宮沢章夫さん、「キリスト教的世界観」とこれからの時代の演劇、創造についてを語る

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宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

飴屋さんの「わたしのすがた」に感動しつつ、一点、全体に通底する「キリスト教的世界観」をどう理解していいかについて疑問に思っていたら、相模君の『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』では「天使」がせりふに登場し、ここにも「キリスト教的世界観」が。(つづく)

2010-11-29 16:15:59
宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

そしてその直後に観た松田正隆さんの『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』では、「マグダラのマリア」の有名なエピソードが語られ、ここでもかと、驚かされた。聖書と、クリスチャンに近い人に多く接している者としてはこの共時性に奇妙な気分になった。(つづく)

2010-11-29 16:20:19
宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

まして、キリスト教の世界観にひかれつつ、最終的に「神を信じられない」と語る者が身近にいる者が、それら作品を観て、この素材としての扱われ方に疑問を抱くとき、僕にはわからないなにかがここにあると思える。クリスチャンはそれをどう受け止めるだろうか。(つづく)

2010-11-29 16:22:17
宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

そして三人の演出家は「キリスト教世界観」についてどのような距離感を抱いているのか。このあいだ書いた「語り方」というのはこのことだった。そして、宗教的ビジョンと演劇、しかしながら、「祈り」としての演劇と語ったのは野田秀樹だが、演劇にはそうした一面もあるのだろう。(つづく)

2010-11-29 16:24:28
宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

その「内省」は「文学主義」とも異なるはずだ。新しい「内省」。わたしには飴屋さんの「わたしのすがた」における、さまざまな音、それは外から聞こえる自然音でもあったが、それがべつの感触を与え、また異なる自身への問いかけになった。

2010-11-29 16:30:43
宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench

そしてさらに考えるべきことは〈「祝祭」から「内省」へ。新しい「内省」へ。〉が、なぜそうであるのか、現在のなにが、わたしたちをそう駆り立てるのを、あの「わたしのすがた」の「半分の教会」という作品で懺悔室の順番を待ちながら考えていた。遠くから聞こえる。自然音、環境音に耳をすませつつ。

2010-11-29 16:35:56