【書評】岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』を読んでの覚え書き。個人的記録。
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齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.37:「『音楽は言葉に出来ない…』という発想自体はそんなに古いものではなく、これを言い出したのは十九世紀(中略)のドイツ・ロマン派の詩人たちなのだが、それが今日に至るまで私たちの音楽の聴き方/語り方に強い縛りをかけている」

2014-05-10 13:37:15
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.39:「造形芸術や言語芸術と違って形がないからこそ(中略)音楽がかつての宗教にも比すべき祈りに、そして超越的世界の啓示の場になったということにほかならない」

2014-05-10 13:40:33
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.52:(十九世紀においては)「音楽が宗教/商品であり、聴衆が信者/公衆であったのと同様、批評家は神官であると同時に画商になるのである。」

2014-05-10 13:49:09
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.55:「よかったのか悪かったのかについての判断を、近代の聴衆は有力者/ジャーナリズムに委ねた。だが黙って聴いているだけの聴衆ほど与しやすいものはない。往々にして評価は音楽と関係のないところで決められるようになる」

2014-05-10 14:02:07
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.55:「聴衆を相手に、でたらめなことを言って偽物を売りつけようと思えばいくらでも出来る(中略)一方に音楽の神格化、他方に音楽の詐欺商品化—こうした両極端が同時進行し始めたのが、近代の音楽界であった。」

2014-05-10 14:05:08
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』を読んでいると、佐村河内氏によるゴースト作曲問題が発生した構造は、19世紀音楽界にそのルーツがありそうだ。日本コロムビアや五木寛之(小説家)、野本由紀夫(音楽学者)、許光俊(音楽評論家) …このあたりは「詐欺商品化」に担った面々だ。

2014-05-10 14:10:26
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.68:「ただ食べたり飲んだりするだけなら、それは単なる生理的な営みに過ぎない。『語る言葉』が整えられていくことで初めて、食は食文化になる。そして音楽においても事情は同じだろう。」

2014-05-10 16:13:47
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.114:「『音楽は語れない』と『音楽は国境を越えた言葉だ』は、ともに音楽の言語性格の否定であるという点で、根は同じなのである。音楽は誰にでも分からなくてはならないという呪縛である。」

2014-05-12 01:21:47
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.114:「国民音楽は(中略)その民族文化を国境を越えて普遍化する役割を与えられていた。それに最も成功したのがドイツであった」

2014-05-12 01:26:15
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.114:「本当はその文化に精通しなければ理解のかなわぬ「言語」であるかもしれない音楽を、自国の中心性は隠したまま、『国境を越えている』と言い立てて世界に広めるわけである。」

2014-05-12 01:26:39
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.131:「音楽の聞き方の変化をさらに加速させたのが…音楽市場のグローバル化である。市場として成立するには、その音楽は世界中で売れなければならない…文化産業が意味を捨象して、サウンドによる音楽販売を開始したのは、当然のことだった」

2014-05-12 01:34:20
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.131:「そして意味がなくなったサウンドという容器に注入すべく、さまざまな物語ソフトが開発されていく。ありとあらゆる映像の類、マスコミを流れるスター神話、あるいは感動エピソードの類である。」

2014-05-12 01:36:45
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

「『感動』は自分一人の特別なもの」と思いがちだが、「『感動』させられているだけかもしれない」という疑いは常に意識しておくべきだろう。意味を読み解くことを捨てて、快/不快に身を委ねている(or 委ねさせられている)ときにこそ危険である。

2014-05-12 01:39:46
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

日本のアニメーション文化は、1990年代からの20年間で、かつて西洋音楽が辿った受容スタイルの変遷の歴史を、急激なスピードでなぞっているのかも知れない。

2014-05-12 01:41:51
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

私は、ロマン派クラシック音楽の豪奢なサウンドに耽溺するだけの古いオーディオマニアを「低質なもの」と考え、それへのカウンターとして、ケージの音楽思想やミニマル・ミュージックを位置づけていたが、実は「意味を捨てサウンドのみを聴く」という点では、近いものがあるのかも知れない。

2014-05-12 01:47:08
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.138:「生まれた瞬間に消えていく音楽というはかない芸術を、固定し複製可能なものにしようとしてきた点で、西洋の音楽は極めて特異な性格を持っていた。」

2014-05-28 02:48:24
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.144:「原則としてストラヴィンスキーは演奏家の解釈というものを信用していなかった。いわく『通訳(トラドットーレ)はいつも裏切り者(トラデイトーレ)である』。」

2014-05-28 02:50:39
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方』p.163:「音楽をめぐる言説が自分の主観印象を綴るのではなく、しかし単に無味乾燥な事実確認に終始するのでもなく、個人を超えた客観的な価値観に依拠しつつも、有意味な(中略)議論を展開しようと思う限り、それは何らかの共同体の存在を前提とせざるをえない。」

2014-05-28 02:55:38
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.167:「私たちは、音楽についての生産的な対話をしようと思う限り、常に何らかの歴史的文化的審級を参照せざるをえない。別に「本来の」文脈を金科玉条のように守る必要はない。だが人は歴史文脈なしで音楽を聴くことは出来ない。」

2014-05-28 02:58:46
齋藤 晋(Susumu SAITO) @ssm3110

岡田暁生『音楽の聴き方—聴く型と趣味を語る言葉』p.173:「歴史と文化の遠近法の中で音楽を聴くとは、未知なる他者を知ろうとする営みである。」

2014-05-28 03:00:38