がん治療の場合、標準的な医療でも「無治療」という選択肢はあり得る。ガンの種類、部位、年齢やステージ(進行の程度)、体力、あれこれ加味して治療方法は選ばれる。順番は状況によるだろうけど「外科的治療はやめよう」「化学療法はやめよう」「放射線療法はやめよう」「疼痛緩和だけで」てな具合。
2014-10-04 01:04:08化学療法ひとつとっても、一般に治療効果は高いけど副作用が強いといわれる薬品は避けて、なんて判断も状況に応じて当然行われる。 疼痛緩和はすべての段階で行われる。別に終末期にだけ行われるわけではない。副作用に詳しい医師か、ヒアリングがうまい医師か、といった点で奏功するかどうかは違う。
2014-10-04 01:07:31たとえば、うちのニョーボみたいにがんばって我慢しちゃう人は、主治医には「立派だけど困った患者」だった。適切な疼痛緩和ができないと体力をムダに消耗するからだ。QOLの維持を重要な命題と考えている医師には歯がゆかっただろうなぁ。 マジメな人は要注意だよw
2014-10-04 01:09:31友人のオヤジさんの場合、発覚したときには、かなり進行していた。80歳ぐらい。自覚症状が出にくい、治療効果が望みにくい部位でありガンの種類だった。 家族と医師との最初の面談は、ガンの告知とともに、治療をどうするかという相談だった。医師は無治療を奨めた。
2014-10-04 01:32:30「ここで外科治療をして、余命半年を1年に伸ばすこともできます。しかし、その間のほとんどを病院のベッドで過ごすことになります。化学療法や放射線療法で大きな効果が期待できるとは思われません。一方、無治療ならば、半年の間に旅行に行くこともできます。どうしますか」
2014-10-04 01:34:12これはこれで残酷な話だ。でも、決めなければならない(決定権は患者側にある)。 友人家族は、在宅での治療を選んだ。無治療と言っても、なにもしないわけではない。積極的な治療を行わないだけで、疼痛緩和や状態把握をはじめ、できるだけQOLを下げないための態勢が取られた。
2014-10-04 01:37:57そういう態勢でよかったね、と手放しに言えない気持ちもある。 うちもそうだったけど、患者家族は、疼痛緩和がうまく行っていると「進行していないんじゃないか」「快方に向かっているんじゃないか」と考えてしまう。在宅できてたりすると、いよいよそんな気持ちになる。
2014-10-04 01:39:41結果、予告されていた時期が近づいても「まだまだいけるんじゃない?」なんて思っちゃう。医師から「いまが最上の状態で、以後は下がるだけだと覚悟してください」と釘を刺されていても。 友人の場合は「もうちょっとよくなったら、旅行に行こうね」というズレを起こしてしまった。友人の後悔の種。
2014-10-04 01:42:27うちの場合、入院からの一時帰宅中にミスで麻酔切れを起こしたことがある。その七転八倒を体験して、ぼくも家内も「本当はこういう状況なのだ」と理解したはずなのに、それでも最後の最後になる直前まで「このまま年を越せるのではないか」なんて間違った期待を抱いてしまった。
2014-10-04 01:45:18いろんな点で、現代医療には課題がある。それは間違いない。 それでも、一昔や二昔前では想像もつかなかった治療とその成果がある。家内は死の少し前まで市のボランティア仕事をしていた。家内が知らせた人以外に、家内の病気に気づいた人はいなかっただろう。
2014-10-04 01:48:41家内の死の2日前まで、ぼくも家内の妹も、死期を知らされているにも関わらず、「そろそろかもしれない」なんて想像もできなかった。意識が戻らない、今夜か明日か、と連絡をしたときに、義妹は「なんで!? つい昨日、元気だったじゃない!」と叫んだ。 これはこれで医療の進歩なのだ。
2014-10-04 01:51:15だからって、患者や患者家族が想像もしていなかったような顛末に出会い、それをなかなかうまく受け止められない、というのもまた事実だ。 だからメディアは、あやふやな新理論などではなく、いま実際に病棟で起きている話を、「今の治療」や「それでもまだ」なんて話でもしてくれればいいのになぁ。
2014-10-04 01:55:21気の利いた医者に当たれば、「患者が息を引き取ったときにどうするか」なんて話も相談されます。これも病態次第ではあるけれども、ドラマなどで観るカンフルや心臓マッサージが意味がある場合とない場合があるわけですよ。でも、患者家族の納得のために儀式として行われる側面がある。
2014-10-04 01:57:34「仮に息を吹き返したとしても、有効な治療があるわけではない。回復の見込みがあるわけではない」というときに、救命行為を行うということは、患者には苦痛を与えるだけ、苦痛を引き延ばすだけかもしれない。どうする? でも、今際の際に間に合ってない近しい親族がいたら? そのときは?
2014-10-04 01:59:55気の利いた医者なら、そういう「想定可能ないろんなケース」について、残さずと言っていいほど説明してくれて、意思確認をしてくれちゃいます。それはそれで耐えられない患者家族もいそうではあるのですけどね。
2014-10-04 02:01:34末期ガンは難病指定されてるんだか、難病と同等扱いなんだか、拠点病院に面倒をみてもらえる。拠点病院の医師は、しばしば学会にお出かけになったりする。いろんな患者を抱えているので、なかにはそのときに息をお引き取りになる患者もいたりする。患者や家族も悔しいけれど、医師も悔しい。
2014-10-04 02:07:52家内の場合、ぼくらは主治医を全面的に信用していた。とにかく説明してくれる医師だった。手術前には、小さな面談室で「いまから1時間はしゃべりますから覚悟してください」と言われたりもした。写真を見せたり図解したりしながら、とにかく理解させようと頑張る医師だった。
2014-10-04 02:10:16誰にでも合うタイプの医師ではないだろうけど、ぼくらにはよい主治医だった。 ガンを再発してふたたび化学療法を進めているさなか、腸閉塞を併発したときも、積極的治療はもうできないと言いつつ、正直な選択肢を提示してくれた。①ホスピス ②セカンドオピニオン ③転院
2014-10-04 02:15:35動き回る体力がふつうにある状態だったので、ホスピスというのはさすがに驚いた。ぜんぜんピンと来なかったのだ。ふたりで数日考え、まずはホスピスの見学をしたい、そして在宅でなんとか暮らせないかと考えた。主治医は知る限りを教えてくれ、同時にさらに調べまくってくれた。
2014-10-04 02:18:17ひょっとすると、そういう行動って主治医の院内での立場を悪くするんじゃないかということは、当時のぼくらも気になった。だって、拠点病院ってそういうことをするところじゃないんじゃなかろうか。 でも、ぼくらは主治医のくれる情報を最大限にいかして、いろんな選択肢を検討できた。
2014-10-04 02:21:19ホスピスの見学もしたけれど、ぼくらの選択は、3つのどれとも違った。ぼくらは、「この病院に最後までいたい」という選択をしたのだ。終末期を扱う病院ではないことは承知していたけど、疼痛緩和セミナーとか終末期医療学習会とかやってるのを壁のポスターで見ていたから。
2014-10-04 02:24:52正確には、ぼくらの気持ちは「この主治医から離れたくない」だったんだろうなと思う。 病院としては、たぶん「ない」選択だったのだと思う。主治医も「終末期病棟もないし、十分な訓練を受けたスタッフがそろっているわけでもない。引き受ければ全力は尽くすけど」と歯切れが悪かった。
2014-10-04 02:27:00在宅治療は、その時点での治療内容からムリだった。細かいことは忘れちゃったけど、アレとコレを引き受ける在宅医がいない、ってことだったんじゃなかったかな。 それやこれやで、ぼくらはその拠点病院に最後まで面倒を見てもらえることになった。その時点から数えると、4ヶ月ぐらいだったのかな。
2014-10-04 02:30:22たぶん病院の上の方と衝突しても家内を引き受けてくれた主治医は、ぼくらの希望に応えて、できるだけ自宅で過ごせるようにいろいろはからってくれた。きっと看護の方からも文句が出てただろう。 家内はいろいろぶら下げてよく家に帰って来た。老廃物を貯める袋とか麻酔とかを改造エコバッグに詰めて。
2014-10-04 02:34:19どんどん麻酔を強くする日が続いていたある日、説明したがりの主治医が、ぼくを面談室に呼んだ。先に書いた「もしも息を引き取ったら、そのときどうするか」という話だった。そして、そのときのぼくは、まだ「案外元気にできてる」と思っていたので、ちゃんとその質問の意味を汲み取れなかったのだ。
2014-10-04 02:36:51