今、アジアにおいて8月15日を終戦記念日としているのは、日本、韓国、そして北朝鮮の3国だけだろう。多くの国は9月2日か、当地で日本軍の武装解除された日にしていることが多い。 北朝鮮も終戦当初は9月「3日」にしていたと記憶している。
2014-08-16 09:55:55韓国にとって8月15日は「光復節」であるから、1945年8月15日に独立、解放の喜びが爆発したのだろうと考えがちだが、それは違うようである。
2014-08-16 09:57:43というのも、8月15日の報道や放送に接した時、植民地支配を受けていた人々は、いかに対応するか戸惑ってしまった。当然ながら、行政、メディア関連は親日派が抑えていたし、一般民衆も、その日まで屈辱に耐えながらも、日本人と協力して暮らしてきたからである。
2014-08-16 10:01:37それゆえソウルなどで市民の歓喜の輪が広がるのは、8月16日である。政治犯の釈放などの写真は、この日以後に撮られたものである。 しかし、これが8月15日の写真だとあやまって伝えられることが多い。
2014-08-16 10:05:57例えば、ここにある有名な写真(下)は、8月15日のものではない。 8月16日、西大門刑務所に投獄されていた政治犯が釈放されたときの写真だ。 更によく見てほしい。太極旗はない。万歳を叫ぶ人がいる一方、多くは見物人である。 blogs.yahoo.co.jp/jap41234/52435…
2014-08-16 10:09:588月15日の時点で、朝鮮総督府と朝鮮の民族活動家は連携している。 8月13日つまり玉音放送の2日前に、総督府総監と呂運亨に会談しているし、8月15日の朝=玉音放送前、前者は後者に対して、朝鮮内の日本人の安全と秩序維持を依頼している。呂運亨は食糧確保や全朝鮮統治などを条件に受諾。
2014-08-16 10:16:54日本が降伏することは、8月13日の時点で、植民地の高級官僚、政治家は知っていたし、またこれに対抗する活動家らもおよそ知っていた。 しかし朝鮮の一般市民は8月15日の時点でも、どのように対処すべきかわからなかった。
2014-08-16 10:20:24確かに8月16日には太極旗が街頭に現れたが、それは日章旗をアレンジしていたり、また間違っていたりしたようである。数十年に及ぶ植民地支配、国旗、国歌も定まらない時代に、彼らが自らの民族意識を統一するのは容易なことではなかったのである。
2014-08-16 10:22:13つまり1945年8月15日、朝鮮半島にいた方にとっても、あの日の「記憶」は一様ではなかったはずなのだ。少なくとも「解放」の喜びが爆発した日ではなかった(それは16日以後)。 しかし今、韓国の方は、この日について解放・光復の日として、均質化された「記憶」を持っていないだろうか。
2014-08-16 10:27:261946・47年に、朝鮮において8月15日は大々的に祝賀されていない。これは45年8月15日以後の日々をリードした左派活動グループと、親日派で既得権を守りたい保守派とが激しく対立していたことが背景にある。 8月15日を祝賀することは左派の伸長を呼びかねなかったからである。
2014-08-16 10:33:53それゆえに48年8月15日、韓国に単独政府が成立し、翌年以降、この日は政府樹立の記念日として祝賀されてゆく。「解放」色は薄められた。 そして49年10月に、8月15日を光復節と呼ぶことに定まった。この「光復」という名称も、解放という言葉が「左」「共産」を想起させたからだろう。
2014-08-16 10:39:1545年8月15日の政権移譲を実現し、目立った騒乱もなく独立を達成した建国準備委員会の中心、呂運亨が、韓国独立運動の功労者として認められたのは、2005年。死後60年近くたっていた。 韓国政府は、それほどまでに、左派のリードした8月15日を矮小化してきたのである。
2014-08-16 10:42:23なお、以上のツイートは、次を参照。 元容鎮「朝鮮における「解放」ニュースの伝播と記憶」佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日』ちくま新書、2007年。
2014-08-16 10:50:17