元ベトナム従軍兵の声

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Mami Tanaka @mami_tanaka

米国人の元同僚と飲んできた。彼は19歳でベトナム戦争従軍。父親はWWⅡのヒ―ローで彼に「戦争にいかないようなのは俺の息子じゃない」と言ったので、彼は大学をやめて召集に応じた。最初の任地はクレタ島だった。将校の家族が軍機を飛ばしてアテネに観光や買い物に行くような平穏さだった。

2014-10-11 00:28:19
Mami Tanaka @mami_tanaka

しばらくしてベトナムへ行けと言われるままに行った。衛生兵になった。任務はヘリコプターで負傷兵(と遺体)を回収。警報が鳴ると出動。ヘリはジャングルに向かう。作業時間は7分、それが敵の反撃を受けるまでに地上で動ける限界。地面に降りてぼんやりしていると「何してる!早く負傷者を運べ!」

2014-10-11 00:33:41
Mami Tanaka @mami_tanaka

初めて降り立った本当の戦場。言われるがままに傷ついた味方の体を他の隊員と持ち上げる。上半身を抱き起こして、、、その上半身は下半身と切断されていた。彼はショックでズボンの中に失禁した。頭がおかしくなると思った。しかし毎日異常なことが起こると感覚が麻痺して来るのだ、と彼は言う。

2014-10-11 00:39:15
Mami Tanaka @mami_tanaka

仲間の兵士が死んでしまう。「今お前とこうやって飲んでるみたいにこうやってしゃべってて、次の日には友だちは死んでしまうんだ。そういうことは忘れられるもんじゃない。今でも急にそのときのことを思い出す。1年間もそんなのが続いてみろ。」え、1年もいたの!? "Oh, yeah-."

2014-10-11 00:42:41
Mami Tanaka @mami_tanaka

悪夢の1年が過ぎて国に帰ると人々は冷たかった。国内の気分は完全に二分されていて、反戦の空気が満ちる中、元兵士たちは鼻つまみ者だった。しかし従軍した者の多くは召集に応じたのであり、仕事がなかった若者だったり、貧しい者が多かったのだ。彼らはアメリカを支配する新しい正義の敵になった。

2014-10-11 00:48:17
Mami Tanaka @mami_tanaka

しかし彼が最も傷ついたのは「戦争にいかないような奴は俺の息子じゃない」と言った父親がホームパーティーで軽く言った「たぶんベトナムは間違いだったな」という言葉だった。彼は怒りに震え、家を飛び出し、7年後に父親が詫びるまで口をきくことはなかった。

2014-10-11 00:53:24
Mami Tanaka @mami_tanaka

ベトナムで枯れ葉剤に晒されたことへの補償は今も聞き取り中で、彼はその面接のために最近一時帰国してきた。そこで「(米国政府の補償を受けようというのに)なぜ日本に住んでいるんだ」と聞かれた。「俺がどこに住もうと俺の人生だ。俺は19で国に仕え、今体を壊してるんだ。」

2014-10-11 01:02:24
Mami Tanaka @mami_tanaka

「戦争は正義だ、と若者を送り出して、間違っていたかもといいながら、結局性懲りもなく戦争ばかりやってる。俺はそういう政治にも社会にも宗教にもがっかりして国を出たさ。沖縄だって基地の周りに枯れ葉剤を撒いていたから補償を求める兵士がいるけど政府は沖縄では使ってないなんて言ってるし。」

2014-10-11 01:10:27
Mami Tanaka @mami_tanaka

そんな彼が会った最初に口にしたのは「しかし日本もおかしなことになってきたな。在特会と明らかに繋がっている山谷が辞任しないで済むなんてどれだけ異常なんだ。」ジェイクの記事読んだ?と聞いたらジェイクの昔出したヤクザについての本も読んだと言ってた。

2014-10-11 01:20:38
Mami Tanaka @mami_tanaka

出動を知らせるブザーの音、敵のヘリコプターの砲撃の轟音、ジャングル、薬剤、そして死臭。彼の話は私にとって十分に凄まじいのだけれど、もっとひどい地獄を見た兵士の多くは憎しみが待ち受ける祖国への帰還すら果たせなかったのだ。

2014-10-11 01:34:50