松方財政下の山形県

松方財政、デフレ下での山形県の様子。 ―『山形県史』等より
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『山形県史』

よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

"松方財政の下での紙幣整理…この政策は単にインフレーションを終息させるだけではなく、さらに物価の大幅な下落をも予定した典型的なデフレ政策であった…歳入余剰をふやすために厳しい緊縮予算による歳出の縮減と増税がおこなわれた。この政策が国家的市場を狭めて不況を一層激化させるとともに、…

2014-08-15 18:47:17
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

租税負担の増加を通じて農民や少経営者に大きな打撃を与えることは明らかであろう。 …これらの増税には大衆課税的な性格をもつものが多く、不況で痛めつけられた庶民の窮乏を一層強めることになった" 山形県(1984)『山形県史』, pp.303-304

2014-08-15 18:47:51
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

"米価下落による農民層の窮乏に、過酷な租税負担が追いうちをかけることになる。まず第一に、米価下落(※1980→1983の三年で半減)にもかかわらず地租の税率は軽減されなかったから、農民にとって実質的負担はそれだけ増大することになった。…

2014-08-15 19:19:16

訂正:誤:[1980→1983] 正:[1880→1883]

よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

第二に、この時期には従来国が負担してきた多くの経費が地方団体におしつけられ、これによって地方税が増徴されることになった。" …

2014-08-15 19:19:45
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

"租税滞納を理由に土地を処分された農民の数(滞納人員)はピーク時の1885年には10万8000名あまりにも達し、この六年間で約32万人にも及んでいた。滞納処分に付された土地は六年間で4万3000町歩にものぼり、うち耕地は全国で1万8000町歩…残りは原野であった" …

2014-08-15 19:20:09
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

… "租税支払いあるいはその他の理由で借金をして、結局返済できず身代限になる農民も増大した。…身代限債務者の数は78〜81年の四年間は全国で約3万8000名であったのが、82〜85年の四年間は7万5000名と、二倍近い増加となっており、デフレーションの影響の過酷さがうかがわれる"

2014-08-15 19:21:01

米沢織物について

よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

"明治十一年から十六年までの県下織物の生産量と生産額を示した表が『興業意見』に見られるので、この表によって当時の状況をうかがって見ることにしよう… pic.twitter.com/UdL0hFheOy

2014-08-15 17:23:52
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よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

…このようによって明らかなように、生産額は明治十一年から十四まで等差級数的に伸びていくのであるが、明治十六年(原文ママ)に下降線をたどり、十六年には十四年の半額に落ち込んでしまう。これは政府のデフレ政策によるもので十七、十八年と続くのである…

2014-08-15 17:26:51
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

…一疋十五円であった織物が十円を割ってしまって米織機業家が苦悩する姿を見せつけられるようである。これに比例して倒産がつづき、米織界の暗黒時代に入るのである。この回復は明治十七年後半からである" 「米澤織物史」米沢織物協同組合連合会,1980

2014-08-15 17:29:29

銀行類似会社

よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

余目積金所について:明治13年開業の銀行類似会社。資本金3万円、当年の1日平均入金275円、出金232円。当年末定期預り金1369円余、当座預金67円、貸付金10060円、利益1213円余と大いに利用されたが、数年後デフレが進むにつれ貸付金の滞りが増加、明治19年5月解散。(続

2014-08-16 19:48:25
よわめう🐏(牛丼短観) @tacmasi

承)荘内銀行社史に曰く "株主が多いうえに、東田川郡に集中していたので、余目積金所の失敗の後遺症は大きく、昭和の初めまで影響を及ぼした" (荘内銀行(1981)『創業百年史』 pp.18-19)

2014-08-16 19:49:15