琉球の歴史書 中山世鑑 と源為朝伝説

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喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

突然、リンクを添付して、ネット右翼という定義も曖昧な言葉を使用してリプライを飛ばしてきた人がいました。コレがそのリンク。 ntt-i.net/kariyushi/amam…  一読して、人並みの知識しかない自分が読んでも、ひどい内容ですねコレは。

2014-09-27 12:26:04
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)琉球新報の仲里嘉彦氏による意見だが、「与論町をはじめ大島郡は文永3年(1266年)、琉球王朝の善政を慕って自ら英祖王に入貢し、1609年の薩摩藩侵攻までの343年間、琉球王の支配下にあった。その間、平和で安穏謳歌した時代があり、それは一般的に「那覇世」と呼ばれた。」とある。

2014-09-27 12:30:35
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)英祖王とは、『中山世鑑』などの琉球国編纂の歴史書に登場する王の名前。出典が明記されていないからたぶん中山世鑑からの引用だろうけれど、中山世鑑は1650年に成立した歴史書で、源為朝が琉球にわたって舜天王統の祖となったという、神話と言っていい話から書き起こしている。

2014-09-27 12:35:26
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)1429年の第一尚氏王統の尚巴志王による三山統一以前の琉球を古琉球と一般に呼ぶが、歴史的な資料は乏しく、為朝の子の舜天が開いたとされる舜天王統や、その次に英祖が開いた英祖王統は、資料的な裏付けは乏しい。資料的には、中山王国を開いた察度が明王朝へ朝貢の使者を送って以降が主。

2014-09-27 12:42:04
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)その察度も、天女の羽衣伝説のような出生譚が残る、謎の多い人物。現実的には、民俗学の泰斗・折口信夫なども想定するように、倭冦の活動の活発化により、村落共同体からまとまった国への発達が考えられる。しかし、『中山世鑑』は江戸時代に成立した史書で、編纂者の羽地朝秀は日琉同祖論の人。

2014-09-27 12:48:24
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)司馬遷の史記が、彼が仕えた武帝の正統性……黄帝から武帝までの世が、正統性を連綿と伝えてきた、ということが語られる。故に、黄帝の事跡は武帝のソレと酷似し、当時の漢王朝の版図と同じようなものがそのまま古代から受け継がれたような体裁で記述される。

2014-09-27 13:59:06
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)コレは日本書紀も似たようなもので、神武東征の畿内への進軍は、天武天皇のそれをモチーフにしている。中国文明の影響を強く受けた琉球国の、正史である中山世鑑が、第二尚氏王統以前の統一王国の存在とその継承を想定するのは、ある意味で中華文化圏の周辺文明には当然の側面もある。

2014-09-27 14:03:10
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)ゆえに、仲里氏の言い分は、一歩間違うと神功皇后の三韓征伐の記紀の記述を歴史的事実とする国粋主義者の態度と、通底する危険性がある。そもそも、琉球独立共和国を云々する人間が、日琉同祖論をベースに置く中山世鑑の、ある意味神話的な記述を元にした記事を無批判に引用するのにも、違和感。

2014-09-27 14:08:13
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)現実には沖縄は、第一尚氏王統による統一によって、ようやく統一王国が生まれたのであり、奄美群島南部の沖永良部島や与論島は地理的影響から、北山国の支配下にあった。北山国の統治していた世之主(真松千代)は、中山国への恭順を促されたが、コレを誤解して自害したとされる。

2014-09-27 14:31:16
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)三国志さながらに沖縄本島が三国による争いの時代、甘みが平和であったと考えるほうが飛躍しているのであり、また後に第一尚氏王統となる中山国が平和的な勢力ならば、自害という選択をすることが矛盾する。第二尚氏王統成立の状況の記述を見ても、中山世鑑には脚色が疑われる部分が多い。

2014-09-27 14:36:10
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)中山国が北山と南山を滅ぼし統一する過程を見ても、有力按司を金品で懐柔し離反、要するに裏切らせる手法を用いている。中山世鑑では誇張はあるにしても、大船二十余艘に三千騎を動員したとされる。北山王の側近の本部平原を寝返らせ、北山王を騙して出陣させ中山軍を招き入れる策を弄している。

2014-09-27 14:44:44
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)仲里氏は、まるで数百年も琉球とその周辺が平和であり、薩摩の侵略でそれが崩れたかのような記述をされているが、現実には戦国時代さながらの、血で血を洗う戦いが繰り広げられていたのであり、疑問を感じる。琉球は薩摩の侵略の被害者であったのは事実にしても、論理に飛躍を感じる。

2014-09-27 14:52:52
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)仲里氏は「かつての戦国時代はじめ、世界史の中においても武力による支配や権力によって支配されるというのが一般的である。奄美大島のように、自らの意志で入貢するということは、世界広しといえども他に類例がないことであると思われる」とまで書く。朝貢をどう捉えているのかさえ曖昧。

2014-09-27 14:54:07
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)朝貢自体はそれこそ卑弥呼よりも前からやっていることであり、建前は中国の皇帝の徳を慕って周辺の野蛮国がご機嫌伺いに来るという体裁。皇帝は、自分の影響力が遠い異郷まで及んでることで国内向けにアピールする道具に使えるので、贈り物の何倍もの返礼をするので、旨味のある貿易となる。

2014-09-27 15:06:31
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)現在の中華人民共和国も朝貢と冊封を意図的に混同しているが、属国になる冊封と貿易目的の朝貢は異なる。伝説上でしかない奄美の入貢を絶賛する仲里氏だが、これも同様に明王朝の冊封体制に組み込まれた琉球国を、中国が支配権の正統性を主張する論理にすり替えることが可能ではないか?

2014-09-27 15:11:43
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)さて、第一尚氏王統は尚徳王を最後に絶え、尚円王による第二尚氏王統が開かれ、これが明治まで存続する。が、この二つの王朝には血縁関係はない。中山世鑑では尚徳王の急死で、家臣団の推挙によって尚円王が擁立されたとしているが、宮廷内クーデターであったというのがもっぱらの見方。

2014-09-27 15:17:42
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)第一尚氏王統最後の尚徳王、1466年に喜界島へ親征し、領土に加えている。奄美群島が喜んで琉球国の支配下に入り、平和に暮らしていたなら、なぜに侵略戦争を仕掛ける必要があるのか。中山世鑑の英祖の伝承を持ち出すのは、歴史のつまみ食いと言わざるをえない。

2014-09-27 15:23:07
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)史実では、第二尚氏王統を開く尚円王こと金丸が、尚徳王に反発して食をじしいた八ヶ月後に、尚徳王は急死する。中村清司氏の『本音で語る沖縄史』などでは、病死の他に毒殺説や自殺説を挙げるが、真相は藪の中。尚徳王に子供がいたのに、安里大親に住む白髪の老人が現れ、金丸の測位を後押し。

2014-09-27 15:34:49
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)コレが平和的な禅譲ならともかく、尚徳王の世子も含め一族は殺され、臣下は逃亡。20歳以上も尚徳王より歳上であった金丸は、その養子として明王朝に朝貢し、明は明で素知らぬ顔で血糖が断絶したこの新王朝を承認してる。仲里氏の夢想する平和な琉球王国の実態は、こんなところである。

2014-09-27 15:39:38
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)第二尚氏王統も、尚円王の薨去後に王位継承でのゴタゴタがあるし、琉球国の再生機を実現した尚真王は、八重山諸島や与那国島を征服している。良い悪いではなく、そういう時代。琉球国が本土よりも平和を愛する国民であったと仮定しても、弱い国や地域は攻める、普通の国でもあったということ。

2014-09-27 15:44:56
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)ということで、仲里氏の意見は、史実から考えても疑問が多い、願望が投影されたものであると同時に、日琉同祖論や朝貢の賞賛など、たぶん仲里氏が嫌いであろう国粋主義者の論理に用意に転換できてしまう、危うい側面が多いなぁという感想。 ntt-i.net/kariyushi/amam…

2014-09-27 15:49:25

中山世鑑 とは

森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

いつの間にやら『中山世鑑-訳注』などという俺得本が出ていて、ついぽちってしまうのだった。 ryukyushimpo.jp/news/storyid-1…

2012-05-20 21:38:49
リンク ryukyushimpo.jp 『訳注 中山世鑑』 身近になった琉球王朝史 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース