2014年8月25日

2ATはどのような改造をした?

応急油槽船として大量建造された2ATですが、岩重さんは2番、3番船倉を丸ごと転用、一方の大内さんは1~4番船倉の下半分を油槽化しています。果たして正しいのは?
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パンターF @PanthertypeF

所で2AT型の応急タンカーは船倉をそのまま油槽に転してたけど、内部の甲板部分はそのまま残っていたのか全撤去したのか、そしてシール工事が行われていたかが気になる。後は前後の1番・4番船倉は積載重量の関係でそのまま残してたけど、油を輸送しない場合はここを使ったのかな?

2014-02-18 20:48:36
山猫男爵 @baron_yamaneko

前に@PanthertypeF さんが関心を持ってた2AT型戦標船(2TAとも)のタンカー改装の要領について、小野塚一郎「戦時造船史」(日本海事振興会、1962)に少し記載がありました。1944年後半に2A型戦標貨物船を途中で仕様変更して油槽船に仕立てた船で、35隻竣工。(続

2014-08-03 01:10:38
山猫男爵 @baron_yamaneko

承前)4つの船倉のうち船橋前後の2番・3番船倉を貨物油槽化、1番・4番は一般貨物用。同書収録の「永仁丸」一般配置図も斯様。この点、大内健二「商船戦記」(光人社NF文庫、2004)315頁の図で全船倉の中甲板以下が油槽化されてるのは謎だが、概念図とあり著者が誤解して作図?(続

2014-08-03 01:20:07
山猫男爵 @baron_yamaneko

承前)小野塚によると、油槽化した2番・3番船倉にだけ貨物油を満載すると船首が3m下がって傾いてしまうため、釣り合いを取るために4番船倉に700~1500tの貨物を積む必要があったと。具体的にはドラム缶詰めの石油を推奨とのことで、1滴でも多く油を持ち帰ろうということでしょうね(泣

2014-08-03 01:37:04
パンターF @PanthertypeF

2A型の応急油槽船化改造、踏板取り外し式の中甲板はそのままでアスファルトでシール処理、暖房管設置されず。

2015-04-26 21:23:58

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