江戸時代の剣術稽古で徳川家光などの身分の高い弟子への配慮について

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ちていのき @baritsu

「家老であるためにこれまで手加減して稽古していたことを知らせてくれなかったため、対等の試合をして、打ち込ませず家老を不快にさせたことを記している」しようがねぇなぁ家老w  kanoukan.blog78.fc2.com/blog-entry-272…

2014-10-01 04:44:31
ちていのき @baritsu

まぁ江戸後期の武術なんて、こんな風な事も多かったんだろな。だからこそ平山行蔵みたいな人が一種奇人として名が残ってるわけだし

2014-10-01 04:50:47
神無月久音 @k_hisane

宗矩宛の家光の書状でも「手加減などするな」という記述がありますし、割と早い段階でそういう風潮はあったのかもですね。 @baritsu「家老であるためにこれまで手加減して稽古していたことを知らせてくれなかったため、対等の試合をして、打ち込ませず家老を不快にさせたことを記している」

2014-10-01 04:59:01
神無月久音 @k_hisane

平山先生も、その師匠の山田松斎も、当時の風潮への抗議も込めて、半ば意図的にやってた部分はあったのかなーと思うところはありますね。 @baritsu まぁ江戸後期の武術なんて、こんな風な事も多かったんだろな。だからこそ平山行蔵みたいな人が一種奇人として名が残ってるわけだし

2014-10-01 05:03:11
ちていのき @baritsu

その辺は面白そうな所ですよね。当人たちの考えと周囲の特に武士の反応と。幕末になると結果は見えてしまうわけだけど、化政期あたりだとまだ微妙な所があるかもしれないですしね @k_hisane

2014-10-01 05:09:46
神無月久音 @k_hisane

なお、件の家光から宗矩への書状は、寛永九年六月六日付のもので、内容はこんな感じ。『へいほうの儀、まへにてよきとばかりほめ、しんじつ兵法をよきやうにおそへざる事、但馬心中には、にやはざる事と思ふ。(続く⇒

2014-10-01 05:09:40
神無月久音 @k_hisane

(⇒続き) つねのものなりとも、しうしんによりおしへべきに、これほどしうしんの所にしんじつよりよきやうにしたてず、とうざばかり教へ候事、たじまにはには、にやわざる事とおも夫ふ事』 ざっくり言えば、「俺はこんなに懸命にやってるのに、適当におだてて済ますとかひどいぞ」という内容で砂

2014-10-01 05:12:14
神無月久音 @k_hisane

ただ、この書状はまだ続きがあって、最後の方では『此うへにても、へいほう申しあけぬについてはたしましんしうのとほり、やうにもたつましきと思ひ候。是程兵法しうしんの所を但馬よくしり、其上にてもなりしだいとおもはば、いままでのねんごろも水になるとおもふべし』とか言ってたり。

2014-10-01 05:15:09
神無月久音 @k_hisane

平たく言えば、「これだけ言ってもまだ真剣に教えないなら、今までの厚遇は全部なかったことにしてやるからそう思え」とか言ってるので、完全に脅し入ってま砂。ぶっちゃけ、自分の腕前が上がらないのを「お前の教え方が悪いからだ」とか言って宗矩に責任転嫁してる訳で、まさに「えー!」としか。

2014-10-01 05:18:55
神無月久音 @k_hisane

尤も、これに対して返したのが「兵法家伝書」で、それが余程家光の意に適ったからか、その後、年内に三千石加増&惣目付着任と来てるので、ピンチをチャンスに変えたと言えなくもないですが、こんなもんできるのはこのオッサンくらいなので、あんまり参考になりませんな。

2014-10-01 05:24:29
ちていのき @baritsu

まぁ家光はもともとが好き者だしねぇw  おだててもらうために金払ってんじゃねぇと言いたくはなるかなと @k_hisane

2014-10-01 05:30:09
神無月久音 @k_hisane

この家光からの手紙は結構長いので、全文と訳については、前にスレで書いたのがあるので、こちらを御覧頂ければ。【やる夫で学ぶ柳生一族(その27) 解説】tagenmatome.blogspot.jp/2009/10/27_11.…

2014-10-01 05:30:41
神無月久音 @k_hisane

十兵衛や鍋島元茂、細川忠利とも一緒に稽古してた訳で、腕前が比較しやすかったのもあるかもですね。しかし、こんな手紙が主君から来たら胃が痛いってレベルじゃないなと @baritsu まぁ家光はもともとが好き者だしねぇw  おだててもらうために金払ってんじゃねぇと言いたくはなるかなと

2014-10-01 05:35:20
神無月久音 @k_hisane

ついでに言えば、宗矩も手加減はしていたとしても、指南そのものは真剣にやってたようで砂。指南を始めて2年後の元和八年、「免許目録よこせ」と家光に言われて書いて渡した目録の最後に、「当流の兵法はこの通りですが、印可は別物です。きちんと認めた人物にしか許しません」と釘打ったりしてますし

2014-10-01 05:48:12
神無月久音 @k_hisane

まあ、その辺は前にこの辺で書いてはいますが、戦国期の兵法教授と江戸期の兵法教授の違いや、その背景についての話はまだしてないなーと。 【剣豪と石高について】 togetter.com/li/359587 【柳生宗矩の剣術指南と出世】 togetter.com/li/360135

2014-10-02 00:30:18