小田原のどか作品展《↓》@同志社女子大学 感想まとめ

2014年9月24日(水)から 11月11日(火)まで同志社女子大学情報メディア学科の主催で行われた小田原のどか作品展《 ↓ 》の感想ツイートのまとめです。 展覧会サイト http://www.dwcmedia.jp/event/14g03
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msc @msc

【mscギャラリー】小田原のどか作品展《↓》 2014年9月24日(水)~11月11日(火) 「彫刻」について考えを巡らせることを通して作品制作を行う小田原さん。mscギャラリーに「起点」が提示されます。 dwcmedia.jp/event/14g03

2014-09-10 14:21:27
ジョンラセ太郎 @kimura

"今から70年ほど前—1946年から1948年までのあいだ、長崎市松山町に作者不明の記念標柱が存在していた。"/小田原のどか 作品展《↓》2014年9月24日(水)ー 11月11日(火) | 同志社女子大学 dwcmedia.jp/event/14g03

2014-09-23 21:23:38
ささきゆうすけ @sasakiyusuke

また9月24日から 、京都の同志社女子大学にて、小田原のどか作品展《 ↓ 》が開催されるとのことです。 odawaranodoka.com/news.html 「戦争」と「彫刻」の歴史を彫刻自体を以てしてなぞりながら、その「重み」をある仕方で消去してしまう。多くの解釈の余地がある作品かと。

2014-09-23 21:49:00
ささきゆうすけ @sasakiyusuke

小田原のどかさんの作品については以前「《 ↓ 》について考える」というテキストを書きました。 odawaranodoka.com/text2.html 私は《 ↓ 》を観て以来、それまでスルーしてきた野外彫刻がまったく違うものとして見えてくるようになった。彫刻への思考を強烈に促される作品。

2014-09-23 22:00:30
神田川雙陽 @SUIGADOU

おお。10月の仕事のときに見に行こう。RT @odawaranodoka 来月から11月まで、同志社女子大学にて展示をさせていただくことになりました。 小田原のどか 作品展《↓》 9月24日ー 11月11日 mscギャラリー dwcmedia.jp/event/14g03

2014-08-16 06:25:27
HAYASHIDA Arata @arata1002

RT>京田辺かいな、と思ったら後期は京田辺で講義をするのだった。見に行かないと。

2014-09-23 21:55:13
tokada @tokada

同志社女子大学 京田辺キャンパス って京都か

2014-09-11 03:01:13
オガワデザイン @ogawads

小田原のどか講演会「つくる、そして考える。」 | 同志社女子大学 情報メディア学科 dwcmedia.jp/event/14l06

2014-09-13 11:57:52
オガワデザイン @ogawads

➴( `・ω・´) 10月13日に京都に行かなきゃいけない気がして来た。

2014-09-13 11:57:33
オガワデザイン @ogawads

➴(;´Д`A また10月13日に京都に行かなければなら無い気がして来た。

2014-09-14 11:14:55
〼⚪︎ @reinologie924

mscの小田原さんの展示やばーすごー

2014-09-24 13:11:03
Alata Hasegawa @rob_art

小田原のどか 作品展《↓》 | 同志社女子大学 情報メディア学科 dwcmedia.jp/event/14g03

2014-08-16 00:58:37
あたしか @wakarige075

1)京田辺市にある同志社女子大学msc galleryで開催中の小田原のどか「《↓》」展。主に立体作品を発表しているという現代美術家小田原のどか(1985~)女史の、関西ではおそらく初めてとなる個展 pic.twitter.com/oo73WDyqsw

2014-09-26 10:53:57
拡大
あたしか @wakarige075

2)小田原女史はここ数年、《↓》というタイトルで矢印形のオブジェを作り続けているとのことですが、今回は原爆投下後の長崎市における、とあるエピソードに取材した作品群が出展されていました。 dwcmedia.jp/event/14g03

2014-09-26 10:54:44
あたしか @wakarige075

3)そのエピソードとは、次のようなものである――《今から70年ほど前、1946年から1948年までのあいだ、長崎市松山町に作者不明の記念標柱が存在していた。その標柱は5メートルもの大きさで矢羽根を模しており、自らが突き刺さっている〈この地点〉を指し示していた――》

2014-09-26 10:55:11
あたしか @wakarige075

4)――今回はこのエピソードをもとに、その標柱の上半分だけを実寸サイズで作ったネオンサインと、当時の地方紙に載っていた標柱の写真が展示されていました。この事実だけ取り上げるとありがちなポリティカル系アートのように見えるところですが、しかしここで小田原女史はこれをほかならぬ〈彫刻〉

2014-09-26 10:55:44
あたしか @wakarige075

5)の問題として捉えるように促している《感情ではなく、〈ここ〉ということ、ただそれのみを示し続けよう、という意志がみてとれます。この記念標柱を私は、戦後の日本彫刻の起点として捉えることができると考えています》(会場で配布されていたステイトメント「ここにあるものについて」より)

2014-09-26 10:56:10
あたしか @wakarige075

6)――実際、この標柱には「原子爆弾中心地」と書かれていたそうで、何のインプリケイションもなく、〈ここ〉(=〈ここ〉がそうであること)を示すという、「ただそれのみを示し続けよう、という意志」が具現化したものとして認識されているわけですね。

2014-09-26 10:56:43
あたしか @wakarige075

7)近代に至るまで彫刻がその物質的な形態によって象徴としてあり続けてきたとするなら、〈ここ〉を示すことは、象徴ではなく、その不在を(たとえすぐに別種の象徴性によって埋められてしまうにしても)示すことにほかならない。かかる転換によって「戦後の日本彫刻」が、

2014-09-26 10:57:16
あたしか @wakarige075

8)ばかりか戦後日本そのものが始まったことさえ「示し」ていると言っても、さほど揚言ではありますまい。それは当時の標柱の写真をもとに作られたポストカード(持ち帰り可)において、もとの写真にあった「原子爆弾中心地」の文字が消去されていることで、さらに際立つ

2014-09-26 10:57:45
あたしか @wakarige075

9)まぁ小田原女史が実際いかなる考えのもとにこれらの作品をものしたのかについては、10月13日に講演会が行なわれる( dwcmedia.jp/event/14l06 )そうなので、それを聴講してから、また考えてみたいところです。11月11日まで

2014-09-26 10:58:26