参加者になれないストレスというのは、けっこう大きい
- lucifer_af
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ホメオパシーなんて、ホメオパシー薬として見ればプラセボ以上のもんじゃないのはあきらかなんだけど、医療としてみるとかなり興味深いカウンセリング。しかし、そこはあまり知られてない。というか、ホメオパシー支持という人があまり知らないみたい。
2014-08-26 08:30:02参加者になれないストレスというのは、けっこう大きいのではないかと思う。自動車よりも航空機のほうが事故リスクは低いにもかかわらず、自動車をむしろ安全と思う心理なんかも、自動車は自分で操縦できたり、ドライバーに注意を促すことができる、状況に参加できる側面が貢献しているのだろうし
2014-08-30 11:24:59大昔の医療ドラマなんかでは、怪我をした主人公が病院に運ばれ、焦った表情の救急医が「O型の血液が足りません。皆さん何とか手配してください」みたいに集まった身内に協力を求めるような場面がたしかあった。ああいうのも、傍観するストレスを軽減する効果があったんじゃないかと思う
2014-08-30 11:26:35宗教の大昔、何かの病気で亡くなる人の身内は、その人に対して祈ることで、身内の死という理不尽に対して、傍観者ではなく参加者として対峙することができた。今の社会で、宗教の効能を信じていない人が祈っても、今この状況に参加しているという感覚はたぶん得られない
2014-08-30 11:27:56@medtoolz 確かに。似たような話として「あなたもEM団子をこねて水質浄化に参加できる!」という呼び掛けは、科学的に完全に間違っているにも関わらず、「正しい知識を勉強して!」という擬似科学批判側の働きかけより心理的訴求力が圧倒的に強いよねーと
2014-08-30 11:31:54患者さんを看取るマニュアル本なんかには、ご家族に「見守ってあげましょう」と促すように記載されていることが多い。実際問題として、その状況ではもう、見守る以外のこともできないし。でもたぶん、何もせず見守るのってすごいストレスになる
2014-08-30 11:29:13@medtoolz だからこそ御家族から「できることはなんでもしてください」と言う意見が出るのかもしれませんね。
2014-09-03 16:42:50完全看護の体制が作られてから、病院の職員が怒鳴られる機会が、むしろ増えた。サービスとしては向上したのは間違いないのに。完全看護というサービスの改良は、結果として患者さんのご家族から参加者になる機会を奪ってしまったからなんだと思う。怒鳴ることは、ご家族に唯一残された参加の機会で
2014-08-30 11:31:45@medtoolz 在宅ホスピスや緩和ケア領域では、家族がアロマや漢方や代替医療を持込むのを認め、家族が作った食事を提供できるようにキッチンを用意するなどしている病院があります。参加することがストレスの軽減だったり死の受容に寄与するのかなと思っています
2014-08-30 12:43:37まあ病院に行く患者って、「話を聞いてくれなくてもいい、病気で実害が出てるのでそれを抑えて欲しい」方向性と、「訴えたいことがあって医者に話を聞いて欲しい」方向性があって、前者が100で後者が0の人、70:30くらいの人、40:60くらいの人、など様々
2014-08-30 16:57:57西洋医学が発達する以前は「病気を治す」ことが難しかったので、医者も割と諦めムードで、「話を聞いてあげることで苦痛を緩和する」に重点が置かれてた。ところが抗生物質とか出てきて「確実に治せる範囲」が広がり、カウンセリングで時間潰すより薬で治せる人数増やす方に社会的ニーズが移行
2014-08-30 17:07:10@raurublock 心不全の患者さんを診ていた大昔、すごい年配の先生から、「皆さんの時代には利尿薬があっていいですね。昔は利尿を期待するなら水銀しかなかった」なんて聞かされたこともあるのです。。
2014-08-30 17:13:31マーキュリーの宇宙船だったか、パイロットは「ただ乗るだけ」として設計されたのに、パイロットの側から「お願いだから操縦の機会を作ってくれ」と頼まれて、姿勢制御の装置がついていた。あれもこう、パイロットのプライドがそうさせた側面とは別に、操縦できない乗り物に乗るのって怖いんだと思う
2014-08-30 11:33:08たとえば自宅で高齢の患者さんを看取る時に必要なのは、「死とはこういうものだ」という知識ではなく、「家族にも使える医療セット」みたいなものなんじゃないかと思う。それが根本的に病気を変える可能性はゼロにせよ、それを持っていることで、ご家族は身内の死に対して参加者になれる
2014-08-30 11:35:14@medtoolz 確かに、病院死と在宅死では、それに臨む家人の立ち位置、向いている方向、役割分担、観察態度など全く違いますね。在宅看取りに際しては、家人がそれに参加するためのマニュアルのような冊子を準備してお渡ししています。
2014-09-03 17:50:56@hanamichi_kaede 「できることがあること」って、無力感に潰されそうなときに、きっとその人を支えてくれるんだろうなと。
2014-09-03 19:30:29もう意識もないような人に対して痛み止めの座薬を使うかどうかの判断を御家族にゆだねるのとか、医学的には欺瞞かもしれないし、それこそ川の回復にEM団子をぶち込むことを勧めるのと大差ないかもしれないけれど。
2014-08-30 11:37:06「医学的にはもはやあまり意味のない医療行為を行う機会を御家族に提供する」というのは、たしかに医学的には意味がないんだけれど、参加者になれないストレスを軽減する装置としては、使う道具が「医学的後脳が保証されている」ことが、すごく大切になる。
2014-08-30 11:38:51@medtoolz 尊厳死セット?自宅で身内が死亡すると警察へ身の証を立てなくてはいけなくなる。よって無理にでも救急車を呼ばないといけなかったりする。悲しみに屈辱が上乗せされるので、医療的よりも法的ケアが可能なガジェットが先に欲しい。
2014-08-30 11:51:07@oliza9 今は訪問看護師さんとか往診クリニックとか増えているから、流れとしては自宅で亡くなる人は増えていくんだろうと思うのです。
2014-08-30 11:52:34@medtoolz 論点ずれちゃいますが病院で死ねるだけの蓄えを持てないという理由も多くなりそうだし、自宅で亡くなる人増えそうですね。 家族のいない孤独死に対応できる医療セットなんかも、地味に需要有りそうな気がしてきました。
2014-08-30 12:04:56