
仮面といえば仮面を被っただけで誰が誰だか分からなくなる南十字学園と綺羅星十字団の面々はいったい何なの。仮面付けてようが付けてなかろうが声で分かるだろ。
2010-11-27 17:35:55
@fluorspar 身に付ける仮面の外見によって振る舞いも変わるのでしょうね。少なくとも私はそうなりそうです。たとえば、悪人っぽい仮面を付けていると、本当に悪人のような振る舞いをしてしまいそうで恐いです。
2010-11-27 17:35:36
@fluorspar 仮面がなくても、生活の中で場面ごとに振る舞いを演じ分けることは、その程度の差こそあれ、皆がやってますものね。しかし振る舞いは変えることができても顔の造形は変えられない。演じたい個性の滲み出る外見の仮面を付ければ、演技はより完全なものに近づくでしょうね。
2010-11-27 17:41:46
@razzka 仮面を被るほど意識的ではなくても、普段の立ち振る舞いを身につけるものから意識して変えていくことってありますよね。実生活において比較的意識的なものとしては、男の人は何かの節目に良い物(例えば高級腕時計など)を手にして、それに見合うような人になろうと決意したりだとか。
2010-11-27 17:43:51
@razzka 外見を変えてしまうと客観性が補強されて自己との乖離が激しくなりそうな気もするけど、どうなんでしょうね。いずれにせよその思考には興味あります。
2010-11-27 17:45:19
@fluorspar 「いつでも仮面を外すことができる」という意識がどこかに少しでも残っている限り、問題なさそうですね。その意識が薄くなっても、手などで物理的に仮面に触れれば、仮面を付ける前のことを思い出すでしょうし。思い出さなくなるくらい演技に入り込むとどうなるのでしょう。
2010-11-27 17:51:28
@razzka 仮面ライダーやスパイダーマンといったヒーロー系の、ある種の仮面を被ったキャラクターのことを想像すると仮面を付けている状態が主になって外しているときの自分が希薄になっているような、そんな印象を受けます。あれは能力込みだからであって仮面だけだと違うのかな。
2010-11-27 17:55:31
@fluorspar フィクションでは仮面を纏うことで超人的な能力を発揮することがありますね。しかし、私は祭りの露店で買ったお面を付けて超人的な能力を発揮した経験はないし、発揮したという話を聞いたことすらありません。持っていた能力が表出しやすい精神状態になることはありそうですね。
2010-11-27 18:05:19
@razzka 露天の仮面と子供の成長に関する話題をネットで前に読んだけど、探せないな…。露天の仮面でその子は一時的にその者自身になれた気がするが、すぐに飽きる。それは、仮面を手に入れることでその能力を手にすることは出来ないからだ、という論調から始まってた気がしたんだけど。
2010-11-27 18:10:38
@razzka 外見から自己を意図的に変えていくこと、新たな自己を表現すること、今の自分を隠すこと。比喩的な意味で用いる仮面には様々な役割や用途があって、状況に応じて複数使い分けている。それを見える形にして本当の仮面を被ったときに、精神的な仮面をヒトは取り去ることができるのかな?
2010-11-27 18:14:35
@fluorspar ほー、児童心理と絡めると面白そうですね。仮面が、児童にとって自身の能力のなさを知る通過儀礼の装置として働くのですね。どこか忘れましたが、共同体の中で成人として認められるようになるための儀式に仮面が用いられる文化もあるようですし。興味深いですね。
2010-11-27 18:15:42
@razzka 仮面がその自己と仮の姿の変化を表現する象徴的な対象として分かりやすいだけで、道具である以上は実体としての仮面の有無に関わらずどう用いてどう付き合っていくか、というところに主題が変化していきそうな気がする。
2010-11-27 18:21:50
@fluorspar 比喩的な意味での仮面ですか。そう呼べそうな振る舞いは日常にもありますね。見えない聴こえない知らないフリをするなどは一時的に仮面を纏っているようなものかもしれません。手に取れる物体としての仮面とはまた違う話になりそうですが、切って離せるものではなさそうです。
2010-11-27 18:26:36