トルコの古典探偵小説と現代ミステリ
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トルコ初の探偵小説『殺人事件の謎』(1884)
オスマン語で書かれた作品。オスマン語は現代トルコ語の元になった言語だが、語彙がかなり異なる。
トルコ初の推理小説は、Ahmet Mithat Efendi(1844-1912)の1884年の長編『Esrar-ı Cinayât』だそうだ(リンク先英文) ejts.revues.org/4532?&id=4532#…
2013-06-23 07:48:56@VillaVerde_Ant ところで、一つお聞きしてもよろしいでしょうか。トルコ最初の推理小説は1884年の『Esrar-ı Cinayât』だと、RTしていただいたリンク先に書いてあったのですが、このタイトルはどういう意味なのでしょうか…?
2013-08-23 14:33:58@Colorless_Ideas 『殺人事件の謎』といった、なんともベタな意味になるようです。Esrar-ı Cinayât とかBab-ı Esrarという表記は、現代トルコ語ではなくオスマン語なので分かりにくいです。
2013-08-23 14:48:54@VillaVerde_Ant ありがとうございます! ミステリなのは分かりますが全然内容が想像できないタイトルですね……。トルコでは文字表記がアラビア文字からラテン文字に変わった、というぐらいの知識しかありませんでしたが、言語もだいぶ様変わりしたんですね。
2013-08-23 14:57:58@VillaVerde_Ant でもそうなると、トルコでは最近も『Esrar-ı Cinayât』が刊行されているようですが idefix.com/kitap/esrar-i-… 、これは当時の文章のままでなく現代トルコ語に翻訳(?)したものなのでしょうか……?
2013-08-23 14:59:50@Colorless_Ideas Nurullah Şenolという人が現代語訳者のようなので、そうだと思われます。
2013-08-23 15:19:27@VillaVerde_Ant なるほど、やはり当時の文章そのままではないのですね。ここぞとばかりに色々聞いてしまってすみません。ありがとうございました。
2013-08-23 15:23:15トルコ初の探偵小説『殺人事件の謎』(1884)のあらすじ
@Colorless_Ideas ある7月の夜、ボスフォラス海峡の外れにある岩場でひとりの娘とふたりの男が殺され、ベイヨール区所属の警部オスマン・サブリ(←この場合のサブリはミドルネームだと思います)が調査員ネジミとともに捜査に乗り出す・・・といった出だしのようです。
2013-08-23 15:29:50@Colorless_Ideas 1か月後ハリル・スーリという名の金持ちが、ベイオールの自宅で天井から首を吊られた状態で発見される。ふたりの警官は自殺ではなく第2の殺人だと結論づける。疑惑は歳の頃35~40歳でお金持ちの女性ヘディエ夫人に集中する・・・。
2013-08-23 21:44:57Yervant Odyan 『アブデュルハミドとシャーロック・ホームズ』(1911)
オスマン語作品。
アルメニア人作家のYervant Odian(1869-1926)が1911年に『アブデュルハミトとシャーロック・ホームズ』というガストン・ルルースタイルのミステリ小説を発表して人気を博したとかいう情報が。これは一体…?(リンク先仏語 acam-france.org/bibliographie/…
2013-08-22 23:56:01アルメニア人作家が1911年に書いたというミステリ小説『アブデュルハミトとシャーロック・ホームズ』について調べようと検索したら、オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世(在位1876-1909)はシャーロック・ホームズが大好きだったとかいう情報がこの人の英語版ウィキペディアに。
2013-08-23 00:00:16ということは、1911年にYervant Odianが発表した『アブデュルハミトとシャーロック・ホームズ』は、ホームズシリーズが大好きだったというオスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世が実際にホームズに出会って一緒に事件を解決したりするとかいうストーリーだったりするんだろうか?
2013-08-23 00:02:43タイの国王ラーマ6世(在位1910-1925)もミステリ小説が好きで、翻訳したり、トーンインという青年がホームズばりの活躍をする探偵小説を書いたりしたそうだ(これがタイ初の創作探偵小説)。当時の世界の知識人には最新のエンタテインメントとしてミステリを読んでる人が多かったのかな。
2013-08-23 00:07:52@Colorless_Ideas スルタン・アブデュルハミド2世は、大掛かりな諜報機関(秘密警察)を組織した皇帝として知られているのですが、その諜報員が次々と殺されていく。脅威を感じたアブデュルハミドは事件を解決するため、名探偵として知られるシャーロック・ホームズに調査を依頼する
2014-10-05 20:41:00@Colorless_Ideas (あらすじ)諜報員が次々殺され、シャーロック・ホームズ・ファンである皇帝の頭にホームズの力を借りることが浮かぶ。ホームズのモデルは実在する人物に違いないと調査に乗り出した皇帝はついにイギリスの諜報部で長年働いたMcClainという男を突き止める
2014-10-05 23:25:44@Colorless_Ideas McClainは皇帝に呼ばれイスタンブール入りする。諜報員の死体にはMAという文字と数字が残されていた。McClainは犯人追跡に乗り出すが、専制政治下に起こったこの連続殺人事件はMcClainの手に負えるものではなかった。。。
2014-10-05 23:41:27シャーロック・ホームズの大ファンだったオスマン帝国皇帝アブデュルハミド2世
@Colorless_Ideas スルタン・アブデュルハミド2世は、実は推理小説狂いだったらしく、ユルドゥズ宮殿に構えた図書室には2000~5000冊(⁉)の推理小説が所蔵されていたという噂があり、中でもシャーロック・ホームズファンで全作品をオスマン語に翻訳させ所有していたという
2014-10-05 20:50:10@VillaVerde_Ant ありがとうございます! アブデュルハミド2世がシャーロック・ホームズのファンだったというのは前に英語版Wikipediaに書いてあったのですがやはり本当だったのですね……というかホームズに限らず推理小説数千冊とは……!
2014-10-05 21:39:00@Colorless_Ideas この作品はYervant Odyan(イスタンブール生まれ。生涯の多くをイスタンブールで過ごす)が1911年に発表した作品で、アブデュルハミド2世ともアーサー・コナン・ドイルとも同時代人、アブデュルハミド2世の生前に書かれたということに驚きます。
2014-10-05 21:57:12@VillaVerde_Ant すでに在位はしていなかったようですが、前皇帝をフィクションに出すというのもなんだか恐れ多いような……。ホームズ・シリーズもまだ発表されていた時期ですし、そんな時代にこういう作品が発表されていたのは驚きですね。
2014-10-05 22:28:58