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@tohko888 道草さんとトーコさんの会話を見て、諏訪哲二さんの『オレさま化する子どもたち』を引っ張り出してきて読んでたら、冒頭から「子どもたちの「ありのまま」」という分が出てきてうおーと思った私であります。
2014-08-23 23:24:10@futanoki まさにあの辺りは教科書で覚えた輪中地帯で、長島の隣りの木曽岬町では、輪中の堤防をぐるっと走る「輪中マラソン」なんてのも開催されています。水害時に避難するのに作られた「水屋」は木曽三川公園に行くと見られます。
2014-08-23 23:28:50@tohko888 まあそんなところだと思います〜。『オレ様化する子どもたち』p16より引用(1)→「子どもたちの「ありのまま」を大切にしなければ教育的インパクトは与えられないが、「ありのまま」からすべてを出発させるということではない。」(続く)
2014-08-24 06:17:31@tohko888 『オレ様化する子どもたち』p16より引用(2)→「公教育は子どもの「ありのまま」を変えて近代に通用する市民(国民)にしていくことがその使命だからである。子どもが自ら喜んで成長していくような甘いプロセスではない。」(続く)
2014-08-24 06:20:52@tohko888 『オレ様化する子どもたち』p16より引用(3)→ 「ところが、社会が豊かになり成熟して個人が尊重されるようになってくると、みんな甘い考えになってくる。子どもの「ありのまま」や現状だけを重視して、「変えていく」を軽く見るようになる。」
2014-08-24 06:23:25@tohko888 『オレ様化する子どもたち』p16より引用(4)→「文部省(当時)のあの有名な「ゆとり教育」や「新しい学力観」などは子ども(生徒)の「ありのまま」を大切にして、そこから子どもを「変えてゆこう」とした壮大な試み(挑戦)であったが、」(続く)
2014-08-24 06:31:27@tohko888 『オレ様化する子どもたち』p16より引用(5)→「さまざまな理由でその有効性が疑われ、かなり世俗的な「学力向上論」に煽られて、とうとう行方不明(ミッシング)になってしまった。」
2014-08-24 06:33:59@tohko888 なんてところを読んでたら、頭の中に「ありの〜ままの〜♩」が流れてしまったかばきちであります。
2014-08-24 06:36:42@tohko888 諏訪氏の基点は、教える側と教えられる側の関係は非対称であり、教える(教育する)側に権力(管理権・権威・プライオリティ等)がなければ教育は成立しないという考えがあります。
2014-08-24 10:08:20@tohko888 この関係を共同体的な「贈与の関係」とも表現していますが、消費社会ではこの関係が「個と個の対等な等価交換の関係」に侵食されると。それに合わせて教師が生徒と水平な友だち関係を築こうとすれば、子供たちの剥き出しの「自己」が暴走し、学級が機能しなくなるとのお考え。
2014-08-24 10:13:09@tohko888 消費社会型の子供たちは消費経済に深く組み込まれていて、お金を持った消費者として大人社会に対等な経済主体として先行的に「自立」してしまう、という点を指摘していたと思います。「現代っ子」と呼ばれていたのは産業社会型の子供たち。消費社会型の子供たちはポスト現代っ子。
2014-08-24 10:16:13諏訪氏の面白い喩え。農業社会型の子供たちは教師が机を運ぼうとすると「先生、オレがやります」←共同性意識がすでに育成されている。産業社会型の子供たちは「先生がやってるならオレもやろうか」、消費社会型の子供たちは「何でオレがやらにゃならんのだ」←自分にとっての利益計算が先行する。
2014-08-24 10:23:48諏訪氏が「生徒に普遍的なことを言っても通じない。生徒のローカルな個体に通じることを言わなければダメである」というのは、例えば自分が机を運ぶ理由が分からない子供を念頭に置いている。
2014-08-24 10:56:03「モンスター」や「クレーマー」と呼ばれる人々は、消費社会的子供たちが大人になって社会に登場した姿。普遍的なことが理解できず、自分や自分の子供の利益が絶対的な位置を占めている。
2014-08-24 10:56:29@tokabakichi うわ。引用ありがとうございます!(打つのたいへんだった と思います〜m(__)m)なるほど、という感じです。概ね同感ですが、たぶんこれ発表した当時は反発も結構あったのではないかしら。子供を「変える」という言葉に傲慢さや思想的なものを感じ取る人もいるかも
2014-08-24 12:45:51@tokabakichi 今はなんでも対象の意思の尊重とパターナリズムの排除が良いこととされていますが、時と場合と場所によるなあと思いました。結果、ありのままで〜と唄いながらシャッターガラガラでは困りますし(^_^;)
2014-08-24 13:04:26@tokabakichi @tohko888 諏訪氏によれば、教師が有無を言わせず生徒を規則に従わせることは、生徒の内面に立ち入らないことを意味します。一見矛盾しているようですが(続く)
2014-08-24 13:17:11@tokabakichi @tohko888 「規則に従うことは正しいことであり、正しいのだから理解するのが当然であり、話し合えば納得を得られる」と考えることから生徒の内面への立ち入りが始まるという理路。これは少し耳の痛い私です(^_^;)
2014-08-24 13:17:40@tohko888 @kutaromichikusa 私も「オレ様」しか読んでませんが…。(で、同じようなことがくどくど書かれてて、思わず前のページをまた読んだかと思ったりもw)
2014-08-24 16:32:16従来のリスクコミュニケーション論に欠けているのは、「真に情報提供されない市民」と「全能感を持った市民(オレ様市民)」の区別であろう。というか、リスクコミュニケーション論そのものが後者に近い側から立ち上がってやしないかとの疑問が湧いた。
2014-08-25 06:36:34だとすれば、リスクコミュニケーションなど机上の空論という話になる。実際、甲状腺スクリーニングをめぐる「オレ様市民」のリスコミ蹴散らしっぷりは半端でないし、それを批判する声が市民派リスコミ論者からもあまり聞こえてこない。
2014-08-25 06:42:26福島の甲状腺スクリーニングが路線展開を図る場合、「情報提供されない市民」には対処可能だが「全能感を持った市民(オレ様市民)」への対処は難しい。彼らは妨害者にすらなり得る。
2014-08-25 06:54:25いずれにせよ、複雑に入り組んだ福島甲状腺検査はリスクコミュニケーション論の最適な試金石であろう。ここで何もできない、何も言えないリスコミ論はゴミ箱行きでよい。
2014-08-25 07:00:27