今から多和田葉子VS諏訪哲史講演会「かかとのない人、アサッテの人に出会う」が始まります。のろのろとメモを取ってきたいなーと思っております。不慣れかつ、自分のためのメモなので多分そんなに有益な内容にはなりません! タグはこちら #tawada
2009-11-09 16:29:49開始。専攻主任よりお言葉。われらが文化創造学部10周年のこの年に国際的作家多和田葉子を呼べたことは確かにすごいこと。今からビデオ上映。NHKで3年前放映されたものを流すみたい。 #tawada
2009-11-09 16:44:25多和田さん、坪内逍遥賞を受賞されるそうで。村上春樹に続いて。文化不毛の地名古屋。その名古屋で活動する諏訪先生、まず多和田さんにありがとう攻め。「この世に生まれてきてくれてありがとう!」諏訪先生は多和田さんに「諏訪婿入り」したいらしい……。 #tawada
2009-11-09 17:17:30諏訪先生、多和田さんの理想の男について語る。……俺は多和田さんの理想にぴったりだー! と言いたいらしい。「葉子さんの理想を具現化すると僕になるはずなんです!」オーディエンス、拍手するんじゃねえww #tawada
2009-11-09 17:19:49諏訪先生がロンバルディアを舞台に小説書いたのは、澁澤龍彦の紀行文に影響されてのことだとか。多和田「そういうところに婿入りされたらいいんじゃないですか」 ウマイ!! #tawada
2009-11-09 17:24:40ようやく文学の話?に突入した。多和田葉子との初めての出会いの話。諏訪さんに多和田さんは詩の朗読を薦めたそうだ。そのとき諏訪さんは「僕はどもりだから」と言ったのだが、それに対し「どもれるからいいんじゃないですか!」と多和田さんは言ったとか。 #tawada
2009-11-09 17:27:27それを聞いてから、諏訪先生の中で言語に対する意識が転換したらしい。「かかとのない人」についての話。「どもれること」「つまづけること」それが障害ではなく得がたいものであるという概念を、諏訪先生は啓示として受けた。 #tawada
2009-11-09 17:29:08どもることととなまることの関係。なまる瞬間、とは、前知の言語が引き起こす、異なる言語と言語のぶつかり合いである。朗読の時や執筆の時にそれをより感じる。 #tawada
2009-11-09 17:31:05多和田。日本語はドイツ語に比べて抑揚がつけづらい。そこに悩んで気づいたのは、小さい「つ」に日本人は力を込めるのだということ。出したい気持ちをいったんそこで保留にしぶつける。そこに抑揚、力がある。 #tawada
2009-11-09 17:34:59「エクソフォニー」の話。諏訪先生にとっては一種の思想書らしい。「人はコミュニケーションを覚えるとそればかりしてしまう」という部分について。 #tawada
2009-11-09 17:36:10優等生も劣等性も悪魔的発想に至ることができない。諏訪、物語の前にある言語に意識を向けることを大事だと思っている。多和田文学を読むとそれが裏付けられる気がして勇気付けられる。 #tawada
2009-11-09 17:38:48多和田。言語と「音」の話。諏訪小説は、「言葉」が見える小説である。多和田質問、「ロンバルディア」ではどうして同じ字をぎっしり並べることをやったのか? 諏訪、「りすん」までの「聴覚」に対する挑戦から、「視覚」へ。 #tawada
2009-11-09 17:42:50諏訪小説についての話が続く。諏訪小説の人物の話し言葉は美しい。なぜか? それは三島由紀夫「天人ごすい」の影響があると、諏訪。話し言葉に、三島的な美しさをのせたくて意識的に文体を作ったとか。 #tawada
2009-11-09 17:46:01多和田。文学賞の新人に多いのは、自分たちが使っている言葉だけで自分の使える語彙だけで狭い世界を描いてしまう。他者の言葉、テキストを取り込んで表現することは、小説を書く上で普通のことのはずである。 #tawada
2009-11-09 17:47:17