政治の理論のための覚書 その読書感想文

◆はじめに この感想は http://hdl.handle.net/10723/1434 にある 「政治の理論のための覚書」を、ツイッター上でご紹介いただいたので、その返礼として書いたものです。 私自身は、修士の学位すら持たぬただの無名の日本国民です。また、文筆業にも従事していないです。 なので、至らぬ点は多いでしょうし、知識不足も甚だしいと思います。そもそも、思想史や過去の思想そのものに興味が薄いです。今必要な思考実験に必要と思える思想以外にも食指は動きません。そういう無学怠惰な人間の読書感想文である事をご理解の上、それでもご興味ある方のみご一読ください。 誤読が多過ぎたら、ゴメンナサイ。僕にはこう読めたってだけの話です。
コラム フーコー アレント 稲葉振一郎
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巡礼者 @Hagiasophia765
【政治の理論のための覚書】の読書感想文  【感想0-1はじめに】 この感想は hdl.handle.net/10723/1434 にある 「政治の理論のための覚書」を、ツイッター上でご紹介いただいたので、その返礼として書いたものです
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想1-1 西洋政治思想における「議会制民主主義」と「全体主義」の立ち位置 】 稲葉先生は、最初に「思考の道筋」として、政治思想の流れをアレントの提示したモデルを批判する事で示してくれている。それはまあ、分かりやすく、納得できるものだった。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想1-2】 しかし、一つだけ、違和感を覚えたモノがある "リベラル・デモクラシーへの批判は、もはやその揚棄や超克のためにではなく、もっぱらその修正と洗練のためになされるかのごとくである。それゆえこの歴史観も、相対的に訴求力を強めている。(略)"
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想1-3】 の、箇所である。 歴史的事実としてはその通りなのだろうと思う。 しかし、現代においては「民主主義」も「全体主義」も、人々に飽きられ始めている。と私は考えている。かくいう私自身も、これらの概念に飽いていると言える。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想1-4】 全体主義を民主主義と系統を同じくするというのは、その通理で両方ともに考え方としては「功利主義」の系譜なのだから、当然だと思う。民主主義も、全体主義も、突き詰めれば動員の為のイデオロギーなのだと思う。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想1-5】 そして、私や私と似たようなセンスを持つ人間は、もはや「リベラル・デモクラシー」の洗練そのものには、それほど興味がないのではないか?と思う。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想2-1 アレントによる分析 階級闘争史 革命とテロリズム】 "そのような政治理解は、我々にとってほとんど意味を持ちえない何かなのではないか? アレントの言う本来的な「政治」などというものがあるとして、それは我々にとっての政治とはほとんど関係のないものなのではないか? "
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想2-2】 この問いについては、稲葉先生は別紙の hdl.handle.net/10723/1906 で、一定の回答をしているように思う。 私の誤読かもしれないが、自由人による取引は政治と不可分である。そして、自由人に養われる家人として貧困者は救済される。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想2-3】 それは、家人ではない貧困者も行政当局の家人として手当されるという構図も含まれる。 という、事なのだと思う。 コレについては、私も思うところはあるが、今は書かないでおく。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想3-1 フーコーによる分析 「法メカニズム」と「規律メカニズム」と「安全メカニズム」 】 私の思い違いかも知れないが……。稲葉先生は、たぶんフーコーにとても好意的で、彼が分析し、彼が暴いたメカニズムを評価しているのだと思う。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想3-2】 実は、私はその対極にいるかもしれない。私はフーコーの分析眼には敬意を表するし、彼の言うメカニズムの存在も認めるが、 その活用には否定的である。フーコーの知見には敬意は払うが、好意的には成れない。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想3-3】 この問題は、すごく重要で、人間と社会の根幹に関わる話だと思うので、今は横においておく。 ひとつ言えることは、「規律メカニズム」と「安全メカニズム」については、社会の自己生成において非常に重要な役割があるため、その取扱は慎重の上に慎重を期すべし。という事である。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想4-1 「<統治>」とは?】 簡単に言えば、養い主による養い子にたいする処遇。という事になる。 会社組織ならば、経営者による従業員への処遇とも言える。支配を前提とした政治と呼べるかもしれない。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想4-2】 家族内であるならば、私的な領域ということになるし、公的な領域に置いても自由人同士、経営者同士の政治とは区別される。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想5-1 「政治」とは?】 自由人の間で成立する様々なやりとり。 取引と呼べるかもしれない。私は外交と解釈した。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想6-1 顕教としての「政治」と、密教としての<統治>】 この考え方は、とても感動しましたね。正直なところ。 その通りだと思いました。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想7-1 <安全装置>について 自発的徳の誘導と4つのコントロール】 これ、どういうものか?というのが想像できない人は、オルダス・ハクスリーの小説「すばらしい新世界」を概要だけでも結構なので、読んで欲しいです。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想7-2】 ようは、条件付け教育(刺激や刷り込みを含む)を駆使して、相手の無自覚なセンスそのものをコントロールせよ。という事です。 私にはとてつもなく、「社会の連続性にとって」危険な考え方だと思いました。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想7-3】 勝手な憶測ですが、たぶん、この方法を積極的に採用した場合、数代で社会の恒常性、散逸構造は断裂し、崩壊すると思います。 ちなみに、条件付け教育の安易な採用が危険な例として、カルトによる強制的説得 togetter.com/li/238019 を挙げておきます。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想7-4】 強制的説得は後天的なモノなのでよりグロテスクですが、半先天的に行う条件付け教育も本質は同じです。 連続する社会の恒常性を、一部個人の人為的な恣意で操作することの危険性には、大差はないのです。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想8-1 教育とマインドコントロールの共通点と異なる点】 横道にそれますが、書いておきます。 教育とマインドコントロールの最大の差は二つです。
巡礼者 @Hagiasophia765
そういや、最初はである調で書いてあるなw この文章。途中でですます調に変わってる……。最初からですます調のつもりだった。まあ、眠いから、ちかたないね!
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想8-1】 ひとつは、教育の条件は人格統合性の破壊を伴わない事。もう一つは、教育は社会的に是認されている行為、カリキュラムで構成されるので、社会的逸脱性が存在しない。という事です。これは、社会的に認められていると同時に、既存文化との整合性がとれているという意味でも有ります。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想8-2】 フーコーの言うところの<安全装置>を当局が恣意的に積極活用すれば、多分、既存の文化との整合性が真っ先に失われ、親子世代間における文化の統合性が失われることに成るでしょう。それは、オーウェルの1984でも指摘されている事です。
巡礼者 @Hagiasophia765
【感想9-1 政治の範囲_経済のその役割】 対面的な取引と、市場での匿名経済。 前者を政治と呼び、後者を経済と呼んでいるように思う。この辺りのことは、別紙の hdl.handle.net/10723/1906 に詳しいと思う。
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コメント

稲葉振一郎 @shinichiroinaba 2014年11月1日
むろん事務所推しです>765プロ
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