仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言を巡る問題

仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言を巡る問題
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fj197099 @fj197099

仙谷官房長官が18日の参院予算委員会で自衛隊を「暴力装置」と発言して抗議を受け「実力組織」と言い換えた(http://bit.ly/a7jy2t)。謝罪をしたということは褒められた発言ではないと自身が認めたということだから、本人の非は否定できない。しかしやや面白い考察も可能だ。

2010-11-18 22:47:13
fj197099 @fj197099

実は政治学的に言えば国家の本質とは「暴力行使の独占」そのものである。領域内における他の暴力行使の主体の存在を認めない。それが国家だ。これは内部においては法執行という形を採るし、外部に対しては国土防衛という形で発揮される訳である。国家とは暴力装置なり、の解釈はあながち誤りではない。

2010-11-18 22:49:27
fj197099 @fj197099

社会契約説を紐解けば、ホッブスの言う「リヴァイアサン」とは「万人の万人に対する闘争」たる自然状態=無秩序状態の悲惨さから脱却するために、ただ一人の「主権者」に他者が権利を委譲することで形成されるものであった。その結果として主権者は暴力行使の手段の独占を達成することになるのである。

2010-11-18 22:52:10
fj197099 @fj197099

では国家とその他の暴力集団とを区別する要素とは何か?それは正統性である。マックス・ウェーバーの国家の定義を述べよう。「国家とはある一定の領域内で正統な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体」となる。つまり国家は暴力装置だが、その行使を「正統に」行うか否かが鍵となる訳だ。

2010-11-18 22:56:34
fj197099 @fj197099

「正統な暴力行使」とは何か?それは正統な法執行の過程における暴力行使や自衛権の発動等の正統な武力行使の過程における暴力行使を意味している。これらは暴力行使であることは事実だが、「正統である」点で他の暴力行使とは一線を画している。私的行使ではなく公的行使なのだ、と言い換えても良い。

2010-11-18 23:00:37
fj197099 @fj197099

重要なことは暴力装置には「正統な=公的な」ものと「非正統な=私的な」ものの二種類があるということだ。前者は正しく後者は良くない。それが政治秩序にとっての最低の共通理解である。話の最初に戻れば、自衛隊は暴力装置であってよい。ただし、それは警察と同じく「正統な」暴力装置なのである。

2010-11-18 23:04:00
fj197099 @fj197099

官房長官発言はこの「正統性」の有無をきっちり区別しないが故に問題性の大きいものだ。実際、長官が事後に謝っているという事は、当初の発言が自衛隊を「正統な」暴力装置ではなく、「非正統な」暴力装置と見なすニュアンスを含んでいたことを示唆する。そんな見識を欠く発言には極めて問題が大きい。

2010-11-18 23:06:02
fj197099 @fj197099

国家というのは「正統な」暴力行使の独占を要求する人間集団である。その国家を預かる政治指導者が国家の本質たる暴力行使における「正統性」の存在を否認する如き発言をするとは到底信じがたい。政治家としての見識そのものが問われている。この発言一つで官房長官は辞任を求められても当然である。

2010-11-18 23:09:24