では私はむしろ自由至上主義的=リバタリアン的なのである。
遺体 @Minority20
ちなみに井上達夫の「リベラリズムは自由主義ではない」はかなり重要なのでもう少し詳しく補足すれば、結局氏によればこの言葉の意味するところはリベラリズムの根底にある価値は自由ではなく、正義だ、という事なのである。
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