北条氏は上杉謙信ばかりでなく、つねに背後を脅かす里見氏とも講和を強く望んだ。永禄十二年正月、氏康は安房妙本寺の僧を通じて里見氏に書を送り、駿・甲・相の同盟が破れて干戈を交えることとなり、駿(今川)より房(里見)・相(北条)が一和を遂げ、甲(武田)に向かって大軍を発してほしい旨を→
2014-08-12 18:56:48嘆願してきた。これまで里見・北条の抗争は際限がな、諸卒は疲れ、万民は愁嘆している折りなので、この機会に房・相の講和を成立させたく、自分は隠遁の身ではばかり多いが、思慮を捨て遠慮を忘れて申し入れをする。こんどの今川のことは天の教えであろうか、お互いにこれまでの恨みを捨てて講和が→
2014-08-12 18:59:21成就すれば、こんなめでたいことはないと述べた。 これに対する義堯の返事は冷たかった。駿・甲の同盟が破れ戦火を交えることとなったので、相・房の同盟を望まれるのであろうが、先年真理谷大学入道のことにつき、御亡父氏綱と血判を交わしその折りの誓紙をいまも所持しているのに、その後この約束→
2014-08-12 19:02:31を踏みにじり、また真理谷大炊頭を引き立てて、義堯在城の佐貫の地を大軍をもって攻められた。このように一度ならず二度までも約束を反故にされた恨みはいまだ亡失していない。それゆえ、こんどの相・房和議の申入れなどいらざることである。もし真実その気持ちがあるのなら、まず簗田持助や→
2014-08-12 19:05:42太田三楽斎を許され、その面々と相談和融のうえ申し込まれるのなら相談にも乗ろう、と答えている。 しかし、この返事に接しても氏康はなおあきらめず、再度義堯に書を送って、「房・相の戦い際限なきいま、今川氏真の申出を機として氏政にも諫言し、申入れをしたが、お取り上げなくては閉口のほかは→
2014-08-12 19:09:07ない。しかし一度だけの申入れでは、いかにもあなたの心中を試したようで心苦しいので、重ねて申入れをする。先年真理谷大学入道について申合わせをし、ほどなく違変したことは、すでに三十余年以前なので、その時の事情がわからず返答のしようがない。ただいまは、これまでの相違や遺恨を捨てて、→
2014-08-12 19:11:32真実和融を念願している」と申し送った。しかし義堯・義弘父子は、どのような甘言をもって誘われても氏康・氏政に同意することはしなかった。むしろこの機会に、積極的に北条氏を討とうと考えていたのである。それゆえに、北条氏はなんとしても里見氏を抱き込みたかったのであろう。
2014-08-12 19:12:58萌えポイントその2→駿・甲の同盟が破れ戦火を交えることとなったので、相・房の同盟を望まれるのであろうが ピンチだから手を組んでくれって来てるんだろ見え見えなんだよ魂胆はよぉって義堯の声が聞こえて来そうで萌える
2014-08-12 19:21:38萌えポイントその3→先年真理谷大学入道のことにつき、御亡父氏綱と血判を交わしその折りの誓紙をいまも所持しているのに、 氏綱との血判の誓紙をいまも大事に持っている義堯がヤバすぎるしそれを氏康に言うのもヤバイ
2014-08-12 19:22:46萌えポイントその6→もし真実その気持ちがあるのなら、まず簗田持助や太田三楽斎を許され、その面々と相談和融のうえ申し込まれるのなら相談にも乗ろう ほんとに和睦したいなら先に簗田と資正と和睦してきたら考えてやらんこともない(まぁ無理だろうけどな!)という義堯の顔が見えてかわいい
2014-08-12 19:28:49萌えポイントその8→しかし一度だけの申入れでは、いかにもあなたの心中を試したようで心苦しいので、重ねて申入れをする。 氏康が義堯にむけて「あなた」という二人称を使っているところに死ぬほど萌える。
2014-08-12 19:32:49萌えポイントその9→先年真理谷大学入道について申合わせをし、ほどなく違変したことは、すでに三十余年以前なので、その時の事情がわからず返答のしようがない。 覚えてないけど一応義堯の手紙の内容に触れてるところに萌える。しかし佐貫の件に関してはノーコメントなとこが笑う
2014-08-12 19:34:18萌えポイントその10→それゆえに、北条氏はなんとしても里見氏を抱き込みたかったのであろう。 氏康はなんとしても義堯を抱き(込み)たかったのであろう。
2014-08-12 19:36:35