- sionsuzukaze
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ところで、朝日新聞社から昭和7年(1932)に発刊された「リットン報告書全文」とか今手元にあるわけだが。
2014-08-11 22:32:36一応ね pic.twitter.com/dBTr2QxyDp
2014-08-11 22:36:50朝日新聞社から出ている全文の何が良いって、委員会のメンバーの過去履歴とか略歴が書いてあって、「マッコイ将軍は日本に友人が多い」とかそういう点まで書いてるところ。これはオンラインの先ほどの全文には無い。で、ついでに当時の政府当局がどこを妥当・不妥当としたかも書いてある。
2014-08-11 22:44:53じゃ一次資料の朝日新聞社刊行のものから委員メンバーを紹介しよう。リットン卿(イギリス)は政治家というより学者。総督などの経験を経て連盟総会で上品な風格と明晰な頭脳で異彩を放ち、社会問題等に造詣が深い人。
2014-08-11 22:50:51次。クローデル将軍(フランス)。調査委員会中で最も政治家的見識に富み、フランス流の機智と沈着の持ち主。調査団がぶちあたった難関の少なくない部分はこの将軍の謙遜にして穏健なる忠言によって打開された(つまりは日本側の主張や利害に沿う方向での、ということですな)。
2014-08-11 22:53:16次。マッコイ将軍(アメリカ)。クローデル将軍が静的智謀の勇者とすればマッコイ将軍は動的攻勢者的勇者。米陸軍きっての東洋通。関東大震災のさいは米国救済使節団指揮官として来朝して日本のために働き勲章を賜るなど、日本に多くの友人がいる人。
2014-08-11 22:55:18次。アルドロヴァン伯(イタリア)。調査委員会中唯一の外交官出身で円転滑脱の才人で委員会中最年少者。同時に委員会中に仲裁役として働き文章作成上の権威者として各委員の複雑多岐な希望を一の表現中に作り上げる難行に寄与。ヴェルサイユ条約時のイタリア代表部首席書記官。
2014-08-11 22:58:24とは書かれているものの、「奉天ヤマトホテルでその常用自動車につけたイタリー国旗が他の国の国旗よりも何寸とか小さいとて大きいものに取り換えさせたなどは少し稚気が過ぎた」とか書かれてしまっている。あとムッソリニ御大に対する忠勤ぶりとか、褒めてるんだかなんなんだか。
2014-08-11 23:00:22次。シュネー博士(ドイツ)。植民政策家だが根っからの学者肌で調査委員会の中でも資料好きで恐らく数トンにも及ぶと思われる日、支、満各方面より提供の資料を真から喜んで目を通した人。何か資料が提供されると「又シュネー博士の喜びの種が一つ増えた」とかささやかれていたらしい。人口問題の権威
2014-08-11 23:03:02ついでだからその続きの「報告書ができるまで」の部分も書いておこうかね。連盟が当初の事変後の理事会でその対応に行き詰まり、「支那側が愈々第十五条適用の請求をなすらしき雲行」を察して「日本は支那側の第十五条提起を食い止め」た。もともと「調査委員の派遣は日本側の提案」。
2014-08-11 23:07:30で、日本が派遣を提案したのは「連盟の極東問題に対する蒙を拓き、将来再び従前の如き失策を重ねしめない念願からしたものであって、決して、この第三者機関によって我国の対満国策を検討批判せしめ、その拘束を甘受するが如き意気はなかったのである。」由であるよ。
2014-08-11 23:10:22で、「政府当局一部の見解」として本報告書の妥当点・不妥当点が列記されている。妥当点は「支那の内戦状態」「満州の歴史」「満州における排日抗日運動」「作霖、学良時代の満州の内政」等。いわゆる本邦がその名分とした多くの点で「妥当に受け入れられた」と。
2014-08-11 23:13:03次は不妥当点。「調査委員会の越権的態度」「満州は支那の一部なるとの所説」「満州事変と軍事行動」「錦州爆撃問題」「満州国に対する住民の意向」「日貨排斥と武力行使」「安全保障問題」「日支紛争解決策」「内部的秩序及び外部的侵略に対する保障」これらが不妥当とした点。
2014-08-11 23:14:49特に「日支紛争解決策」は割と重要な点に触れていて、「東三省の地方的状況及び特徴に応ずるよう工夫せられたる広汎なる範囲の自治を確保するよう収め」るという解決策を既に「日本が満州国を承認せる今日宗主権も自治権も解消している」のであるから日本はこの点の勧推は「全て考慮の余地がない」。
2014-08-11 23:17:47この点と「満州国に対する住民の意向」の部分で「独立運動は日本軍隊の存在により始めて可能となれること疑うの余地なし」の二点で突っぱねるために、その内容を掴んでいながら、報告書の先手を打って満州国を承認する「必要」があったわけだ。
2014-08-11 23:19:28妥当点と不妥当点を比較すりゃわかるが、リットン調査団は本邦がその地に権益を有し、また日支間の緊張状態は「日本の積極的行動」に起因するわけではないことを「裏書」した上での結論なので、「映像の世紀」での満州事変におけるリットン卿のコメントは、確かに報告書に反映されているわけだ。
2014-08-11 23:33:08だいたい「千五百五十通の無名の投書により判断するに、官吏、実業家、商人、農民等何れも新国家に敵意を持ち投書は僅か二通を除き他は何れも日本国及び満州国に対し極度に敵意を表白せるものにして『何れも真実にして自発的意思なるやう思料」せられた」とか書かれちゃう時点で、まぁ嫌われたもんだ。
2014-08-11 23:36:21で、これに対して「恐らく右投書は『二通を除き他は何れも学良の指揮によってなされたるものの如きも』の前提を脱落したものであろうが」とか抗弁にもならん抗弁しか書けないあたり、恨みこもってるなぁ朝日新聞社、とかなんとか。
2014-08-11 23:39:21「日本側」から「委員会」の派遣を「提起」しておいて(それは国府側の十五条提起を阻止する目的もあったが)、その報告書が全部が全部日本側の言い分を認めなかったから拒否とか、まぁ対中外交の失策の積み重ねの果てで、後の対米交渉まで続く夜郎自大の一里塚って感じ。
2014-08-11 23:43:18調査団報告書の結論としては、日本は確かにそこに特殊権益を有しているのであり、それには日露戦争等の各種政策の結果であることを認めた上で、事変前に戻すだけでも満州国を認めるでも何等問題解決にならないので両方不可。で改めてちゃんと協議なり交渉せい、というところ。至極真っ当だな。
2014-08-11 23:45:16そのあたりの経緯をまったく教えないもんだから、日本史の教科書だけ見てると、あたかも国際連盟が満州事変に対して勝手に調査団を編成して日本に不利な結論を出したので日本側が蹴っとばしたような印象しか残らないんだよね。まるで日本側の要求が「受け入れられなかった」から拒否したような印象ね。
2014-08-11 23:47:53