久樹氏が語る東方と神妖

久樹氏@t_hisakiが神・妖怪など東方考察でまとまった話を しておられたので、いつか僕がこれについて言及することもあろうと思い、 リスト化しておきました。途中のリプライなど厳密なログに興味がある方は 本人のログを確認して頂きますようお願い申し上げます。
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久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

原始の神道において、妖怪と神に違いはなかった。より正確にいえば、荒ぶる神が災厄をもたらすために権現したものが妖怪であると考えていたと思われる。天狗や河童、白蛇などが時として妖怪として怖れられ、時として神として崇められているのがひとつの例。

2010-11-21 19:55:48
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

妖怪は退治すべきものであるけど、一方で神が退治する対象となったことも少なくない。妖怪を退治したあとで塚などを造ったのは、妖怪もまた神や死者達のように鎮めるべきものであると考えていたからでしょう。

2010-11-21 20:01:56
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

そもそも、神というのは目に見える存在ではなかったわけで。それが人形なり妖怪なりといったキャラクタとしての形をとるようになったのは、史実(かどうかは議論があるけどそれは置いて)に基づく「天津神の神話」が整備・体系化されてからの話だろう。

2010-11-21 20:07:43
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

現象をキャラクタとして捉える試み――平たくいえば擬人化ですな。

2010-11-21 20:16:57
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

現象としての神様というのは、実態を持たないし、人に直接働きかけるときは必ず依り代を必要とする。ひもろぎだったり、巫だったり。霊夢が神を降ろす時も、現象としてそれを呼んでいるに過ぎない、と思う。香霖堂にもそういう記述がある。

2010-11-21 20:20:20
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

こう考えたら、諏訪子や神奈子といったキャラクタとしての神様(神霊)と、住吉三神のような現象としての神様というのは違うんだなと(少なくとも私は)納得がいく。

2010-11-21 20:26:47
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

なんか誤解を招きそうだったらしいので、私は民俗学とか宗教学とか素人ですから、あくまで東方の世界観を理解する上での話です。

2010-11-21 20:29:15
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

「オリジナルを尊重し そこにさらにオリジナリティを付加して残すのが我々魔法使いの誇りですから」――もちろん、東方の世界観の元になった民俗学や歴史学、神学を研究されている方々には敬意を持っています。

2010-11-21 21:16:34
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

その前提をおいた上で、私が東方世界を考える時は、東方作品内での記述を第一としつつも、参考資料として他の学問や研究成果を参考にしています。時として両者が矛楯するときは、史実はともかく「東方ではそうなっている」という形で考えます。従って、私の考察は学問上正しくない可能性があります。

2010-11-21 21:21:20
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

というわけで、東方考察の続き。現象としての神様(住吉三神など)と、キャラクタとしての神様(諏訪子、神奈子)というのは違うんだろうな、というお話。

2010-11-21 21:30:10
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

幻想郷縁起では、神霊とは亡霊が信仰を受けたもの、とされている。考えると、実際に存在したとされる人物(英雄)が神として崇められるようになった例(日本武尊とか)がこれに該当するんじゃないかと。

2010-11-21 21:37:36
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

たまに勘違いされてるけど、諏訪子も祟りと災厄を起こすミシャグジ様そのものではなく、ミシャグジ様を統括する神だったわけで。元々は祟り神を鎮める巫女か何かだったのかも知れない。

2010-11-21 21:39:41
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

ふむ……これだと、キャラクタを持った神様とそうでない神様の差は分かるんですが、そうすると妖怪ってどうなのかな。妖精や幽霊、ミスティアや鵺、レティ辺りは現象からキャラクタ(妖怪)化した例だと思うわけですが、鬼やメディスン、妖獣なんかはそうじゃないわけで。むー。

2010-11-21 21:55:14
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

とまれ、いずれにしても、妖怪も神も、人間がいてはじめて存在できる。何故ならそれはどちらも「幻想」の存在だから。その昔、世界は幻想と現実がひとつだった。しかし、現実から幻想が失われるにつれて、紫は幻想と現実に境をもうけて、両者を「違うもの」とする対立の構造を創った。

2010-11-21 22:05:33
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

……ちょっと脱線しましたが、実はここからが本題なんです(^^;

2010-11-21 22:08:06
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

この現実と幻想が違うものだ、という話は、幻想を「夢」と置き換えれば夢違科学世紀のストーリーそのものなんですよね。夢と現を区別しなかった古代。それが違うものだと認知された近代(東方世界)。そして、夢と現は区別されるけど同じものだとされている現代(秘封世界)こういう流れがあるのかなと

2010-11-21 22:13:49
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

こう考えると、メリーのいったことと紫のやったことというのは色々示唆的で、そこに物語が生まれそうな気がするわけですが、うむむ……。「夢と現実は違う、だから夢を現実に変えようと努力出来る。だから――子供達は笑うことが出来たの」

2010-11-21 22:24:14
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

「悪夢の未来を吉夢に変える」……夢を現実に変える……。蓮子はメリーに何を呼びかけようとしていたのだろう。

2010-11-21 22:44:28
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

これを踏まえて考えると、紫とメリーの関係というのは……。また別の世界の話になるかも知れない。

2010-11-21 22:53:18
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

そういえば、秘封世界の日本は狂気を嫌って「広重」を選んだのね。永夜抄では、幻想とは狂気という感じの話も見られる。秘封世界は「仮想」であって「幻想」ではない。そこが大きく違うのか。

2010-11-21 23:05:03
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

なるほど。秘封世界には、「世界の均衡を崩す」狂気が存在しないのかー。

2010-11-21 23:07:58
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

蓮子は火事と喧嘩で彩られた江戸の流れをくむ東京の出身者。そこには若者達による狂気が残されている。では、蓮子はメリーに何が出来る? どう未来の夢を変えることが出来る? うーむ……。

2010-11-21 23:13:48
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

さて、東方考察とは別に、参考意見として烏山さんから紹介された京極夏彦の「通俗的妖怪と近代的怪異」の話は中々面白かったです。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006452285 

2010-11-21 23:40:57
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

妖怪(怪異)は昔から権力の正当化、あるいは風刺、あるいは娯楽として生みだされていった、というのは前に姫路でみにいった妖怪展示会の時でもあったなあ。

2010-11-21 23:46:20
久樹輝幸@生きねば @t_hisaki

同時に、東方世界における幻想観を考えるとき、学問としての姿勢・視点はひとまず置いておかないと危ないな、とも思った。まさに東方は「言語化された情報の行間にある幻想」を見るものだから。そして、私達二次創作者はその「言語化された幻想」のさらに行間にある「二次的な幻想」をみている。

2010-11-21 23:53:04
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