アニメ表現論

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高瀬康司@『アニメ制作者たちの方法』 @takase_merca

【緩募】アニメ表現論をやる意義(何をいまさら)

2010-11-26 04:34:04
hiroyuki @hiroyuki_in

ぼくも興味あります。 RT: @ill_critique: 【緩募】アニメ表現論をやる意義(何をいまさら)

2010-11-26 04:35:28
@ttt_ceinture

そもそも「アニメ表現論」とは何か。RT @tyskmt: RT @ill_critique 【緩募】アニメ表現論をやる意義(何をいまさら)

2010-11-26 04:40:09
hiroyuki @hiroyuki_in

重要な問い。RT: @ttt_ceinture: そもそも「アニメ表現論」とは何か。RT @tyskmt: RT @ill_critique 【緩募】アニメ表現論をやる意義(何をいまさら)

2010-11-26 04:41:27
高瀬康司@『アニメ制作者たちの方法』 @takase_merca

表現論の意義がわからないと序文が書けないw

2010-11-26 04:44:02
@ttt_ceinture

受け手/作り手の区分で言ってるのか、技法分析を盛り込む意味で言ってるのか、媒質の固有性とその境界をめぐって論じるのか、で全然違ってくる

2010-11-26 04:44:21
高瀬康司@『アニメ制作者たちの方法』 @takase_merca

アニメ表現論を考えることはアニメの固有性を巡る問いでもあります、的なことは座談会の前口上で毎回言ってるけど、それ流用するかー。

2010-11-26 04:46:39
高瀬康司@『アニメ制作者たちの方法』 @takase_merca

@tricken わー、最終ゲラと、序文で触れてる部分メールしますね。

2010-11-26 04:47:53
hiroyuki @hiroyuki_in

「意義」という日本語は多義的で、英語だとsense, meaning, significance, value, purposeなど、どの意味を指すのかが「意義」が用いられる文脈に依存するわけで、たとえば外部資金の申請書などにありがちな「本研究の現代的意義」みたいなのは、

2010-11-26 04:49:27
hiroyuki @hiroyuki_in

「意義」をどのイミで用いるのかを固定するところから考えなきゃいけない。では翻って「アニメ表現論の意義」はどうか。このタームを単独で考えるよりも、むしろこれを問うに至った経緯とか登場する文脈を振り返るところから始めた方が効率的なのかも知れない。

2010-11-26 04:52:15
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique えーと、我流でもよければ:まず「表現論」というものがなければ「作品論」を展開できないですよね。というのは、特定の表現形式(art form)を選択しなければならない必然性というものがなければ、「それはアニメという表現をとらなくてもよかった」となるので。

2010-11-26 04:50:56
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique ある表現なりパフォーマンスなりを誰かに差し出す際に、なぜその作品が「アニメーション」という表現形式を取ることがもっとも適切だったのか、ということを擁護できなければ、その表現形式において作品を構築することの意義というのはどんどんと薄れてゆきます。

2010-11-26 04:52:12
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique もちろん、そんなことは「作り手がたまたまそういう技法を選び取っただけで、偶然だよ別にいいじゃん」であれば、小説だろうと映画だろうとアニメだろうと漫画だろうと絵画・写真・音楽・演劇・オペラ・ゲームだろうといいわけですが、素朴に考えてそれは何か違う。

2010-11-26 04:54:01
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique そして(このツイートが核心)、「このアニメって内容がないよね、でも毎週観ちゃうんだ」という週刊アニメファンの言説は、「物語がない/にもかかわらずその表現を好意的に受け取っている」という現象を素朴に表している。したがって既存の物語論は失効している。

2010-11-26 04:55:53
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique もちろん「内容のない映画」とか「内容のない小説」とか、(以下同文)いろいろあるわけですが、「内容がない」という批判は、表現史に厚みがあればあるほど、ナンセンスな指摘になるわけです。「表現それ自体の技巧を受容する態度」が成熟しているわけですね。

2010-11-26 04:58:16
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique そして、表現形式(この場合、「アニメーション」)の内部におけるイノベーションがあっても、それはプロの自己満足でしかなく、受け手は気付きも誉めもしない、というのであれば、プロは表現形式の刷新自体に情熱を賭ける意義を、どんどん失ってゆくでしょう。

2010-11-26 05:02:36
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique では振り返って、(アニメータの内輪の技術研鑽としての職業的言説は当然あるだろうと仮定して)、素朴な意味での「内容」とは呼べないものをアニメファンはどのように受け取っているかを言語化する作業(=「受容論」の蓄積)はどれだけあるのか、という問いが出てくる。

2010-11-26 05:00:13
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique そのようなわけで、作り手/受け手の双方で、「その表現形式を(創作物の方法論として/ある表現受容の可能性として)選び取った意義」について考察・探求を進めていくということに、(「物語論」とはダブらない)「アニメの表現論」を論じる意義があるのではないか。

2010-11-26 05:05:44
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique すげーぶっちゃけて言うと、「映画でいいじゃん」「音楽×PVでいいじゃん」「演劇でいいじゃん」「漫画でいいじゃん」「ラノベでいいじゃん」などなど、「〜〜でいいじゃん」に対する建設的再反論の積み重ねの中に「表現論」というものがあるんじゃないかと思ってます。

2010-11-26 05:09:55
tricken@暁月6.0済 @tricken

@ill_critique ……とか、そういう風に考えてますが、これは別に自分が言うべきことではないのではないか、とか思います(笑)。ちなみに同様の事を、僕はゲームデザインについて考えているだけです。

2010-11-26 05:06:20
tricken@暁月6.0済 @tricken

まあ、アリストテレスの頃から「ミュートス」はどうしても劇の根幹を構成するので、まったくプロットの存在しない作品というのはむしろ例外ケース(実際には表現論と物語論は相互乗り入れする)のだけれど……かぶらない領域は相変わらずある、と。

2010-11-26 05:08:33
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