2014年9月14日

「重陽節句」の歴史からアブナイ研究まで

重陽の節句(9月9日)の話題から、なぜか歴史学・考古学の話になり、最後には聖書研究とか、物理学の研究(特に「発見的物理研究」discovery physics)の話題になってました。その過程をまとめました。
13
9月9日は重陽(ちょうよう)の節句
むらやまこういち @murapyon71

神社で儒家の重陽は変に思うかも知れないけど、昔天皇が宮中で『礼記』月令やら『荊楚歳時記』やらに習って祭事を執り行ったので、神社も右倣えなのである。そう考えると神道ってなんだろう?という疑問がわいてくるけど細かい事は言いっこ無しか。 facebook.com/kifunejinja/ph…

2014-09-09 14:26:48
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

重陽が9月9日の節句の意味でしたら、王重陽とは偶然の一致ではないでしょうか。でもそれは別として興味深い考察でした。まとめに感謝です。 .@murapyon71 さんの「由来もろもろ」をお気に入りにしました。 togetter.com/li/718113

2014-09-13 23:18:09
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno すいません、これは僕の文章が雑でした。「儒家の重陽」→「重陽の節句」の事です。儒家と書いたのは「九」を陽とする考えの出典が五経の『易経』によるからです。(^^;;;

2014-09-13 23:23:15
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

あ、そういう意味で。早とちり失礼しました。(でもよく考えたら、神社で儒家風の重陽の節句というのは確かに変ですよね^^;) @murapyon71 「儒家の重陽」→「重陽の節句」の事です。儒家と書いたのは「九」を陽とする考えの出典が五経の『易経』によるからです。(^^;;;

2014-09-13 23:31:58
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno そうですね。それで、天皇の歳時は儒教の歳時(『礼記』や『荊楚歳時記』など)を基本としてますので、神社も右に倣えをしたという表現を用いたのです。

2014-09-13 23:35:55
歳時の歴史について
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@murapyon71 でも論語の伝来(この時に四書五経も伝来したと思いますが、違いますかね?いずれにしても。)より、前から、天皇の祭事はされていたのではありませんか?(単純な質問です)例えば、崇神天皇と垂仁天皇の時(第10代、11代)に、祭政分離を(すでに)やっていますが。

2014-09-13 23:49:27
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@murapyon71 天皇による初期の祭事は、倭姫命を擬した(いわゆる)斎宮の儀式として今に残っていると思いますが、ご指摘の礼記や荊楚歳時記が(日本に)伝わると、やはりそれらが「習合」していったのかもしれませんね。(同じだったというのも根拠のないことでしょうから。)

2014-09-14 00:02:30
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 『日本書紀』の神武から推古朝までの暦日が推古朝の時に中国に劣らず古い伝統を誇示する為の偽作である事を小川清彦が『日本書紀の暦日について』『日本書紀の暦日の正体』で論証していて、現在はこれが通説となっているようです。

2014-09-14 00:06:30
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno そこで仮説がたてられ「推古9年辛酉(西紀601)から1蔀1260年を遡った年を神武元年と定めたにすぎない」「推古天皇の時、聖徳太子が国史を編纂するために日本の建国いわゆる紀元元年をそれ以前どれ位の年代を遡ったところにおくべきかという問題に遭遇した際に、

2014-09-14 00:16:12
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 讖緯説を採用して、60年を21倍した蔀、この1蔀1260年を遡らせた辛酉を神武即位の年と決め」とあります(『日本書紀の暦日の正体』)。

2014-09-14 00:16:17
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 『日本書紀の暦日について』で、史学者の話しとして「神武以降仁徳あたりまでは伝説の時代であったろう」とあり、実在の天皇で遡れるのは古くても履中までが限度とあるようです。

2014-09-14 00:32:16
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 『荊楚歳時記』の日本伝来の詳しい時期は不明ですが、日本の『本朝月令』『年中行事秘抄』に、天平勝宝五年(753年)正月四日の勘奏に引用されていますので、奈良朝初期においては既に伝来していたとあります(川瀬一馬『日本書誌学研究』、坂本太郎『荊楚歳時記と日本』)。

2014-09-14 00:45:53
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 天皇の月令で新嘗祭など主要な行事はだいたい『礼記』月令に載っていますので、天皇がその歳時を取り決めるのに『礼記』を参照にしたのは間違い無いと思います。※『礼記』月令とは中国の皇帝の歳時記の事です。

2014-09-14 00:49:34
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 『荊楚歳時記』は、揚子江下流域の歳時等をまとめたもので、日本は有史以前から呉越と交流がありましたので、宮中行事に影響した事は確かで、宮中行事で『荊楚歳時記』に記載のあるものは多いです。揚子江下流域の歳時は中原の歳時を参照にしているので、その歴史も相当古いです。

2014-09-14 00:57:22
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno ちょっと長々となりましたが、日本が中国の歳時を学ぶのに参照した主な文献というのが『礼記』や『荊楚歳時記』であり、逆説的に『礼記』や『荊楚歳時記』等の文献で説明のつかない部分が日本の有史以前の伝統行事では?と僕は考えています。

2014-09-14 01:02:11
歴史における「事実」
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

それは承知しておりますが、論点は年代ではなく、ずらす前の神話的事実、その事実があったかどうか、ということなのですが。そこはいかがお考えでしょうか。@murapyon71 『日本書紀』の神武から推古朝までの暦日…偽作である事を小川清彦『日本書紀の暦日について』…で論証…通説

2014-09-14 08:16:25
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 『日本書紀』の神武以降の神話的な所は、出雲や九州や機内などに口承で伝わった逸話や説話を長暦に当てはめていった、『史記』でいうところの五帝本紀にあたる様な部分で、事実とは考え難いと思っています。

2014-09-14 08:43:49
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

なるほど。そこでいう「事実」という言葉の定義ですが、それはどうお考えですか。おそらく、どこかに「書いたもの」(典拠や文献)があるかどうか、という判断基準でしょうか?@murapyon71

2014-09-14 08:50:18
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 日本語を書き記す方法は漢字を日本人が勉強して以降の万葉仮名に始まり、有史以前に日本独特の文章は無く高度な文明は発達し得なかったと考えてます。基本的には、橋本進吉『国語音韻の研究』、山田孝雄『神代文字の論』、狩野享吉『天津教古文書の批判』を参考にしてます。

2014-09-14 09:10:46
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

なるほど。大阪府堺市にある仁徳天皇陵はご覧になったことありますか?これも同定できないとお考えですか?(単純な質問です) @murapyon71 史学者の話しとして「神武以降仁徳あたりまでは伝説の時代であったろう」とあり、実在の天皇で遡れるのは古くても履中までが限度とあるようです。

2014-09-14 09:16:59
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

例えば太安万侶が聞き取った稗田阿礼ご存じと思いますが、そういう口承の時代(言葉はあった)の文明は、どう評価されますか?@murapyon71 日本語を書き記す方法は漢字を日本人が勉強して以降の万葉仮名に始まり、有史以前に日本独特の文章は無く高度な文明は発達し得なかったと考えてます

2014-09-14 09:20:57
むらやまこういち @murapyon71

@y_mizuno 一瀬和夫・田中俊明・菱田哲郎『巨大古墳の出現 仁徳朝の全盛』に、仁徳陵の比定の根拠は『古事記』「毛受之耳原」、『日本書紀』の百舌鳥野陵に葬られた。とあるだけとし、

2014-09-14 09:36:05
残りを読む(54)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?