光岡英稔 @McLaird44 先生による組み討ちと打撃武器技との関連史

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光岡英稔 @McLaird44

今週末TCアカデミー&北川企画にて行います「組み討ち・グラッピングの基礎」に向けて。⇒

2014-09-30 17:09:04
光岡英稔 @McLaird44

よく、拳法、キックボクシング、空手などの打撃系と、柔道、ブラジリアン柔術、レスリング、相撲などの組み技系と近代武道、武術、格闘技では分けられております。⇒

2014-09-30 17:10:33
光岡英稔 @McLaird44

本来ならどの系統も分かれ目なく伝えられて居たのでしょうが、現代に置いて組み討ち、打撃、武器、一対多、一対一、兵法などは明らかに分けられて伝えられております。⇒

2014-09-30 17:13:36
光岡英稔 @McLaird44

例えば韓氏意拳の韓老師による見解では中国武術は“宋代”までは“組み討ち=組み技と打撃技が一緒の体系”として伝えられていた可能性が高いと言われております。また“元”の時代以降に組む事と打つ事が中国武術史で分かれたのではないかと言われております。⇒

2014-09-30 17:15:57
光岡英稔 @McLaird44

たしかに唐代の中国南方地域などと交流が深かった東南アジアに伝わったクンタオ(拳道)系のシラット・カリや沖縄古伝の空手などでは打撃と組み技、武器術が分かれてない体系が多くあり、これらの系統には古い中国武術の名残りがあるのかも知れません。⇒

2014-09-30 17:19:51
光岡英稔 @McLaird44

しかし元代以降は愚か、近代に至っては更に組み技と打撃、武器術が分かれて来た武術史が各国にあります。⇒

2014-09-30 17:21:52
光岡英稔 @McLaird44

近代に至って総合格闘技なども試みとして出て参りましたが、個人レベルで戦える人は出てきたものの、体系として「武器術前提の組み討ちと打撃」と言った武術では必要不可欠な要素が抜けてしった体系のみが残り、競技化してしまいました。⇒

2014-09-30 17:26:30
光岡英稔 @McLaird44

そこから学ぶべきことも多くあり、よく、打撃系の人は“組み技の間合いに入らせなければ大丈夫だ!”とか組み技系の人が“掴める間合いへ入れば此方のもんだ!”等と聞きますが、これは打撃も組み技も双方できる人間がどちらかと言うと得意な方へ勝負を導く為の発言であり出来ない訳ではありません。⇒

2014-09-30 17:28:41
光岡英稔 @McLaird44

「打撃しか出来ないので組み技は苦手」とか「組み技は得意だが打撃は苦手」な人の発言ではありません。これは「武器術、対武器術の稽古」と「素手のみに特化した技術の稽古」にも言えることであります。⇒

2014-09-30 17:33:23
光岡英稔 @McLaird44

“組まれる前に勝負を着ければいい!”の発言は、組まれた後をキチッと処理できる人と出来ない人の間では同じ発言でも全く異なった心境からの発言となります。⇒

2014-09-30 17:35:45
光岡英稔 @McLaird44

たとえば、韓氏意拳創始者の韓競辰老師は若かれし頃にシュワイジャオの訓練所に出入りしており、父親の韓星橋老師から伝統的なシュワイジャオの技や術は習われておりました。また、韓星橋老師のシュワイジャオの実力も相当のものだったと聞いております。⇒

2014-09-30 17:36:33
光岡英稔 @McLaird44

私自身も中学時代から一番最初に空手と柔道を平行して習い、当時からキャチ・レスリングのサブミッション、関節技やサンボ等も研究し、更にハワイへ渡り総合武術・格闘技研究会なるグループで試験的に組み技を研究しておりました。⇒

2014-09-30 17:37:49
光岡英稔 @McLaird44

この武術的観点は先ほど述べた武器術にも通じる所があり「どの武器も使えるが好む所あり」「武器も使えるが、素手で武器を相手しても大丈夫」等なら良いのですが「ある武器は下手だから使えない、その武器への対処は分からない」「相手が武器さえ持ってなければ」は武術的に問題ある発言となります。⇒

2014-09-30 17:42:46
光岡英稔 @McLaird44

「素手に対して武器は卑怯だから使わない」「武器を使うと其れに引っ張られるので使わない」等の発言は“武器を自由自在に操れるが用いる必要のない人の発言”であり、最初から使えない訳ではありません。⇒

2014-09-30 17:44:17