《日本の大多数の「自然科学者」には原発事故の健康影響を客観的に評価することは期待できない》

自己ツイートをまとめました。 「市民科学者」ではない「自然科学者」には、過大な期待は抱かないほうが良い、という趣旨のまとめです。
7
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「原発事故による健康被害が出るのか」という「客観的科学的な議論」が必要なのは、私も理解できるし納得できる論点だ。 が、既に発生してしまった原発事故に関して評価をしようとすると、 多くの科学者には政治的な利害関係が発生しているので、 客観的な統一評価は期待できない。

2014-10-22 19:40:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

たとえば、チェルノブイリ原発事故に関して、思い出してみよう。 当時のソ連科学界の重鎮達には、政治体制維持と、自らが重鎮でいられる科学界の上限関係の維持と、自らの研究費の今後における確保が、研究と発言の前提条件になる。 @karitoshi2011

2014-10-22 19:43:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

全てを放り出して、国民の健康被害の最小化だけを考えて発言したり研究したりすれば、やがてその科学者は全てを失う可能性が高かった。肩書きも、実績に関する評価も、職も。最悪の場合には、家族との生活や、自らの自由と生命も。 @karitoshi2011

2014-10-22 19:48:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

当時のソ連の研究者達ではなく、もう少し私達に近いところで考えてみよう。 旧笹川財団によって原発事故被災地に行った日本の「科学者」達だ。 彼らは既に、広島や長崎の原爆被害の健康影響を過小評価することによって、その時点での肩書きと研究機会を得てきた。 @karitoshi2011

2014-10-22 19:51:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

できるだけ原爆の「後遺症」となる放射性物質関係の健康被害を過小評価したい、という米軍と米国政府の意向と、それを受け継いだ日本政府の意向を体現する形で「研究」や「評価」を続けてきた「科学者」達だ。 必要に応じて日本政府側の証人となってきた人と弟子達だ @karitoshi2011

2014-10-22 19:59:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って」 smhf.or.jp/data01/chernob… ここに登場する「科学者」達には、「チェルノブイリ原発事故では、一般住民の健康被害は殆ど現れない」という結論が、予め定められていたと言えるだろう。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:10:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「一般住民に深刻な健康被害が多数発現する。遺伝的な影響も予測できる」などと結論を出す可能性は、残されていない。「放射線による影響は、人間の場合遺伝しない」というのが、この「科学者」たちが広島と長崎の「研究」で得た「結論」なのだ。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:13:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

広島と長崎で彼らが得た「結論」によって、日本での被ばく認定基準は決められている。彼らが「結論」を変えることは即ち、日本の被ばく認定基準の根本的な変更が必要であることに直結してしまう。 それは、「科学者」個人の過去に対する評価が変わるだけでは済まない @karitoshi2011

2014-10-22 20:17:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

過去の被ばく認定に関わってきた、日米の政府、研究機関、組織、大学、医療機関、学会。 そういうものに対する評価が変わってしまうのだ。 マスコミに対する評価も変わる可能性も考えなければならない。 そんな巨大な決断を、行うことができるだろうか? @karitoshi2011

2014-10-22 20:20:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

チェルノブイリ原発事故による一般住民の健康被害は、ごくわずかで、遺伝的影響はありえない。そういう結論を出しさえすれば、その「科学者」の周りのすべてが守られるのだ。 逆に、新しい結論を出せば、その「科学者」の周りのすべてが損害を受けるのだ。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:23:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

何か、巨大な健康被害を引き起こす「事件」が既に起きて、「事件」に関する「科学的な評価」を「科学者」達が提出した後では、同じ原因による「事件」が今後起きないことがほぼ分かった数十年後になるまでは、「科学的な評価」は変更できない。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:38:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

例えば、アスベスト被害。今後アスベスト使用による健康被害が発生しないことがほぼ確定しているなら、微小な範囲の見直しが可能だ。影響がどの程度広がるのか、見極めが可能だ。 しかし、原子力事故は違う。日本にも世界にも沢山の原子力施設が存在する。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:46:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

チェルノブイリ原発事故での健康被害評価を広島や長崎の評価から変えれば、広島や長崎の被ばく認定を変えなければならなくなる。広島や長崎の被ばく認定を変えるなら、それは金銭面でも莫大な額の予算変更を意味するし、様々な組織に関する「信頼」も変わる。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:55:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

チェルノブイリ原発事故発生から25年弱で、東京電力福島第一原発の過酷事故が発生した。金銭面の話を抜きにしても、これまで「研究」をしてきた人たちが、自らの研究で変えることができる「評価」は、政府や関係組織が許容してくれる範囲内の部分だけだ。 @karitoshi2011

2014-10-22 20:58:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「放射線による被曝の影響は遺伝しない」という部分は、日本でも旧ソ連でも、日本の「科学者」は変更できない。「低線量被曝による健康被害は小児甲状腺がんの微増だけ」という事は、世界的な医学の中では認められないが、日本の「科学者」の中ではゆるがせない。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:08:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東京電力原発事故による、住民の健康影響に関して、「科学者」の見解の範囲内で変更できる部分は、事故発生の時点から、著しく制限されていたのだ。 と考えると、事故発生直後から物理系の「科学者」たちが一斉に、事故とその影響を過小評価し始めたのは、当然だ。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:19:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに東京電力原発事故に関しては、福島県庁と、避難指示指定ギリギリになった自治体からも、事故の健康影響を過小評価するほうが望ましいという姿勢が提示されている。 ならば「科学者」達は事故の健康影響を過小評価する方へ、さらに背中を押されてしまう。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:22:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「科学者」達に残された評価変更が可能な部分は、ごくわずかだ。 しかし、なくなったわけではない。ここから先は、私も手の内を明かすつもりはない。まだ、「科学者」達が許容できる変更可能な点が、私には残されている。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:42:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この一連のツイートの結論もまた、決まっている。 自然科学系の「科学者」達に「公平で客観的」な「科学的判断」を期待するのは、無理だということだ。 それが、自然科学系の「科学者」たちの、社会的弱点だ。 特に、日本においては。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:51:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

人文科学系の研究や、社会科学系の研究では、研究者の立場が問題にされることがある。多くは政治的な立場の確認だが、一応要求はされる。 官公庁が絡む「研究」や公共事業に関する「調査」だと、政治的な中立性が無視されることはあるが、批判は避けられない。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:54:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、日本の自然科学系の「科学者」は、政治的中立性や客観性に関する批判を受けるケースは、多くないのだろう。 今年は、日本の自然科学系研究に対して、客観性や公平性という視点からの批判が必要だと改めて確認される年になったようだ。 @karitoshi2011

2014-10-22 21:57:19