10周年のSPコンテンツ!
74
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
IFCONでちらっと話題になった、戦国時代の東国から国家統治に至るお話。室町後期の関東ってのはまたスゲエ面倒くさいところで、そこら中の大名家臣国人衆が軒並み親族で雁字搦めになっている。信長の野望なんかやっていると、小幡とか長尾とか違う家で同じ姓の武将がいたりするのもそのせいだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
ちなみに奥州はそれに輪を掛けて酷いとか、西国は寺社や町衆の利権でドロドロだとか色々面倒なんだが……閑話休題。なお横道ついでに断っておくが、素人が論拠も無しに好き勝手妄想を綴ってるだけなので、このツイートを引き合いに他所であれこれ語らないことをオススメする。私が恥ずかしいから。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
こういう隣近所皆親族知人という環境で戦国の世だと何が起きるか。合戦という合戦がみんなお手盛りになるんだな。要は互いの武威を確認し合うことが目的になるわけで、隊列組んで鬨の声を応酬し、弓やら槍やら何合か打ち合って後はシャンシャン、てなもんである。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
むしろ、部将クラス以上だと合戦で討ち死にするよりも、太田道灌のように調略段階で抹殺される方が死因としては上位になりかねない。こう言うケースでは、むしろ親族関係というのは事態をエスカレートさせる要因となることが多かったりする。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
で、この環境の超例外がいる。小田原北条氏だ。何しろこの家、大名から譜代の家臣衆に至るまで、主要幹部が全員「余所者」なんである。そりゃ、四公六民ぐらいの善政しなきゃ受け入れてもらえないだろう。地縁血縁によるコミュニティってのは、徹頭徹尾余所者を排斥するんだから。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
この差異は合戦の様相を見ても顕著で、北条氏が絡んだ合戦は他の関東諸勢力同士の合戦と違い、負けた側が滅亡・吸収されるというフェイタルな結末のものが多い。赤の他人同士の抗争だけに、双方なあなあの落としどころが見出せないのだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
そうやって敵対勢力を戦場や戦後処理で潰してしまった結果、北条氏が攻め取った領土では既存の地方行政システムが機能しなくなるケースが続出した。当時の武士は平時においては地元の行政・司法官だったので、それが消えると、当該領国はヒャッハー上等な無政府状態となってしまう。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
結果、在来の地元武士団に占領地行政を頼ることが出来なかった北条氏は、自前の官僚団を鉢植え式に投下して直接統治することを強いられたが、これがある意味で功を奏した。この試練を乗り越えた北条氏は、当時としては破格の行政官育成システムを獲得したのだ。需要が供給を生んだ形だ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
信長の野望でも、覇王伝や嵐世記あたりの作品をプレイした人は覚えがあるだろう。東海道から奥州まで埋め尽くす勢いでスチームローラーの如く物量で蹂躙し、西国スタートのプレイヤーが畿内に達する頃には日本の東半分に翩翻と翻っている三つ鱗の旗印を。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
これはゲーム的には、北条家臣団に占める文官の比率が高いこと、そしてその文官の能力の平均値が突出していることに由来する。つまり、大抵のシリーズ作品においてCPU北条は、膨大な国力にあかせた物量作戦によって他家を圧倒しやがるのだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
ただし、これでもゲーム性を考慮したバランスには抑えられていることに注意しなければならない。史実をゲームへと落とし込む過程でスルーされた北条家中の文官は、Wikipediaに個別記事がある人物という括りを掛けてすら、物凄い人数になる。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
なぜこれほど北条家中で文官が目立つかと言えば、やはり北条氏の行政文書が大量に残っているからだろう。公的な行政文書であれば、作成者と承認者が必ず載っているわけで、これによってどの部将の配下にどんな人物が付いていたかは詳細に追跡ができるのだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
で、北条氏の場合は行政文書が大量に現存している。もちろん、戦国末期まで存続した家だから残りやすいという事情はあるだろうが、それ以上に発行枚数自体が膨大だった。なぜこれほど大量に行政文書が出たかといえば、北条氏が領民に対して直接行政サービスを提供する「国家」だったからだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
先程述べたように、北条氏の占領地統治は、自前で育てた官僚団を鉢植え式に投下して一から統治システムを構築する方式だった。これが何を意味したかと言えば、三浦玉縄などのように既存の在地勢力が温存された土地を除けば、北条氏の領国ではほぼ均質な行政サービスが提供されていたということだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
このように、独立性の強い地方政府を介することなく中央政府と領民が均質な行政サービスというシステムで結びついた統治形態のことを「国民国家」と呼ぶ。冗談のように聞こえるかもしれないが、北条氏の統治システムは確かにその成立要件の一つを満たしていた。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
これと四公六民の善政が結びついて何が起きたか。秀吉の小田原征伐の際、その成果は確かに結実した。この時点で北条氏の領国は200万石強。1万石当たり250人という動員目安に従えば、総兵力は5万人を少し超える程度だろう。ところが北条氏は、実に8万2000人を動員してのけている。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
もちろん防衛戦争だから根こそぎ動員が出来たという面はあるだろう。だが、それだけの理由で標準定数の6割増もの人数を集められたとは思えない。四公六民の善政で領民の取り分が増えた結果、食糧事情が改善して農村部が涵養可能な人口が増大したことが最大の要因だ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
さらに、中央政府が直接領民を統治するということは、領国にかかわる人口統計や生活水準(≒生産力)を政府が細かく把握しなければならないということでもある。これによる副次的効果として、動員人口が正確に把握でき、効率的な兵力調達ができたという面も確実にあっただろう。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
そして、北条氏が確立した官僚育成と文書発給のシステムが、直接統治をソフトウェアの量的な面で可能にした。その成果を現地で目撃した家康が参考にするわけだ。結果的に、この「国民国家」は江戸幕府を経て明治新政府に、そしてその一部はGHQの統治すら生き延びて現代にまで継承されている。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
ちなみに蛇足。欧州はどうだったかと言うと、この手の国民国家は18世紀まで誕生しなかった。当時の欧州では「国」というよりは「家」が統治の単位であり、統治の対象は家臣であって領国ではなかったのだ(絶対王政後期のフランスはちょっと例外的だったかもしれないが)。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
この状態の何が問題かというと、内政を行うという観念が発達しない。なぜなら、婚姻や外交や戦争によって家領が頻繁にやりとりされるため、長期的な視点で内政を行っても、その成果を自分で刈り取れるとは限らないからだ(フランツ一世のような突然変異もいるにはいる)。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
結果、欧州で国民国家と呼べるシステムが誕生するには、領民が自分で自分の面倒を見るようになるフランス革命を待たなければならなかった。そのフランスで生まれた近代国民国家のシステムを、欧州に広く行き渡らせたのがナポレオンだ。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
んで、このナポレオンが広めた国民国家式の統治システムなんだが、ところによっては何と一次大戦後まで連綿と使われ続けていたらしい。物持ちが良いにも程がある。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
このイイカゲン金属疲労が来たシステムを近代的なシステムで上書きしたのがナチスドイツで、さらにそれを物量的な意味で現代社会に耐える物に補強したのが連合国の看板を掲げたアメリカ合衆国だった。……あ、結局西も東も最後はアメリカかよ、という碌でもないオチがついたな。
二行緑@横須賀鎮守府万年大将 @g255_twoline
なお、再度エクスキューズをば。こういう蘊蓄的な長文が投下されると、それを理論武装のタネにして専門家に議論吹っ掛ける人がいるんだけど、どうか勘弁して頂きたい。素人が根拠もなくヨタってるだけの文章を持ち出されても、先方に迷惑が掛かるだけなので。
残りを読む(1)

コメント

創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki 2014年11月16日
個人的には、フリードリヒ二世当時のプロイセンも文書行政がかなり発達していた印象がある。年代的には絶対王政の後期だから、フランスとほぼ同時期。この人は外交と戦争が注目されるけど、内政もきちんとやっていて、荒れ地や沼地の開拓で「一州を獲得した」と言うくらい、国内開発にも力を入れている。
創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki 2014年11月16日
思うに、絶対王政期には戦争や結婚での領土のやり取りが徐々に小型化していって、後期には内政をやらなければ税金が取れず、軍隊(徴兵が半分強を占める)を十分養えない状況に移行しつつあったんでないかと。
平山国際問題兼蹴球問題研究所 @SNEP_JP 2014年11月18日
名小説にして名映画の『のぼうの城』なんてのも、その膨大な文書に頼ってこそ書けた作品なのかもしれないし、「のぼう様」もかくあって実在していたのだろうな、と。
もするさ§( •̀ᴗ•́) @CLONE_P0806 2015年5月9日
戦国時代に於ける「死のグループ」関東の勝者後北条氏が関東を「死のグループ」にした張本人という件
四式戦闘機 @ki84type4 2015年5月9日
ここ数年で色々知ったのだけど、この小田原北条氏の影響を受けたのか近隣の武田氏(特に勝頼期)もそれなりに整った軍役システムを持ってはいたらしいのね。むしろ中央の勢力のほうが遅れてたくらいで。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする