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『おじいちゃん、戦争の話を聞かせてください』

小学5年生のWくんが、90歳のおじいちゃんに、じっくり戦争の話をききました。
政治
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ピースあいち公式ツイッター @peaceaichi
戦争と平和の資料館ピースあいちです。今、当館一階ロビーに、黒い一冊のスケッチブックがあります。金沢の小学5年生W君(10歳)が、豊田市に住むおじいちゃん(90歳)に聞いて作った冊子、『おじいちゃん、戦争の話を聞かせて下さい』です。 pic.twitter.com/mD9YkGb3ve
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W君は、おじいちゃんの戦争体験を、子どもらしい言葉で丁寧に聞き取ってゆきました。徴兵検査、軍隊の暮らし、激戦地フィリピンでの苦しい戦闘、飢えとのたたかい、捕虜生活、そして、奇跡的な帰国まで。たくさんの写真やイラスト、地図がちりばめられ、大変素晴らしいインタビューになっています。
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ピースあいちにご来館下されば、今月いっぱい実物を手に取って見ていただけます。おいでになる予定のお客様は、どうぞお見逃しなく。大変な力作ですので、とても全部は無理なのですが、このアカウントでも少しだけご紹介してゆこうと思います。 pic.twitter.com/4ygPQr1SIJ
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『おじいちゃん、戦争の話を聞かせて下さい』 Wくん「おじいちゃんはどうやって軍隊に入ったの?」おじいちゃん「昔は20歳で男は全員徴兵検査だ。素っ裸にされ、後ろからおしりの穴まで見られるんだ。」Wくん「ええーっ」 pic.twitter.com/nbb2hyBHMG
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Wくん「赤紙は来なかったの?」おじいちゃん「そんなもんきとらん。赤紙はどういうもんか知っとるか。兵隊にいらっしゃいという紙だよ。戦争も終わりの頃に、兵隊が少なくなったから、かき集めるために出したんだ。おじいちゃんはその前に戦争に行ったから、赤紙は関係ないんだ。」
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Wくん「軍隊はこわいところだった?」おじいちゃん「怖いのは古参兵だ。ちょっとしたことでビンタするんだ。」Wくん「軍隊ではどんな仕事をしていたの?」おじいちゃん「フィリピンのクラーク飛行場で、気象班といってパイロットに各地の天気を教える仕事だ。そこから特攻隊が出るようになった。」
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Wくん「えー。あの特攻隊?」おじいちゃん「特攻隊って知っとるか?自分が飛行機にのり、ばくだんをかかえて敵の軍かんに体当たりするんだ。はじめから帰ってこられないと決まっている。それを見送っていた。昭和19年10~11月ころだなあ。」 pic.twitter.com/Or7XUIXgqM
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『おじいちゃん、戦争の話を聞かせて下さい』 明日はこの続き、アメリカの上陸が始まって、おじいちゃんたち気象班150人が北の山に逃げるところから、激戦で部隊が玉砕に追い込まれてゆくまでの様子をご紹介します。
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戦争と平和の資料館ピースあいちです。昨日に続き、金沢の小学5年生10歳のWくんが、90歳のおじいちゃんに聞いて作ったインタビュー冊子『おじいちゃん、戦争の話を聞かせて下さい』。フィリピンルソン島で、米軍に攻め込まれたおじいちゃんたち気象班150人は、北の山に逃げることにしました。
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おじいちゃん「いよいよ激戦になってきて、第一線へかけつけろと言われた。いろいろな部隊からなる第4野戦補充隊(800人)にくみこまれて、バリテ峠の守備に参戦したんだ。」Wくん「えーっ。800人もいたんだ。バリテ峠の守備ってどういうこと?」
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おじいちゃん「アメリカ軍が攻めてくるのをバリテ峠で食い止めるんだよ。まず自分一人が入るタコツボを作る。山の斜面に、スコップがないから銃剣で土をほっていくんだ。朝からばんまで。縦にほって、それから、横にほって。中で寝られるようにする。」 pic.twitter.com/fcxtNJSTHb
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おじいちゃん「バリテ峠へ行く道は日本が確保していたが、アメリカはブルドーザーで新しい道路をつくりながら近づいてくるんだ。これを峠で食い止めなければならないんだ。」Wくん「おじいちゃんの部隊は玉砕したってお父さんから聞いたよ。玉砕って全滅のことでしょ?」
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おじいちゃん「最後に最前線に出されたんだ。ひどいもんだぞ。飯ごうに半分だけの米。少しの粉味噌。それだけわたされて第一線へ。30人で『ゲリ山』という所にある陣地を死守せよと命じられた。おじいちゃんは重機関銃。木でもなんでも立ってるものはみんな倒れるんだ。」Wくん「すごー。こわっ。」
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おじいちゃん「後ろの部隊がやられて、後ろの本隊との連絡も取れなくなった。おじいちゃんたちだけが最前線に取り残されてしまった。部隊が玉砕したことは、戦争が終わって聞かされたことで、その時はそんなこと知ることもできなかった。とにかく、峠にはおじいちゃんたちだけになってしまったんだ。」
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Wくん「おじいちゃんたちだけになってどうしたの?」おじいちゃん「飯ごうの米は2日でなくなった。敵は食料をパラシュートで空から落としていくんだ。ぼくらにはだれも食料をくれないから、敵のをうばいにいくしかない。当然向こうも取りに来るからうち合いになる。これをやっつけてうばい取るんだ」
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おじいちゃん「包みの色で中身が分かるんだ。おもしろかったなあ。ブレックファストとかサパーとか書いてあって中身が違うんだ。サパーは夕食で、チーズとロース肉にパン、タバコ2本が入っている。ぜいたくな物ばかり食べているんだ、アメリカは。」Wくん「おじいちゃんたちには何もないのにねー。」
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おじいちゃん「あとは『殴り込み』といって敵の陣地に夜中に食料をうばいにいくこともした。連中は地面にテントを張って寝ている。こっちはタコツボの中から見てて、ねらいをつけ夜中になって出かけるんだ。小じゅうは持たず、鉄カブトをかぶって、手りゅう弾を4つだけ持って行く。」
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おじいちゃん「こっちははだしなんだ。革ぐつの底がぬけたまま戦っているうちに、不思議なもので、足のうらはカチンカチンになるんだ。何をふんでも痛くないし、けがもしない。それでテントに足音もたてずに近づくんだ。」 Wくん「今のおじいちゃんの足のうらはふにゃふにゃだね。」
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おじいちゃん「テントの外から静かに手をつっ込んで食料をさがすんだけど、うっかり敵の頭をさわっちゃった時は、手りゅう弾をテントに放りこんで一目散に逃げてくる。『1、2、3』で爆発するから、逃げるのが遅いとこっちがやられちゃう。」 Wくん「うへーっ!?」
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その後、米軍からの食糧収奪もできなくなったおじいちゃんたちは、あらゆるものを食べるサバイバル生活を強いられました。 おじいちゃん「最後のころは何でも食べたぞ。でんでん虫や、なめくじ、ミミズ。ゴキブリ、野ネズミ、ヘビ。」 pic.twitter.com/hXa2zQGF9g
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8/15に終戦を迎えた後、取り残されたおじいちゃんたちがどうなったか、明日はその続きをご紹介します。
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戦争と平和の資料館ピースあいちです。今夜も、金沢の小学5年生Wくんが90歳のおじいちゃんに聞いた『おじいちゃん、戦争の話を聞かせて下さい』の続きを。800人いた前線部隊がほぼ全滅し、たった8人になってしまったおじいちゃんたち。ジャングルでのサバイバル生活を余儀なくされていました。
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Wくん「8月15日が終戦記念日だけど、その時は何をしていたの?」おじいちゃん「ぜんぜん知らんかった。日本はまだ戦っていると思った。頑張ればまだやれると思っていたよ。」Wくん「食べ物もなくて。大変な目をしながらジャングルで何を目標にがんばれたの?日本に帰れると思っていたの?」
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おじいちゃん「生きて日本に帰れるとは、まったく思っていなかったよ。ただ、こうやって頑張っていればきっとまた日本軍が勢いをもり返してくると信じていたんだ。」Wくん「いつ戦争に負けたって知ったの?」おじいちゃん「昭和20年11月の終わりのころ、敗残兵狩りにぶつかったんだ。」
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おじいちゃん「そのころおじいちゃんたちは、二人が死んで6人になっていた。フィリピンの軍人と日本軍の将校が一緒に敗残兵を探していて、部下の2人がつかまった。2人は敗戦を伝えられ、ぼくらのところへ帰されてきた。ぼくらは日にちと場所を決めて、山を下りることにした。」
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コメント

JET雪駄 Jet Set Junta @kickinside666 2014年8月27日
これは素晴らしい、貴重な、価値のある記録作成になったねえ。あと、W君の鋭い洞察「おじいちゃんは笑って話してくれたけど、本当は何か話していないところがあると思います」は色々と感じいるものがある。
江州藤原氏/発達障害当事者なんですこれで @hipponmaster 2014年8月27日
細かいことなんだけどお爺ちゃんなのか曾爺ちゃんなのかどっち?実のお爺ちゃんじゃないと思って読んでたら、お爺ちゃんが居なかったらぼくも生まれてないとのことだし。
大石陽@聖マルク @stmark_309 2014年8月27日
仲間が死んだことについては言及があるが、米兵相手については「やっつけた」であって、手榴弾をテントに投げ込んだことも特に気にしていない様子なのも結構興味深いな。
jose@別垢 @jose_devorak 2014年8月27日
あー、この子本当に偉いなあ。私がこの時分には戦争なんて怖くてグロいだけのイメージで全然聞けなかった。今になって色々予備知識を学んだうえで祖父母にも聞いてみたいと思ってるんだけど、どうしても話の内容が内容だから聞きづらいんだよなぁ…こうして戦争の記憶って風化していくんだろう。
ピースあいち公式ツイッター @peaceaichi 2014年8月27日
hipponmaster こんにちは。まとめ主です。Wくんの実のおじいちゃんで、Wくんのお父さんはおじいちゃんの末子だということです。
いくた♥️なお/ナマひめアンソロ参加者募集中 @ikutana 2014年8月27日
こういう話は後世まで残るんだろうね。うちの爺さんは、「戦争中済州島にいたけど、何事もなく復員した」んだけど、そんな記録は残らなくて激戦地だけの記憶が残されて行く。
佐々木重幸 @katusika_hisige 2014年8月27日
私の祖父、といっていいのかな?、祖父のような存在の人も戦争に行き、頭に弾がかすり鉄帽の中で破片が飛びまわって負傷したと聞いてます。 Wくんのように真摯な気持ちで話を聞けば良かったなと、後悔しました。
江州藤原氏/発達障害当事者なんですこれで @hipponmaster 2014年8月28日
ありがとうございます<まとめ主様 年の差祖父孫だなぁ…と思いましたがだいたい私も祖父とはそのくらい離れてますね。今小学5年生くらいだと、実のお爺さんでさえ戦争知らないというご家庭おおいですから、これは貴重な経験ですね。
江州藤原氏/発達障害当事者なんですこれで @hipponmaster 2014年8月28日
<激戦地の記録だけが いえいえ、来年戦後70年年になろうというコンニチでは、全ての戦争体験が貴重なものですよ。むしろ何にもない話の方が面白いかも
ラウド @loud001 2014年8月31日
戦争体験は話したがらない人が多いという感じがしてましたが、ここまであっけらかんと話されるとすごいなあと感じました。
Hornet @one_hornet 2014年9月1日
戦後ではなくて戦争を語れる人ってのは今や貴重だから素晴らしい経験ですね。
ピースあいち公式ツイッター @peaceaichi 2015年8月6日
まとめを更新しました。単行本の情報を追加いたしました。
のべやん @fox2fire 2016年6月6日
うちの母方のじいさまも、大陸で八路軍にいた頃のことはよく話してくれたけど、いざ日本に帰るとなった時の旅の話はしなかったな。「話していないこと」の中に本当に辛かったことがまだまだあるんだろうね。
餡蜜 @honeysuckle58 2016年8月15日
2年前のまとめですが、今、再び。本になって出版されています。「ぐんブックス」かピースあいちで購入できるはず…
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