※※以下CulltEnCeavのツイートは『創作に於ける善悪(とついでに正義と罪)のはなし』を思考しただけのものですので、個人的な信教・信条・信念やそれらに依拠するものではないとご理解ください。実在の宗教や個人の信条を云々というものではありません。※※
絶対的な善悪っていうと定義から始めないといけないような気もするけど。これが宗教的な善悪なら教義を根拠として持って来れるから、けっこうさっぱりしてる印象なんだけれども。そうじゃない場合の善人悪人ってどういうところで判断されるのかな。
2014-09-02 12:29:08ごく個人的にはこの問いに対しては「否」であるのだけれど。正義ってごくごく一部の人間にしか共有されないし、正義と正義がぶつかる事があるし、だからこそ戦争は終わらない……は、さておき。
2014-09-02 12:46:35例えば。何かしら人間と敵対している別種族……魔物とか、そういうのと恒常的に人間が敵対し争っているような場小夜であれば、「魔物を討伐する」事は「人類全体に於ける正義」だからぶつかる余地がないし、それは「絶対的な正義」であって「善」だとは思う。想定される一部とは反発するだろうけど。
2014-09-02 12:48:14ただそれは宗教的な教義とか、価値観とかが下敷きになっているから、その土台を持たない人には野蛮に映るかもしれないし賛同を得られるかもしれないし反発を受けるかもしれない。それが恐らく衝突と言われるのだろうな。
2014-09-02 12:53:10それでは、これから『正義』の話をしよう。君はアンパンマンだ。ところがジャムおじさんは病気で寝込んでいる為、顔を新調する事が出来ない。そこに例の如くカバオくんが倒れている。しかも5人倒れている。君の顔は一人を満腹にするだけしか残っていない。だが、全員に均等に配れば何れ全員餓死する。
2014-09-02 12:56:51さて、君は5人のカバオくんに命を救うには足りないと分かっていても均等にパンを分け与えるべきだろうか? それとも、他の4人を切り捨ててでも、1人を満腹にして命を救うべきだろうか?
2014-09-02 12:58:55創作の領域内だけであっても相当な深淵だからこそそこに言及する作品が多いのだろうけれど、ものすごく深い深遠な気がする……。
2014-09-02 13:04:58私は、正義には「社会的な正義」と「個人的な正義」の二種類しかなくて、「絶対的な正義」があるとすれば「個人的な正義」を指すのだろうと思っている。身を切って弱者に施すことがなぜ「絶対的な正義」に当たらないかというと、身を切るということはその人が属している社会のリソースを削ることだから
2014-09-02 13:05:58その社会が十分なリソースを有していなければ、その人が身を切って社会のリソースを削ることで、その人は自らの属している社会を攻撃していることになる。
2014-09-02 13:08:00八美徳、八犬伝、儒教やら何やら諸々……八犬伝はそもそも儒教的しそうの美徳だしなあ。キリスト教の八美徳は言うまでもなく、儒教も宗教だしな。
2014-09-02 13:11:32……というか個人的に「善人」って「いいひと」打よねって言うのが強いのだけれどもそれってやっぱり「個人的に」であって……うん……。善悪を切り分ける為に宗教が使われているって言うのもあるんだけれど。現実では。
2014-09-02 13:12:55虚構に入れ込む時に「馬鹿な善人」とか「良い悪人」とかを入れ込みたい時に、宗教って楯が無いとそれが成立しないのは、ちょっと苦しい。限界が低すぎる。
2014-09-02 13:13:47