10周年のSPコンテンツ!

天皇はなぜ滅ぼされることなく存続できたのか

天皇家は権力を手放しつつもなぜ生き残れたのかという話とか、武士は歴史上どういう存在だったのかという話とか。
歴史 天皇 日本史 武士
55
なんJ世界史部 @NanJ_Sekaishi
日本史「天皇殺しだけは越えちゃいけないライン」 中国史「帝を殺せばワイが新しい帝や!ぶっ殺す!」 何故なのか 殺すより権威を利用するほうが便利だったからね、仕方ないね
扶桑委員会 @fussoo_moe
むつかしいな。なぜ日本は天皇が滅ぼされることなく存続できたのか
もきゅ@あらみたま @aganai001
@fussoo_moe 一つの時代に同規模以上の組織力を持つ存在の出現が少なかったのと、平穏に権力を頂くのにも数世代飼い殺さないとあかんからとか(´・ω・`)
扶桑委員会 @fussoo_moe
@aganai001 なかなか絶妙な運の良さですよねえ
うみ@松葉杖 @umi_tweet
@fussoo_moe 皇室の生き残り戦略凄い!(権力を手放して権威に純化)まあ、たまたまそうなったのか、どの段階で意図的に選択したのかわからんけど
扶桑委員会 @fussoo_moe
@umi_tweet 決定的なのは鎌倉幕府な気ガス。京の影響力から逃れるためあえて距離を保って政権運営し、地方を武士で押さえて京の事柄にはタッチしない感じになるから
うみ@松葉杖 @umi_tweet
@fussoo_moe 軍事力を持つ頼朝が、朝廷が任命する役職で自身の権力を担保し(せざるをえず?)、しまいにはさらに家柄が劣る北條家が執権として実権を握るも皇族から将軍を招いてたわけだもんなあ・・・
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
@fussoo_moe 半島で話題らしい小説で、秀吉時代に奇襲で天皇暗殺して戦争勝利ってのがあるらしい これに対する反応が理由になるかも 権威だけ利用して実権は自分で。天皇暗殺して何で戦争終わるん?が日本人の思考やろう 向こうは権威と実権が分離しなかったからわからんのかもね
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
そうか、朝鮮王も、その上位存在である中華皇帝も、先代や周囲が黒幕化することはあっても基本的には権威と実権は一体化してたから…欧州みたいに宗教権力が並び立ったりもせず、王という存在自体が微妙な位置だったりもせず、立憲君主制は併合時代しか知らない ピンとこないんかな、頭でわかってても
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
だから必死に日王日王と呼称に固執すんのかな。こっちからしたらバカにしてるのは理解できても、それこそピンとこないのに
扶桑委員会 @fussoo_moe
@fujikawa92 (天皇殺したら大義名分がたってむしろやばい気がする
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
@fussoo_moe 間違いなく国ごと消滅だろうけど、そこを理解できてないから駄文が出版されんだと思うよw
扶桑委員会 @fussoo_moe
@fujikawa92 徳川も含めて国内の武士総動員の大義名分ができるから、さすがに中国軍の介入で阻止できるだろうけど戦場の朝鮮半島はより地獄度が増すのは間違いない
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
@fussoo_moe しかも大義名分が「天皇殺した朝鮮死すべし、慈悲はない」だと、朝鮮を焼け野原にすること自体が目的の一つになっちゃう まあ補給とかの都合上、農民は無事かもしれんが…両班や王族、武将は37564モードやろなあ 明軍と痛み分けするまでに、何人残るやら
うみ@松葉杖 @umi_tweet
@fujikawa92 @fussoo_moe 日本側の目的を理解した明と一緒に焼き尽くして、焼き尽くした後は撤退(明にやる)ってシナリオすらあり得る気がするわw
扶桑委員会 @fussoo_moe
天皇の権力は平安時代には貴族に握られて分離してるからこのあたりが遠因かなとは。ままならなさに天皇退位して上皇になって権力奪い取ろうと何度かしてるけど結局元の木阿弥になってるし。貴族同士の暗殺とかもあまりイメージない。
扶桑委員会 @fussoo_moe
武士って歴史上どういう存在なのかしら。律令制が事実上崩壊して地方の権力者が武装したのが興りだから、権力の空白を埋めるものとして出てきたんだろうけど。それが天皇を目指さなかったのはおもしろい。平家があんなに早く滅んでなければまた違ったのかしら
リアンダー級軽巡洋艦 HMS FA:QB @fujikawa92
@fussoo_moe 欧州だと騎士と貴族と王と皇帝が全部繋がってて、宗教系が別ルート(といいつつ貴族出の連中ばっか)だけど、日本は武士と貴族と天皇が全部別ルートなのよね 平家と頼朝が武士を独立させちゃったせいかな
扶桑委員会 @fussoo_moe
@fujikawa92 そのあたりが謎い。権力の源泉たる武力をなぜ朝廷、貴族は手放すに至ったのか(たぶん朝廷から兵権がなくなったのはかなり前)、独立勢力となった武士がなぜ天皇に取って代わろうとしなかったのか(木曽義仲はやろうとしてたらしいけど)いろいろと不思議
MURAJI @murajidash
@fussoo_moe 京の下級貴族でもあり武装農民でもありで、もう定義がグチャグチャです>武士の起こり
扶桑委員会 @fussoo_moe
@murajidash もう少しスマートになれなかったのか
坂上泉『へぼ侍』7/9刊行 @calpistime
@fussoo_moe @murajidash 律令国家崩壊後の新たな秩序構築にも見えつつ、律令国家の権威や機構を引き継いでたりして、ややこしいですよね
扶桑委員会 @fussoo_moe
@calpistime @murajidash でもふと思ったのは欧州の目まぐるしくややこしい権力の混沌さと比べるとましかなって……
MURAJI @murajidash
@calpistime @fussoo_moe 御成敗式目が出てから、分かりやすく見えるかと思ったらそうでもありませんし
残りを読む(35)

コメント

endersgame @endersgame3 2014年8月11日
藤原氏の摂関政治の流れが大きいのではないかなあ
Y.Murakami @MurakamiY 2014年8月11日
その摂政・関白も実権を失いつつも明治維新まで続いていて,これも十分不思議な事.中世以降天皇が実際に権力を持っていたのは建武期くらいのもので,明確な宗教という形をとっていないもののローマ法王と似たような存在では.わざわざ滅ぼすメリットが少ない.
たけ爺 @take_ji 2014年8月12日
「統治できる」根拠が「天皇の命令・委託による」からかな?だから「天皇制」を廃止したら「統治できる」根拠が無くなる。どの政権も王権神授説というより王権天皇授説とでもいうべきか。
ふれーりあ @_dmp 2014年8月12日
摂関タイプの飼い殺しで残ったとすると、起源は平安時代の藤原氏と考えられる、当時は確か神道的な考えで死ぬこと=穢れがすげー面倒だったらしいから「殺してでも成り上がる」が天皇方面に対しては感覚的に薄かったんじゃないかな。だからその概念が薄い仏教系の武士の文化は殺してでも成り上がる、があったわけで。(予想)
ふれーりあ @_dmp 2014年8月12日
武士文化の頃には天皇は強い人に権威を与えるだけの存在で、実権力がほしい人は朝廷に見向きもしない。朝廷は与える側にたったことで「賜った権威を貶すもの(=朝廷への反逆)」を阻止する武力を手に入れたんじゃないか?とか考える。これは御恩と奉公、つまり武士文化の考え方になるけど、武士側がそういうスタンスなら成り立つはず…だよね?
s.j. @uo_kawa 2014年8月12日
日本で易姓革命が何故起きなかったのか。そのメリットに対して、コストとリスク(文明全破壊)が見合わないからでしょう。他には絶対王政を天皇がしなかったこと。失敗例、後醍醐天皇。そのせいで南朝と北朝に日本を二分してしまった。これが、今でも天皇の政治利用がいけない理由。南北朝を繰り返すな!
グランとリオン @MasaandMune 2014年8月12日
「天皇が滅ぼされることなく存続できたのか?」って問いは欧州人に「なぜ、ローマ教皇は未だに存在しているのか?」って聞くようなものかな?
グランとリオン @MasaandMune 2014年8月12日
中国で皇帝を倒して良い理由(正当化できる理屈)や、欧州で君主を倒す理由が日本では構築できなかったんだろう・・・。
nob_asahi @nob_asahi 2014年8月12日
日本では聖徳太子以来「傀儡を立てて実権を握る」のが権力掌握の雛形になりましたからねぇ。天皇を傀儡にした将軍を傀儡にして執権やら老中が実権を握ったりもしましたね。傀儡を立てておくことが「謙譲の美徳」の建前的側面として行われていたんじゃないですか。
nob_asahi @nob_asahi 2014年8月12日
日本で本当の実権を握っているのはNo1でもNo2でもない。「世間」「空気」と呼ばれる集団の意思だ。それは暗黙の了解であり声に出して反論することはできない。だから逆らうこともできず、慎重に規範に触れないような予防的行動が求められる。そして「自らNo1になろうとし、なったと宣言する輩」は決して許されない禁忌なのだろう。
七八式襲撃機 @Type78Attacker 2014年8月12日
元寇の祈祷説はかなり大きいと思う。当時で祈祷の後神風(嵐)というのは偶然の天候悪化とは全く捉えられずに、天皇が本気出せば外敵は滅ぼせる。くらいの意識が生まれても当然といえば当然。ただ、それ以前にも危うい時期はあったのでそれだけではないだろうけど、権威を上げたのは間違いないと
七八式襲撃機 @Type78Attacker 2014年8月12日
豊臣家滅亡につながった大阪の陣も宗教関係(呪詛)が原因だったわけで、それより前の出来事であれば宗教的権威は武士がどうこうできる話ではないと思うし
四式戦闘機 @ki84type4 2014年8月12日
承久の乱が大きかったと思う。実朝の死で公武合体路線を諦めた後鳥羽上皇が挙兵して失敗、普通だったらここで天皇自体に手を付けてもいいんだろうけど幕府側も源氏将軍が絶えた直後だったので正統性に疑義が出ることが出来ず、結局は朝廷の権威を利用するしかなかった、と。で、以後それが祖形になったような。
冷たい熱湯 @Tuny1028 2014年8月12日
権力抗争に負けたほうが死後祟り神になる事例が幾つかあることですし、勝ったからと言って相手を殺すまで行くのはまずいという認識があったのでしょう
聖夜 @say_ya 2014年8月12日
自らを劉邦になぞらえ近江京を滅ぼした天武天皇とその后で天智天皇の娘でアマテラスのモデル説まである持統天皇の墓は盗掘された上に骨壷の中身を川に捨てられたんですけどね。おかげで宮内庁の比定と内実が一致する数少ない陵なのですが
あっきぃ。@いろいろつぶやくやつ @akkiy_ya 2014年8月12日
天皇って、政治を司る貴族、武力を持つ武士、宗教的権力の強い寺社というすべての勢力に顔が利く存在だからなぁ。それを殺害するということは、すなわち自らが和を破壊する無法者であることの証明になってしまう。そのため殺して権威を簒奪するのではなく、庇護下に置いて実権をほしいままにしたって感じじゃないかなぁ。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2014年8月13日
カリフは名目上、トルコ共和国によって追放される1924年まで生き残ったと考えると、まあまあ天皇家とタメを張る長さの「君主から祭祀者になって生き延びた神聖王」となるかな。いま復活したと見なす人もいるけど(笑)何を持って比較するかがむつかしいね。
ひろ@猫もふ欠乏症 @hiro_h 2014年8月13日
確かに、外人に説明するのに「法王みたいなもんや」ってたとえた事はあるし、その流れだと「権威が失墜する事はあっても滅びにくい」説明にはなるのよね…。
Yu Yamaguchi @Yu_Yamaguchi_ 2014年8月14日
hiro_h ローマ法王は、ローマ帝国皇帝位に付随する「最高神祇官」という権威のみを伴う役職を受け継いだ存在、というのも皇室との類似性を際立たせますね。皇室も設立当初は権威・権力を伴った存在でしたが、後にはその権威のみが重視されていくので。
もするさ§( •̀ᴗ•́) @mosurusa_0806 2014年8月14日
滅ぼすチャンスを持っていたのは、足利義満もじゃないかな?つか、生物的物理的死無しには止められなかったという意味で、義満スキームはガチ
とっち.opanpon @totty2nd 2014年8月14日
足利義満が皇位簒奪を狙った説は、正直些か飛躍してるような気も。確かに武家の出身としては最も皇室に近い地位に近づいた人ではありますが。まあ、承久の乱、南北朝の動乱を経ても皇室が滅びなかったのは半ば奇跡
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年9月22日
8世紀に天然痘の大流行で当時政権の中枢を担っていた藤原四兄弟はじめ多くの公卿が死去し、政治はおろか年中行事すらままならない(これが後に国風文化に繋がるが)事態に陥った。このときに天皇が代わりの政治執行者を任命する責務を負ったことが大きい。「緊急時における誰もが納得する任命権者」としての天皇は他の国にはないシステム。今でも大臣の任命式に形式上絡んでるのもこの名残。
飛龍瑞鶴@高野皐月 @hiryuuzuikaku 2015年10月19日
日本史で誰もが一度はぶち当たる話ではないだろうか?
言葉使い @tennteke 2015年10月19日
地方に根を下ろさなければいけない権力者は現実主義でなければやっていけないし、だんだんパワーバランスが固まっていったら「なんかみんな天皇を立てているから、天皇を攻撃したらフルボッコにされそう」という空気が出来たとか。
言葉使い @tennteke 2015年10月19日
「田舎者よ無教養よ」という嘲りが力を持つようになった歴史とか。木曽義仲は気にしなかったみたいだけど、他の武将はそうでもないのは、何故か?その嘲りパワーの根幹が天皇とか。
毛利は医🏥💉神の蛇になりたい @mourisuiko 2015年10月19日
義満が鹿苑院太上天皇の号を授与があった、ことはさん奪の可能性はあったかそれの準備はあったと考えてもいいと思うんだよね。将軍位を最も敬愛した息子でなく、あまり仲がよろしくないほうに譲ったのも、義嗣を天皇にしたかったからではないかと言う…。南北朝和解させといてからの多分一番成功しかかった乗っ取り計画ではないかと。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする