重力の働く音楽の時間はやわらかく「しなる」
- pseudotaro
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やっぱり 機械で「参考音源」なるものを作ってしまうと、機械に出来ないことを箇条書きにして、「●●は参考にしないで下さい」「●●は参考にしないで下さい」と伝える必要が生じてしまうのだな。馬鹿馬鹿しい。 なんで こういう ややこしいことに なっちまったんだろうねぇ…
2014-11-13 01:11:41「機械に出来ないこと」は あまりにも多い。 しかし、世の中は「機械に出来ること」に適応したデジタルな音楽が氾濫しているために、「機械に出来ないこと」が なかなか意識されない。 あたりまえの拍子感を持った ごく自然な歌い方、というのが、機械には 出来ないのだ。
2014-11-13 01:19:27何か、音楽に於いては、多くの人が、まるでロボトミーに憧れてでもいるかのように、機械に支配されることを欲しているように見える… わけ解らん… orz
2014-11-13 01:24:30昨今の 機械による「参考音源」なるもの、作り手側に過剰サービスを強いる格好になっている訳だが、これが、演奏する側の「読譜力」や「想像力」を著しく損ね、楽譜を読む楽しみや 音楽を作ってゆく楽しみを 根本から奪っていることに、早く 気が付いてほしいと思う。 いいことは 何もない。
2014-11-13 01:33:07現代の教育・演奏環境は機械のようにしかできない人間を作っている。機械に出せない味があってもそれを感じる人がいなくなれば無意味になる。 @nobuyamamasu: .@tadzi0 機械にやらしたほうが、よっぽどマシだと思うような音楽(笑)を、それでも人間がやると味が出ますね
2014-11-13 01:40:38機械は「息」をする必要がないですからね。「ためらう」こともないし。「迷う」こともない。「恥じらう」こともない。でもそういうのも音楽の一部かも知れません。 @lydian7 @tadzi0
2014-11-13 01:49:20現代音楽、無調的音楽にしても、鬼のように正解を出し続けるのと、難しいが頑張って取った(しかも正しい!)音程とどちらに味があるのか分りません。
2014-11-13 01:53:18人間だから音楽するとき、ためらったり、遅れたりすることもある。でもそこで頑張ってピッタリ歌おう、弾こうとした時にエネルギーが込められ、表現につながる。
2014-11-13 01:55:54切れ目のない音符の連続を歌うときに、どこかで息をしなくてはいけない。どこで吸うか、(さらにもっと重要なことに)どのように息を吸うか、こういうことで音楽が死んでしまったり、俄然生き生きとするかが決まる。
2014-11-13 02:04:36.@nobuyamamasu 機械のデジタルな時間との比較から、つくづく、私達は「柔軟に伸縮する時間」の「地」の上で 音楽をやっているのだなぁ と思いますね。
2014-11-13 02:02:53.@tadzi0 実際は音楽は柔軟に伸縮しているので「地の音楽」ですが、それでも抽象的な数的要素、形式、法則に支配されているので、その点では「天の音楽」とも言えますね。
2014-11-13 02:09:23.@nobuyamamasu 「宇宙」の時間は 低次元にデジタルではなく 伸縮するものと思います。 重力は時間を歪める(← アインシュタイン)訳ですから(笑。
2014-11-13 02:13:49.@nobuyamamasu 思うのですが、アインシュタインの発想は 何か音楽的な臭いがするんですよね。 アインシュタインは、熱烈なモーツァルティアンで ヴァイオリン弾きでした。
2014-11-13 02:16:42.@tadzi0 はあ、なるほど! 空間の歪みですね。 歪んでいる空間では、機械演奏のように等間隔に音を並べるほうが不規則というか。
2014-11-13 02:31:43.@tadzi0 面白い、面白い。「重たい音」があると、その周りの空間が歪みますね。だから時間間隔が完全に規則的でなくなる。
2014-11-13 02:45:23.@tadzi0 私がいつも思うのは、みかんの小袋を開けると無数の小さな粒が出てきますね。それは形式的には恐ろしく規則正しいが、実際は隣の粒との関係、小袋全体の形、果実全体の形などに影響され、微妙に不規則な「実施」がなされている。これって音楽そのもの。
2014-11-13 02:21:36音楽は、局部の実施においてはかなり柔軟でいい加減なことが許されているのに、それが全体としては揺らがない数理、法則に支配されている、これが魅力ですね。 @tadzi0
2014-11-13 02:25:40だから、私は、「時間の伸縮」は ロマン主義とは関係がない と思っている。 が、20世紀、「時間の伸縮」は「ルバート」として括られて、悪しき19世紀の遺物のように捉えられてしまった。 これが 大きな間違いだったことにも、早く 気付いてほしい。
2014-11-13 02:48:24