2014年9月28日

中村三春『修辞的モダニズム』読書メモ集

中村三春『修辞的モダニズム――テクスト様式論』(ひつじ書房、2006・6)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

中村三春『修辞的モダニズム』(2006・5)を捲っているが、内容以前に装丁が素晴らしいな。シックな基調で統一しつつ、グレーとクリーム色のコントラストで、リーバブルに楽しめる。あと、340頁にしては重い。この重みは一体…やっぱりイイ紙使ってるんだろうか。

2014-09-23 07:53:42
荒木優太 @arishima_takeo

小説を読むなどという、情報取得の形式としては極めて冗長な活動を人が好んで行うのは、読書行為じたいのなかにある種の愉楽が含まれているからであると推認できるだろう。それは持続の快楽であり、引き延ばしの快楽である。by中村三春『モダニズムの修辞学』

2014-09-24 20:03:46
荒木優太 @arishima_takeo

「純粋小説とは、それを読むことによって、純粋にエクリチュールの愉楽以外には何も得ることのできないテクストなのである。人生や社会に関する功利的価値としては、何も学ぶことができない」(中村三春『モダニズムの修辞学』)。うーん…そうなのか?

2014-09-24 20:06:34
荒木優太 @arishima_takeo

ああ、横光『寝園』の奈奈江が夫を撃ったのは故意か過失かって話って、既に『マルクスの審判』で描いていたことなんだな。

2014-09-24 20:13:50
荒木優太 @arishima_takeo

あっ、タイトル間違えました。『修辞的モダニズム』が正解です。どうも失礼しました。RT “@meifuku29: @arishima_takeo 『修辞的モダニズ』とは別に『モダニズムの修辞学』ってのもあるんでしたっけ?”

2014-09-24 20:17:12
荒木優太 @arishima_takeo

中村三春『修辞的モダニズム』(ひつじ書房、2006)hituzi.co.jp/books/272.html。タイトル間違えてツイートしてました。失礼しました。

2014-09-24 20:23:17
荒木優太 @arishima_takeo

なぜ自国(または都道府県代表、母校…)を応援しなければならないのか? スポーツが「民族の優秀さ」を「表明する」というのは本当なのか? そして、そもそもなぜそれを「表明」しなければならないのだ? この疑問は今日でも全く同様に通用するだろう。by中村三春『修辞的モダニズム』

2014-09-25 14:40:46
荒木優太 @arishima_takeo

「大宅壮一は、「スポーツをやって居る学生といふのは、大抵の場合反動的ですね」と、相変わらず極論を吐いている」(中村三春『修辞的モダニズム』)。笑った。

2014-09-25 14:52:24
荒木優太 @arishima_takeo

「ラグビーの集団運動は野球と比べてもさらにシステム的であり、常にフィールド全体のゲシュタルト的展開を念頭に置く必要がある」(中村三春『修辞的モダニズム』)。いや、難しく言い過ぎだろ(笑)。

2014-09-25 14:55:02
荒木優太 @arishima_takeo

中村三春『修辞的モダニズム』読了。勉強になった。特に昭和四~七年までに増産されたスポーツ小説と「モダニズム」の結びつきに目からウロコ。東京オリンピックとかやる前にみんな読むべし。しかし、中村三春がこういうの書くって一寸意外な気がするのだが…いや、最近だとそんなこともないのか。

2014-09-25 20:31:37
荒木優太 @arishima_takeo

「モダン・スポーツ小説の様式特徴を、〈スポールティフ〉という言葉でまとまることができるだろう。英和辞典によれば、‘sportive’とは〔略〕」(中村三春『修辞的モダニズム』)。しかし、なんでフランス語読みの単語なのに英和辞典引くんだろ。

2014-09-25 20:33:23
荒木優太 @arishima_takeo

あと、気になったのは『文芸時代』のスポーツ小説特集として「競馬小説」が入っているようだが、競馬って一般にもう「スポーツ」として受容されていたのだろうか。もしそうなら昭和10年の中河与一『愛恋無限』なんかもスポーツ小説として読める気がするのだが……これは菊池寛も絡んできて面白い。

2014-09-25 20:34:48
荒木優太 @arishima_takeo

今一分からなかったのは『修辞的モダニズム』の賢治論と横光論で鍵語として共に登場する《統合》。中村は横光のナショナリスティックな「東亜の共同の論理」の背景にその「統合」思想を読んでいるが、ならば賢治の「統合」にもその種の危険性があると読んでいいのだろうか。それとも別種の統合なのか?

2014-09-25 20:36:16
荒木優太 @arishima_takeo

しかしつくづく思ったが、同じテクスト論でも私は中村さんのような書き方に全く憧れないのだな、と。海外思想家満載の文章読んでいると、どうしても、それってペダンチズムじゃないの?とか、それって難しさでけむに巻いてるんじゃないの?って思えてしまう。正に「様式」(style)の違いか。

2014-09-25 20:38:34
荒木優太 @arishima_takeo

思えば、テクスト論好きな癖に、前田愛も小森陽一も石原千秋も崇拝したわけではなく、最も興奮して読んだ研究者は三好行雄であり、批評家なら柄谷行人な気がする。うん、それってもうテクスト論者ではないんじゃないかって疑惑…。

2014-09-25 20:40:32
荒木優太 @arishima_takeo

後、素朴に思うのは中村三春さんにとって〈表象=代行〉パラダイムに従順なテクストって存在するのかって事。有島も賢治も横光も言葉のrepresentationに抵抗するテクストとして読まれている。が、意地悪くいえば、それって脱〈表象=代行〉的に中村さんが読んでるからじゃないの?とか。

2014-09-25 21:05:49
V @V_Churchill

@arishima_takeo 意地悪くもなんともないと思います。中村さんが書いているのは、類似関係や対立関係にそってずらす隠喩的レトリックが過多な「抒情詩」であり、レトリックについて論じる文体そのものがレトリカルにできていることを明示するメタフィクションです。

2014-09-25 23:48:31
荒木優太 @arishima_takeo

@a_harry_tuttle ならば、やはり中村さん自身が脱表象=代行的に、クリエイトしているということなんでしょうか。もしそうなら、この世のあらゆるテクストをそのような「言葉の意志」に従って読む事ができるように思うのですが、

2014-09-26 05:01:57
荒木優太 @arishima_takeo

@a_harry_tuttle その時、表象=代行批判的だとして評価されていた有島文学や横光文学の特異性が喪失する気がする(他のだってそうだから)のですが、それで良いのでしょうか?

2014-09-26 05:02:25
V @V_Churchill

@arishima_takeo そこは根源的虚構の「程度の差」で処理されるはずだと思います(中村さんに「程度の差」に関する考察があるかどうかは寡聞にして存じ上げませんが)。

2014-09-26 19:53:29
V @V_Churchill

@arishima_takeo つまり原理的には、「表象=代行批判的」なものはその程度が高いという点において称揚(稀有の、空前絶後の、極北の、スペシャルローリングサンダーの、その他すごいテクスト)されます。

2014-09-26 19:53:43
V @V_Churchill

@arishima_takeo 一方、「表象=代行的」なものだって実は原理的に虚構的な文彩で成り立っているにすぎないという、表象=代行性に関する我々の期待との落差が論文のレトリカルな支柱になるという仕掛けです。

2014-09-26 19:54:09
荒木優太 @arishima_takeo

@a_harry_tuttle なるほど。もし中村さんが「すべてのテクストは原理的には表象=代行批判的に読むことができる。とりわけ○○のテクストはそれが分かりやすい形で表出している」といった論述をするならば、私は完全に納得すると思います。

2014-09-26 20:41:02
荒木優太 @arishima_takeo

@a_harry_tuttle 只、私見だと中村論文は「知」(フィクションの一般理論を基礎づけたい)と「愛」(この作家(テクスト)、超好き)が乖離している印象を受けます。乖離して悪い訳ではないですが、その二つは突き詰めていくと互いに衝突しだすのではないか、と直観してしまう訳です。

2014-09-26 20:44:23
V @V_Churchill

@arishima_takeo 中村さんは研究者のふりをしている詩人(賛辞)なので、その手の衝突は気にしないのでは? と思います。

2014-09-26 22:31:06
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