江戸時代の木槍での入身試合稽古について

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六葉@猫がねこんだアナコンダ @h_rokuyou

”剣対槍の稽古である。 これも江戸時代には盛んに行われている。”/国際水月塾武術協会: 江戸時代の剣術稽古 japanbujut.exblog.jp/23371049/ @feedlyさんから

2014-09-25 03:00:26
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@h_rokuyou @feedly 槍側が防具をつけていないのを、まさか「太刀の側は攻撃しない」と解釈されるとは…

2014-09-25 03:17:11
六葉@猫がねこんだアナコンダ @h_rokuyou

@ttswordfish 防ぐ稽古ならなおのこと防具いるんではとか見やすく平服にしたのではとか色々思ったりはしますが。資料の方には別に解説あるんかもしれんです。

2014-09-25 03:49:29
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@h_rokuyou そうですね。正直、この解説にはかなり疑問を持ちました。

2014-09-25 04:02:27
みんみんぜみ @inuchochin

@ttswordfish @h_rokuyou これ入身試合の絵ですよね。だいたい太刀側が詰め寄る稽古、槍側は突きまくって入らせない稽古だったみたいなので、完全におかしい解説という訳でもない気がします。

2014-09-25 06:46:46
みんみんぜみ @inuchochin

.@ttswordfish @h_rokuyou 中村民雄先生の記事に絵がありますが、突く長物側は防具つけないのが一般的で、上級武士なんかは突く側しかやらない人もいて批判されたりしてます。(突く側は打たれないからw) www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~kuro/nakamura…

2014-09-25 07:12:48
みんみんぜみ @inuchochin

.@ttswordfish @h_rokuyou ちなみに突き方は防具なし、入身側は防具有りでこんな感じです。 pic.twitter.com/RI6f0gllmI

2014-09-25 07:14:29
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六葉@猫がねこんだアナコンダ @h_rokuyou

@inuchochin @ttswordfish 少なくとも突かれる剣側は防具いるんじゃ?と思ったんですが、こちらの図だとちゃんと防具つけてるんですね。

2014-09-25 08:12:15
たなべげん @gengen719

@inuchochin まったく話題が違うのですが、この入り身側はなんで左手がこうなんでしょう?何か意味あるんですかね??

2014-09-25 07:57:12
みんみんぜみ @inuchochin

@gengen719 槍取じゃないですか? 槍術だと槍の柄を掴まれた時の対策がある流派もあるので、その稽古かと思ったんですが。

2014-09-25 08:12:50
たなべげん @gengen719

@inuchochin なるほど、捌いてから掴むわけですね!槍の刃先に対して掌を向けとく方が取りやすいんですかね?それなら棒相手でも同じこと出来そうですね。

2014-09-25 08:30:31
みんみんぜみ @inuchochin

@h_rokuyou @ttswordfish 小佐野先生が紹介してる絵も太刀側は胴を付けてませんでしたけ?

2014-09-25 08:14:09
六葉@猫がねこんだアナコンダ @h_rokuyou

@inuchochin @ttswordfish あ、胴はつけてます。こっちのフル装備は試合や範囲違いとかの差ですか。

2014-09-25 08:22:53
みんみんぜみ @inuchochin

@h_rokuyou @ttswordfish ブログ記事の方は胴突きだけとかだったんではw たぶんあの絵、兵法秘伝書とかそのあたりの、江戸で出版された本の絵だと思うので、当時の武道風俗を参考に描いてて特定流派ではないと思います。逆に当時の武術イメージを表してるとも言えそうですが

2014-09-25 08:27:38
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@inuchochin @h_rokuyou ですよね。で、その太刀が詰め寄るのを、「一方的に胴を突かれるのを専ら防ぐ」と解説するのはどうかなと。入身は太刀にとっての最大の攻撃じゃないですかw それを太刀側は攻撃しない、とすると全く意味が違ってきますからね。

2014-09-25 13:54:33
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@inuchochin @h_rokuyou 普通に考えて、槍側が防具をつけていないのは、太刀は間に入ってしまえばどうでも切れるからそんなに強く実打する必要はないからでしょう。だいいちこの絵だとシナイですし。 それを「太刀の側は攻撃しない」稽古だと解釈されるとは、、素○かよ、と

2014-09-25 14:02:32
みんみんぜみ @inuchochin

なぜ剣道、薙刀、弓道はあるのに槍術は死滅レベルなのか read2ch.net/news4vip/14115…

2014-09-25 16:01:15
みんみんぜみ @inuchochin

@ttswordfish @h_rokuyou 渋川一流にそういう稽古があるみたいですから、他の流派にもひたすら防御する稽古があった可能性はあるかもしれないですよ。まあわかりませんけど

2014-09-25 20:00:41
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@inuchochin @h_rokuyou 存在した可能性はあるでしょうね。しかしだとしてもこの絵から「太刀は防御専念」の稽古法だと確定するのは早計だと思います。それに太刀が防御専念の稽古するなら、太刀方はもっと防具を付けて、シナイでなく木刀でやる必然性が高まると思います。

2014-09-26 08:57:46
namiki yoshihary @cogito_ergo_su

@inuchochin 江戸時代に戦術史として、武器の変遷でも語ってくれている書でもなければ、後は戦場防具と武器の対応から、弓薙刀と銃器の間での槍の戦略的位置や 身分制度の中で槍の所有がどれだけ制限されたか(大型武器の個人所有の制限)を想像すると個の武術深化の前に銃の時代到来か?

2014-09-25 21:45:35
みんみんぜみ @inuchochin

@cogito_ergo_su 実際のところこのスレッドの書き込みと違って槍術は江戸時代になってからおおいに発展していくつも流派や派閥が増えてますからね。ただ剣術や柔術と違って武士階級のものだったため庶民層に広まらなかったのと、サイズの問題で明治以降衰退したと私は考えています。

2014-09-25 22:00:47
namiki yoshihary @cogito_ergo_su

@inuchochin 武術を考える時、「何の為に創造された技術なのか」という視点は大切かと思っております。武術の体系は戦乱の後の時代に栄えた様に見えます(思いこみかなぁ)。伊勢之守を見ても 剣術が戦場で一線で使われてはいなかったはずです。槍はもっと戦術上低かったのでは?

2014-09-25 22:46:14
みんみんぜみ @inuchochin

@cogito_ergo_su 戦国時代の武術の実用面はよくわからないですね。ただ槍術は対太刀の技術が先に発展したようです。槍対槍の技術が大きく発展したのは戦国時代も終わりに近づいてからで、江戸時代に入ってからは槍は柄は長く穂先は小さくなっていったようです。

2014-09-25 22:53:50
namiki yoshihary @cogito_ergo_su

@inuchochin 貫流は戦場で銃との関係がどうだったのか気になります。 また、戦術上 薙刀が消えたのは 当世具足の出現なども関係している様に思います(脇、太腿など斬れなくなった)が当世具足対応の武器が槍だったのではと。 江戸時代は戦術上は銃の時代です。そこでの槍の意味とは?

2014-09-25 22:53:25
みんみんぜみ @inuchochin

@cogito_ergo_su たしかに槍の登場は薙刀よりかなり後で室町時代になってからですよね。先に書いたように対太刀の技術が槍術の基礎になったところや槍が薙刀よりやや長い点を見ても、薙刀や大太刀を仮想敵に槍が発展したんじゃないか、という話があるようです

2014-09-25 22:56:24