グリーフ・ケア(悲嘆ケア)のモデルとしての『春日狂想』(中原中也)

中原中也『春日狂想』についての有原シンスケさんのtweetをまとめました。
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中原中也の『春日狂想』という詩は、グリーフ・ケア(悲嘆ケア)のモデルのひとつかと想う。ここで心理学的な真実が探求されていると仮定してみる。詩人による科学的探究だ。中也の出した処方箋とは。まず中也は、詩のはじめに「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。」と断言する。

2014-09-17 21:10:49
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離別の苦しみというのは、自分の一部が死んだということだろう。愛するものが死んだということは、自分の一部がすでに自殺したということにひとしい。だから「自殺しなきゃいけない」というまえに、すでに自殺は行われているとかんがえることもできる。

2014-09-17 21:12:09
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そして次に、愛する者が死んだときには、そのもののために、奉仕の気持ちにならないといけない、と中也はすすめる。最近では、人を助けること、ボランティアをすることがその人の健康にもプラスになるという科学的研究がある。しかし、ここでは奉仕の気持ちになることが大事なのであって、じっさいに

2014-09-17 21:13:51
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ボランティアをしろと中也がいってるわけではない。中也が示唆するのは、「奉仕の気持になりはなったが、さて格別の、ことも出来ない。」という状態である。しかしこのことで、すくなくとも人と接するときに丁寧になり、日常生活で腹が立たない状態を保てるなら、「奉仕の気持ちになること」の効力は

2014-09-17 21:15:40
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現実的なものである。人びとが全員、部屋や街角でおだやかに「奉仕の気持ちになっている」状態であれば、じっさいにボランティアや人助けをしなくても、世界は今よりずっと平和なものになっているだろう。「本なら熟読、人には丁寧」、と中也は語る。具体的にはそういう行動としてあらわれている。

2014-09-17 21:17:59
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「テンポ正しき散歩をなして」、「まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊」「まるでこれでは、毎日、日曜。」という描写があり、中也はお道化(どけ)ている。しかし道化(どうけ)のような「テンポ正しい握手」が、すがすがしい軽さをもたらす。中也にとってはこれが「実直さ」のあらわれなのだ。

2014-09-17 21:20:30
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まじめくさった振る舞いが、「実直」ではない、と感じることがある。誠実に考えれば考えるほどピエロっぽくなったほうがいいのではないか、と思えてきてしまうという逆説が人生には存在する。ていうか、気質的にそういう部分をもった人がいるので、それを認めてね。

2014-09-17 21:22:12
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「神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、まぶしくなったら、日蔭(ひかげ)に這入(はい)り、そこで地面や草木を見直す。」 

2014-09-17 21:24:01
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これが中也のいう、奉仕の気持ちになることなのだ。それは愛する者が死んで、その死んだ人のおかげで、可能になったゆっくりと味わう日々の煌きであり、安らぎであり、中也固有の、お道化たしぐさなのだ。

2014-09-17 21:26:07
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「苔(こけ)はまことに、ひんやりいたし、いわうようなき、今日の麗日(れいじつ)。参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、わたしは、なんにも腹が立たない。《まことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の、美しさかな。》」  奉仕の気持ちになることで、「腹が立たない」という効果が出てきた。

2014-09-17 21:27:07
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「空に昇って、光って、消えて―― やあ、今日は、御機嫌(ごきげん)いかが。久しぶりだね、その後どうです。そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。」 「ではみなさん、喜び過ぎず悲しみ過ぎず、テンポ正しく、握手(あくしゅ)をしましょう。」 なぜなら愛する者は死んだのだから。

2014-09-17 21:28:38
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「まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、話をさせたら、でもうんざりか? それでも心をポーッとさせる、まことに、人生、花嫁御寮。」 そのように景色が美しく見えたのは、たぶん死んだ人が見せてくれたのだ。「ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――テンポ正しく、握手をしましょう。」

2014-09-17 21:30:08
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中原中也の「春日狂想」は、狂ってない。しずかな気持ちで、誰かが亡くなったときに、自分が哀しくなっていったり安らいだりする、人間の心理の経過をかんさつしている。処方箋もなんとなく出している。ほかの人にも呼びかけている。みんなもそうではありませんか? って。私はそうだ正しいと思う。

2014-09-17 21:33:09
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「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、なおもながらうことともなったら、奉仕(ほうし)の気持に、なることなんです。奉仕の気持に、なることなんです。」

2014-09-17 21:34:21
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「愛するものは、死んだのですから、たしかにそれは、死んだのですから、もはやどうにも、ならぬのですから、そのもののために、そのもののために、奉仕の気持に、ならなきゃあならない。奉仕の気持に、ならなきゃあならない」 これを言っているのは中也ではなく、もしかして死者のほうかもしれない。

2014-09-17 21:36:48