として戦略性すら凌駕し、自らの首を絞めることになるのだが、武士はもののはれを捨てられない。日本人である以上は。 また、過ちを認め受け入れる潔さにも触れておきたい。これは論語の出典であろう。実に儒学的ではあるが、まず武士が社会の規範者であったという事と、一方でそれが実用的であったか
2014-11-14 23:44:49らである。武士道と兵学とは密接に繋がり合っていて、固定の観念では戦を研究することがそもそも出来ないのだ。だからこそ、武士は元々は知識階級ではなかったにも関わらず、時代を追って維新の頃には新生日本の骨子たるほどの知識階級層が出来上がった。繰り返して書くが、常在戦場というのがもっとも
2014-11-14 23:45:43根本たる所にあり、それが武士を突き動かすからである。 このマキャベリズム的な根幹をして、なぜ武士道は道徳となったのか?このまことに大きい矛盾こそが武士道を武士道たらしめているのだが、だからこそ特に後生の人間には理解しがたく、武士道観の迷走が起こる。この矛盾に一筋の光明を与えるのは
2014-11-14 23:46:41は仏教であろう。仏教と言っても、特に禅のそれである。生と死という、その相反の内に身を置き、常に死と向き合わなければいけないという極限が、まことに大きな矛盾の塊たる哲学の武士道を生んだと言っていい。またその素地をもののあはれが作った。修羅の哲学である。ゆえに@big1guycotz
2014-11-14 23:50:24ただし、武士道とは平安の頃よりあらゆる矛盾を飲み込み、さらに外的刺激を受けて、咀嚼され時代に応じて変化をしながらも、まったく筋の通った一本の思想、文化であることは間違いない。また時代を追ってマイナーチェンジをしつつも、明治期には階級を解き放たれ、日本人全体の道徳に変化を遂げた。
2014-11-14 23:51:31ゆえに武士道は@monocat33氏が引用してくれたが如く、そこに日本人が理想とする精神があるのであって、武士道に正と偽は無し。言行の一致があるか無いかだけである。
2014-11-14 23:53:41